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ジャズギター・アルバムのライナーノーツ(7)『パット・メセニー・グループ/レター・フロム・ホーム』

以前書いたCDのライナーノーツを少しずつアップします。最初はギター関係のライナーをいくつか公開してみます。今回はパット・メセニー・グループ『レター・フロム・ホーム』のライナーノーツです。2009年に書いたものです。

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パット・メセニー・グループ/レター・フロム・ホーム 


 現役ジャズ・ギタリストの中で、パット・メセニーは屈指のテクニシャンだ。ジム・ホールとウェス・モンゴメリーをアイドルとするメセニーは、「正統派ジャズ・ギター」の王道を継承する存在だと言っていい。しかし、メセニーは断じてただの「ジャズ・ギタリスト」ではないのだ。おそろしいことに彼は、「ジャズ・ギタリストとしての自分」をも単なる素材として扱ってしまうほどの、スケールの大きいサウンド・クリエイターでもあるのだった。
 僕はメセニーのことを「20世紀音楽を代表する天才」の一人だと考えているのだが、そのことは、彼が優秀なジャズ・ギタリストであるという事実と、実はあまり関係がないのではないか、とすら思う。メセニーの真の偉大さは、彼が自分の個人的な「夢」の具現化として作り出した音楽が、多くの聴き手にとっても「自分の夢の中で鳴っている音楽」に思えてしまう、という、「個人的なイメージを<普遍>に直結させる能力」にあるのではないだろうか。
 僕らがメセニーの音楽にうっとりと身をゆだね、自分ならではの「夢」に投影するために、「ジャズ」という枠組みへの意識は邪魔にしかならないのかもしれない。そして、それとは対照的に、メセニーが「ジャズ・ギタリスト」として取り組んできた音楽は、ジャズ・ギターの歴史への目配りを強く感じさせるものだ。おそらくこの二つの立場は、彼の中で相互補完的なものとして機能しているのだろう。

 というわけで、「メセニーの一枚」を選ぶとしたら、僕は彼の「夢の普遍化能力」が最大限に発揮されている作品である、この『レター・フロム・ホーム』を挙げたい。『レター・フロム・ホーム』は、すべてのトラックがきわめて緻密な構想に基づいて作曲され、演奏され、録音されているくせに、聴き手は何のストレスも感じずに心地よく聴ける、という、まさに奇跡のようなアルバムだ。冒頭の「ハヴ・ユー・ハード?」は4拍子と3拍子の組み合わせ(しかも4と3が必ずしも交互に出てくるわけではない)だし、「45/8」や「5−5−7」に至っては、どちらもタイトル通り8分の45拍子(!)と5拍子・5拍子・7拍子という、考えるだに恐ろしい変拍子だ。しかしどの曲も、ふつうに聴いている分には変拍子だということをまったく意識させずに流れていく、とても美しく自然なメロディであるところが凄いのだ。以前メセニーにインタヴューしたとき、彼は「変拍子だということを考えずに、自分にとって気持ちいいメロディを作ったらこうなっただけだよ」と言っていたけど…。
 メセニーが打ち込んだシンクラビア、ライル・メイズのキーボード群とメセニーのギターたちによって織りなされたトラックの上にペドロ・アズナールの「天使の声」が流れ、僕らはメセニーたちの「夢のコラージュ」に自らの夢を重ね合わせて、それぞれの「懐かしい場所」への旅を始める。懐かしいけど未知な場所、人間の集合的無意識が記憶している遠くて近いどこか。そのどこかをメセニーは「ホーム」と呼んでいるのかもしれない。
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 1985年にECMからゲフィン・レコーズに移籍したメセニーは、移籍第一弾として、オーネット・コールマンとの共演作『ソングX』をリリースした。メセニーにとっての最大のアイドルであるオーネットとともに、きわめて過激な演奏を展開したこのアルバムは、メセニー・グループの流麗なサウンドを愛好するファンたちの(そしてゲフィンのスタッフたちの!)度肝を抜き、われわれ聴き手はパット・メセニーというミュージシャンの底知れぬ「怖さ」を、改めて思い知らされたのだった。
 そして87年、メセニーは「パット・メセニー・グループ」としての移籍第一作となる『スティル・ライフ(トーキング)』を発表する。グループの前作『ファースト・サークル』(84 )で美しいワードレス・ヴォイスを聴かせたペドロ・アズナールは参加していないが、代わりにオーディションで選ばれたデイヴィッド・ブレイマイアーズとマーク・レッドフォードがヴォイスで参加し、『ファースト・サークル』での「汎アメリカ」的サウンドをさらに発展させた、スケールの大きい音楽を全面展開してみせた。現在でもコンサートで必ずと言っていいほど演奏される「ミヌワノ」や「ラスト・トレイン・ホーム」などが収録されている『スティル・ライフ(トーキング)』は、次作であるこの『レター・フロム・ホーム』と並ぶ大傑作であり、僕はこの2枚がメセニー・グループの最高傑作ではないか、と個人的には考えている。

