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タレントスカウトとしてのスタン・ゲッツ(2)〜Talkin' about Stan Getz #2〜


スタン・ゲッツ(1927〜1991)についてあれこれ語るシリーズ「Talkin' about Stan Getz」を始めました。まずは若い世代のミュージシャンをサイドメンとして積極的に起用し、彼らを鍛えつつ自己の音楽の幅を確実に拡げていった「タレントスカウト」としてのスタン・ゲッツについて書いてみることにします。第一回はスコット・ラファロとスティーヴ・キューンを採りあげました。以下の記事です。

第二回は、1964年から66年まで在籍したゲイリー・バートンについてです。

2. ゲイリー・バートン(b.1943)

ヴァイブ奏者ゲイリー・バートンは、バークリー音楽院(現・バークリー音楽大学)を卒業後、テネシー州ナッシュヴィルでスタジオ・ミュージシャンとしてプロ活動をはじめました。ナッシュヴィルはカントリー・ミュージックの中心地。「ナッシュヴィルにはまともなヴァイブ奏者がいないので仕事はいくらでもある」と誘われたそうです!

というわけで、バートンは現在に至るまでカントリー・ミュージックへのリスペクトと関心を保ち続けています。

1961年にリリースしたデビュー作『New Vibe Man in Town』と、翌年の作品『Who Is Gary Burton?』を聴いてみましょう。

Gary Burton / Who Is Gary Burton?/New Vibe Man in Town

バートンは、それまで片手に1本ずつマレットを持って演奏するのがほとんどだったジャズ・ヴァイブに、片手に2本ずつマレットを持って最大4声の和音を演奏するという技法を持ち込みました。そのことによって、ヴァイブはピアノ的な表現をすることが可能になったわけです。

バートンは63年にジョージ・シアリング(p)のバンドに加入し、オリジナル曲も提供しました。シアリングのクインテットに木管楽器アンサンブルを加えたアルバム『Out Of The Woods』から、バートン作曲の「Six Nix Quix Flix」です。

George Shearing Quintet / Six Nix Quix Flix (from"Out Of The Woods")


さて、スタン・ゲッツは64年1月のカナダ・ツアーのためのピアニストを物色していたのですが、ピアノではなくバートンを起用してはどうか、と進言したのは、ゲッツの旧友であるピアニストのルー・レヴィーだったそうです。シアリングのグループをやめたばかりのバートンはゲッツの誘いに応じ、ここに「テナー・サックス、ヴァイブ、ベース、ドラムス」という面白い編成のカルテットが誕生したのでした。

64年3月にスタジオ録音された(発売は30年後の94年!)『Nobody Else But Me』で、バートンは2曲のオリジナル(「Six Nix Quix Flix」「Out Of The Focus」)を提供しています。

Stan Getz / Nobody Else But Me

バートンやマイケル・ギブスのオリジナルを含む意欲的なこの作品がお蔵入りしていたのには理由があります。62年リリースの『ジャズ・サンバ』が大ヒットして以来、ゲッツのレコード会社ヴァーヴはボサノヴァの企画作品を次々に録音させ、地味なジャズ・アルバムを重要視しなかったのでした。

ちなみにメガヒット作『ゲッツ/ジルベルト』は63年3月録音、リリースは1年後の64年3月。つまり、バートンは「ボサノヴァ・ブーム」のまっただ中にゲッツのバンドに加入したわけです。

ですので、リアルタイムでリリースされた「バートン入りゲッツ」の最初のアルバムは、アストラッド・ジルベルト(vo)が参加したライヴ作(実はスタジオ録音も含まれていますが)『Getz Au Go Go』でした。

Stan Getz with Astrud Gilberto / Getz Au Go Go

64年10月9日、カーネギー・ホールで録音された『Getz/Gilberto #2』も、バートン入りのカルテットが参加しています。

Stan Getz, Joao Gilberto / Getz/Gilberto #2

64年の映像です。テレビでアストラッド・ジルベルトがゲッツ・カルテットをバックに歌います。

Astrud Gilberto with  Stan Getz  Quartet / The Girl From Ipanema


50年代からのゲッツの音楽的盟友、ボブ・ブルックマイヤーのリーダー作。64年6月の録音で、ゲッツはお気に入りのバートンを誘って録音に臨みました。ピアノはハービー・ハンコック、ベースがロン・カーター、そしてドラムスはエルヴィン・ジョーンズ! マイルス・バンドとコルトレーン・バンドの混成リズム・セクションですね。

