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『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造2』(フェルナン・ブローデル) ‐鍵となる問題−鉄 貧乏な親類

フランスの歴史学者、ブローデルの「日常性の構造」を読んでいくオンライン読書会。今回は第5章「技術の伝播 鉄−貧乏な親類」を読む。

【概要】
鉄は19世紀初頭までは全世界生産量は200万トンで、世の中を変えるものではなかった。ヨーロッパでは1525年前後は10万トン、1700年頃は18万トン、1810年は110万トン、1840年には280万トン(半分はイギリス)という増え方だった。それが1970年代には7億2千万トンに達した。

製鉄術はカフカーズ地方を起点にBC15世紀には「旧世界」で広がった。中国でもBC5世紀には鋳鉄が石炭を用いて行われていた。この2ヶ所でだけ先行した。中国では石炭、そして低音で溶解する鉱石が採れたことが大きい。溶鉱炉の技術も発展し、ヨーロッパでは1800年以上経過してから出現したようなものがあった。炭素を含んだ特殊鋼も開発し、それがインドなどに広がっていった。しかし13世紀以降は中国は停滞し、進歩しなかった。

ヨーロッパでは、鉄鉱石は存在したが技術は緩慢な発展であり、11-12世紀の水車の発展により動力を得たことで進歩した。そのため燃料のある森林から川辺へと製鉄所が移っていった。炉も発展していき、鉄の製法や種類も高度化していったが18世紀末までは鋼鉄はできなかった。このように技術面の土台は動きが鈍かった。戦争用の武器、日用品などで需要はあった。15世紀末期のブレシアには武器製造工場が200ほど、16世紀のリヨンでも武器や染織道具、その他のフランスの地域では農具などが生産された。ニュールンベルグ、17世紀のスウェーデンの冶金術、18世紀のウラルでの産業発展などでも集中が見られたのは河川水路や海上航路の便が得られるところだった。スペインからフランスにまたがるビスケー湾でも鉱脈・大洋・川が流れる山岳・森があったので冶金業が発展し、イギリスにも売っていた。つまりスペイン艦隊と戦ったイギリス艦隊はスペインの鉄で装備していた。

中世は銅が鉄と同等かそれ以上であり、大砲も青銅製だった。それは銅の冶金術が比較的容易だった。この鉄の慎ましい順位は、偏在する木材つまり燃料の支配下にあった。

【わかったこと】
「鉄は国家なり」と20世紀以降は言われるようになるが、実は19世紀まではそういう状況ではなかったということがここまでの流れから理解できた。産業革命が起こる前後でまさに劇的に状況が変わったと言える。そしてこの鉄のところから分かるのは、燃料が木材という時代ではそれが制約条件になっていたということである。河川や海といった運搬についての自然条件も大きいが、エネルギー源の変革が鉄の変革を促したということが伺える。

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