シュンペーター

"Innovation"の誤訳がもたらした功罪と継続的アップデートの必要性

「Innovation」をシュンペーターが定義したのが1911年。新たな結びつきを通じて新たな価値を生み出そうというもの。
日本では「Innovation」を「技術革新」と1958年に経済企画庁が紹介したことにより、「イノベーション」は「技術革新」という思い込みがずっと続いてきた。
※イノベーションについて(Wikipedia)

この功罪は大きい。

20世紀の第2次世界大戦後の時期は価値は「新たな技術」がもたらした。新たな技術によって新たな製品が生まれ、それをひたすら改善して品質を上げることが、経営における成功のカギとなった。生産・消費人口の急激な増加によって、市場は増える一方であったので、「新しい技術を開発し、品質を上げる」ことに注力すればモノは売れた。そういう環境であったからだ。
この環境においては、まさに「Innovation」は「技術革新」であっただろう。

しかし、20世紀の後半になって市場にモノが行き渡り、価値を生み出す要素としての技術の占める割合が著しく減少した。その時代で重視されたのは、人材育成も含めていかに効率よく作る・売る・届けるための仕組み作り、つまりは「マネジメント(経営管理)」であった。この時代でMBA(経営学修士)を始めとする「経営のプロ」が職業としても出てきたのは当然である。そしてこの時代の「Innovation」は「経営革新」だった。

21世紀になってさらに状況は変わった。「経営革新」が行き渡り、効率的に品質に優れたものを作って届ける仕組みは世界各国で当たり前になった。今や製造業でカイゼンだとかリーン生産方式だとかは、どこの国でもやっている。組織管理も同様だ。つまりどこでもそれなりのモノが作れるようになった。アマゾンしかり付随するサービスもどんどん新たなものが生み出された。モノやサービスも溢れかえり、(途上国や戦争が続く地域を除き)グローバルにそれなりに均質の生活ができるようになった今、新たな価値を生み出すための「革新」が求められるようになっている。

そこで重要になってきたものが「意味」である。モノやサービスそのものが持っている品質などが同じであれば、価格競争にしかならない。
そのモノやサービスに込められる「意味」やそれらを使う「意味」、そしてその「意味」が使い手にもたらす価値をどう生み出すかを考えて、独自の価値を伝えていく。そういった「意味の革新」が重要な時代環境に突入しているという自覚を持ち、考え方をアップデートできるかどうかが、今の時代の経営のスタートラインだ。

もちろん、技術や経営についての継続的な改善は必要であり、「技術革新」や「経営革新」が必要ない、というわけではなく、地層のように技術・経営への取り組みは引き続き必要とされつつ、さらに「意味」の革新が必要となってきた、ということだ。

現在、こういったことが最も活発に行われている地域がミラノだ。
→(参照) https://www.worksight.jp/issues/1047.html
蛇足になるが、この最前線の地で日本のモノ・サービスの「意味の革新」に取り組むことが「文化ビジネス」の次を切り拓くと確信を持ったことが2018年よりミラノの地で事業展開を開始した理由の一つでもある。

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