 『レター・フロム・ホーム』が発売されたのは89年6月のことだった。ここで特筆すべきは、ペドロ・アズナールがグループに復帰し、バンド内での存在感を一段と強めたことだろう。メセニー、メイズ、スティーヴ・ロドビー、ポール・ワーティコという鉄壁のカルテットにアズナールが加わり、パーカッションは前作から引き続きアルマンド・マーサルという布陣は、まさに「最強」と呼んでいい。そして、先ほども触れた楽曲のすばらしさが、このアルバムの最大の魅力なのだと思う。複雑な変拍子や転調が随所にあるくせに、聴いた印象はきわめて流麗でメロディアス、という奇跡的な曲がこれだけ多く収録されているメセニーのアルバムは他にない。以下、それぞれの曲についてのコメントを記しておこう。
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「ハヴ・ユー・ハード?」は、前述したように7拍子(4+3)が基本となった曲だが、最初のインタールードとメセニーのソロは4拍子だ。コード進行はマイナー・ブルースを変形させた比較的シンプルなもので、ソロ・セクションはマイナー・ブルース。Cm-C#m-Dmと半音ずつ転調するが、転調を導くインタールードの展開が実に美しい。メセニーも、筆者が1992年に行ったインタヴューで、このインタールードは自分でもうまくできたと思う、と語っていた。

「エヴリ・サマー・ナイト」は、ミディアム・テンポのシンプルなエイト・ビート(4拍子で一部2拍子が入る)で始まり、ブリッジは3拍子で4拍子に戻る構造。めまぐるしくコードが動く転調だらけの曲だが、ギター、ヴォイス、ハーモニカ風のシンセが重なるメロディの、ノスタルジックな美しさは比類ない。

 切れ目なく始まる「ベター・デイズ・アヘッド」は、1979年に作られて、10年間録音されなかったという曲。クイーカの楽しげなリズムに乗って、いっけん非常にわかりやすそうに聞こえるメロディが奏でられるが、実はとんでもなくややこしいコード進行である、という「メセニー・マジック」の典型的な作品だ。ちなみに最初の8小節のコード進行は「E/F#-Bmaj69-G/A|G/A|Dmaj9-Ab9#11|Gmaj9|Em7-F#m7-Bm7|Am7-D7|Abm7-Db7b9|Gbmaj7」となっている。

「スプリング・エイント・ヒア」は、メランコリックなマイナーのメロディを持つ曲。ミディアム・エイトビートで、「決め」の部分は5拍子。メセニーはこの曲はスタンリー・タレンタインに影響された作ったと、公式ソングブック「PAT METHENY SONG BOOK」(Hal Leonard)の中でコメントしている。また、あるインタヴューでは「ウェス・モンゴメリー学派」の曲だ、と言っていたはずだ。

「45/8」はインタールード的な短い曲。メキシコあたりの民謡を思わせるサウンドとメロディだが、これが8分の45拍子なのだから笑ってしまう。公式ソングブックでの表記は「6+6+6+4+6+6+6+5」。 45になってますよね?

「5ー5ー7」は、タイトル通り(しかしテキトーなタイトルだなあ)5拍子・5拍子・7拍子の連なりが基本となっている曲だ。トップ・シンバルが3連符を叩く上で、アズナールのヴォイスとギターが、実に懐かしい、しかしその「懐かしさ」はどこから来るのかよく分からない、としか言いようのないテーマを奏でる。メセニーのソロも、歌心にあふれたしみじみとしたフレーズが次々に登場するすばらしいものだ。

「ビート70」は、ブラジルで作曲したというアップ・テンポのサンバっぽい曲。オルガン、ピアノ、ハーモニカ風シンセ、スティールパン(これもシンセだろう)、ヴォイスなどが交錯して、明るいテーマを奏でる。短いピアノ・ソロのみ6拍子で、コード進行の雰囲気もいわゆる「ジャズ」風になる(F#m7b5-Fmaj7-Em7b5-A+7)。

「ドリーム・オブ・ノー・リターン」は、アズナールがスペイン語の歌詞でじっくりと歌い上げる美しいバラードだ。「私は詩を海に渡した、自らの問いと声とともに。その詩は海の下に沈んでいった、まるでうたかたの中に消える船のように」。

「アー・ウィ・ゼア・イェット」は、ライル・メイズが作った曲。ハードで重たいビートの上で、メセニーのギター・シンセが変拍子のテーマを演奏し、エモーショナルなソロへと移行する。アルバム中で最も激しいサウンドを持つ曲で、後年の『イマジナリー・デイ』(97 )のサウンドの先駆とも言えそうだ。後半、この曲のテーマや「ドリーム・オブ・ノー・リターン」の一部がサンプリングされてコラージュ的に使われ、そのまま次の「ヴィダラ」へとシームレスに移行する。アズナールがアルゼンチンの古い旋律を借りて作曲したこの曲では、彼は英語で歌っている。

「スリップ・アウェイ」は、リヴァーブを効かせたドラムスのシンプルなビートの反復や、明るいアコースティック・ギターのカッティングなど、『ウィ・リヴ・ヒア』(95 )のサウンドのさきがけ、とも言えるサウンドの曲。ピアノをフィーチュアしたインタールードは半分の速さになる。

 アルバムの最後を飾るのは、タイトル曲「レター・フロム・ホーム」だ。ため息が出るほどに美しいメロディを持つバラードで、メイズのピアノ、メセニーのガット・ギター、ストリングス的なシンセ、そしてウッド・ベースによって演奏されている。メセニーはこの曲を作ることで、この箇所にはこれしかない、というただ一つの音をとことん追究するすべを身につけた、と公式ソングブックでコメントしている。

(December,2009 村井康司)

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