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『中世の秋』ホイジンガ‐Ⅰはげしい生活の基調、Ⅱ美しい生活を求める願い

■概要
15世紀初期ルネサンスの時期の欧州がどのような時代や社会だったか。ホイジンガも言うように十分な理解を近代人はできていない。同じ言葉を使っていても、時代環境が異なっているが故に、その言葉の持つ意味や概念、重みなどが異なる。そういったことを感じる内容だった。

キリスト教が全てを規定し、それを誰もが疑っていなかったそれまでの時代から少しずつ移り変わっていく中で、15世紀初期は信仰と復讐欲が混ざり合い、宗教儀式も形骸化し、むごたらしい殺戮、傲慢、権力闘争などの暗黒な雰囲気が社会を覆っていた。このような時代だったからこそ人々は終末・破滅に向かっていると感じていた。そんな中、人文学者たちが古代の知恵を手にし、喜び、それがルネサンスへと繋がっていった。

こんな激しい気性、情熱、そして傲慢・怒り・権力が覆った時代背景だったからこそ、人々は美しいものを求め、惹きつけられていった。
ルネサンスは、人生の喜びを排斥する考え方を捨て、生活と自由に楽しむという考え方に至った。それまでは退廃的とされて俗世のものとされていたものが変わっていった。
その一方で、美を俗世に落とさずに高貴なものに高めようとする貴族を中心とした人々もいた。彼らを中心に生活様式の美学は花開き、権力者は立ち居振る舞いや儀礼などあらゆる生活の細部を極度に高め、規定していった。そしてそれは教会での祈りも処刑など死の場面でも同様だった。

これらの真剣かつ激しい心がぶつかり合って生まれていったものが美しい作法であり、うわべの美しさの中にある粗野な荒々しさも顔を出していた。

■わかったこと
それまでの価値観が大きく変容する時代、特に前提となる世界に対しての認識そのものが大きく揺らぎ、なおかつ将来に対する希望が持てない環境だからこそ、「美」への意識が高まっていくというのは、人間だからこそのとてつもなく納得感の高いものだった。5段階欲求が満たされてからの上位にあるのではなく、人にとっての「美」は、そもそも大前提として救いであり、存在理由でもあるし、心の表出といっても良い。

また人間が「美」を通じて激しく戦い合う様は、ルネサンスの宮廷だけでなく世界共通で見られる事象だ。圧倒的な力などで人々を押さえつけることには限界がある。そこには教養・知識など人間の知性が注ぎ込まれた美しい文化の力が必要となってくる。だからこそルネサンスの時代にリベラルアーツも教える大学が次々と増えていったののもそういう背景があったのだろう。
日本でも戦国時代という日本史上最も激しい時代に、美意識の総合的極致とも言える茶の湯が生まれたが、ここでも共通しているのは、美しい儀礼の中に激しい戦国の武士や人々の権謀術数や駆け引き、そして過剰なまでの物への投資が行われていたという事実だ。


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北林 功(Isao Kitabayashi)
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