Bob Brookmeyer / Bob Brookmeyer & Friends

これは66年、イギリス公演のときの映像です。メンバーはゲッツ(ts)、バートン(vib)、スティーヴ・スワロウ(b)、ロイ・ヘインズ(ds)。

Stan Getz / Jazz Goes to Collage-66


ゲッツ・カルテット在籍中の66年に、バートンは古巣のナッシュヴィルでリーダー作『Tennessee Firebird』を録音します。スワロウ、ヘインズというゲッツ・カルテットの同僚に、チェット・アトキンス(g)、バディ・エモンズ(steel-g)、チャーリー・マッコイ(hca)、ケネス・バトレイ(ds)といったナッシュヴィルの腕利きスタジオ・ミュージシャンという興味深い人選による録音です。ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』(66年)に収録されている「Just Like a Woman」「I Want You」を採りあげていますが、『ブロンド・オン・ブロンド』もナッシュヴィル録音で、同じミュージシャンたちが参加しているあたりがおもしろいですね。

Gary Burton / Tennessee Firebird

そして、バートンは66年いっぱいでゲッツのバンドを脱退し、自己のリーダー・グループを結成します。ギターはラリー・コリエル、ベースはスティーヴ・スワロウ、ドラムスはボブ・モーゼスを経てロイ・ヘインズ。つまりバートンの新バンドのメンバーの4分の3はゲッツ・カルテットのサイドメンだったのです! 

67年にコリエル、スワロウ、ヘインズと共に録音されたバートンの『Duster』は、ジャズの歴史に残る重要作です。バートンのバークリーでの同期生、マイケル・ギブスの曲を3曲採りあげている点にも注目してください。その内、「Sweet Rain」はゲッツの67年のアルバムのタイトル曲となりました。

Gary Burton Quartet / Duster

ご参考までに、2004年に『Duster』がCD化されたときに私が書いたライナーノーツを貼っておきます。

バートンはゲッツとの日々をこう回想しています。「彼がソロをとると、彼がこしらえたそのメロディーは、オリジナルのメロディーよりも、むしろずっと生き生きと響いたりする。そして彼の音楽に対するあの集中力。彼は毎晩、まるでそれが自分にとっての最後の夜であるかのように演奏していた。」(ドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』より 村上春樹訳)

70年代、バートンがソロで弾いたアントニオ・カルロス・ジョビンの曲「Chega de Saudade」です。ゲッツのカルテットで、バートンは何度も何度もこの曲を演奏したことでしょう。

Gary Burton / Chega de Saudade

さて、バートンが独立したのち、ゲッツはチック・コリアをピアニストとして迎えました。コリアについては次回詳しくご紹介しますが、彼もまた、ゲッツのバンドをやめたのちにバートンのグループに参加しました。

その後、バートンとコリアは何度もデュオで演奏し、かけがえのないパートナーシップを築いたのですが、そのきっかけを間接的に作ったのはスタン・ゲッツだったわけですね。

Gary Burton, Chick Corea / Crystal Silence

Gary Burton, Chick Corea / Bud Powell


バートンのグループからは何人もの優れた若手ミュージシャンが育ちました。その代表的存在はパット・メセニー。メセニーとバートンのデュオによるスティーヴ・スワロウの曲「Falling Grace」です。

Pat Metheny and Gary Burton / Falling Grace

若くして亡くなったスコット・ラファロを除く、60年代ゲッツ・バンドのメンバーたち(スティーヴ・キューン、ゲイリー・バートン、スティーヴ・スワロウ、チック・コリアなど)は、70年代以降に顕在化する「新しいジャズ」-それを「ECM的感性のジャズ」と言ってもいいかもしれません-の中心人物になりました。スタン・ゲッツがどこまで彼らの本質的な新しさに気づいていたかは分かりませんが、バートンについてゲッツはこんなことを語っていました。

「とても深みのある音楽家であり、それは年を追うごとに明らかになっている。彼はとにかく音楽というものを生涯かけて追求している。常に自分を磨き上げているんだ。」(マギン前掲書より 村上春樹訳)

これはスティーヴ・キューンとスティーヴ・スワロウが共演した映像です。

Steve Kuhn Trio / Confrimation


そういえば、スティーヴ・スワロウは60年代初めに、ジミー・ジュフリー(reeds)のトリオ(ジュフリー、ポール・ブレイ、スワロウ)で、クールに構築されたアヴァンギャルド・ミュージックを演奏していました。そのジュフリーが、40年代にウディ・ハーマン・オーケストラでスタン・ゲッツの同僚であり、ゲッツの出世作「Four Brothers」の作曲者であることを思うとき、 私は「ジャズの系譜」のおもしろさに改めて感じ入ってしまいます。

 Woody Herman Orchestra / Four Brothers


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