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新しいものに対する姿勢

以前、「先人の経験の重み」という記事を書きました。そのきっかけは、変化の激しい現代社会において、我々が先を見すぎて過去を軽視しているのではないか、という思いからでした。

確かに過去は重要ですが、過去に縛られているだけでは前進はできません。今回は、私の未来に対する考え方に焦点を当ててみたいと思います。

まずやってみる

ある日のこと、私は自分のデスクに向かって座り、窓の外に広がる街の景色をぼんやりと眺めていました。そんな中、ふと私は考えました。
「この変わりゆく世界で、自分はどう生きていくべきか?」
テクノロジーの進化は目まぐるしく、毎日のように新しいツールやアプリケーションが登場しています。しかし、その速さに身を任せてばかりでは、本当に大切なものを見失ってしまうのではないかと思いました。

ふとしたきっかけで、AI技術の進化に目を向け、それを自分の生活にどう取り入れることができるかを考え始めました。私は一歩を踏み出すことに決めました。「まずやってみる」。このシンプルな言葉が、私の新たな挑戦の始まりを告げる合図となりました。

ただし、この「まずやってみる」は非常に危険を伴います。前職でもよく聞いていた言葉ですが、彼らは残念ながら脳死状態でした。そのような「まずやってみる」は意味を成しません。私の場合、AI技術がどのようにサポートできるか、何を提供できるかを考えながら試みました。

AIとの出会い

最初に試したのはChatGPTでした。深夜の静かな部屋でキーボードを叩き、AIとの初対話を開始した瞬間は、未だに鮮明に覚えています。しかし私が打ち込んだ質問に対して、画面の向こうから返ってくる回答は、私の望んでいるものではありませんでした。あれ?こんなものなのか?と感じ、正直なところ使えないなと思いました。これが第一印象でした。

でも、世の中を見ているとそんなことはなく、あれもできるこれもできるといったyoutube動画もたくさんありました。だからきっと私に問題があると考え、私はめげずに使い続けました。
3か月ほどたった頃でしょうか。まるで長年の友人と話しているような不思議な親近感を覚えました。作文の添削を求めれば素晴らしい文章を返してくるし、分からないことを聞けば懇切丁寧に教えてくれ、間違うことさえあれど徐々に私の望むアウトプットを出してくれるようになりました。
この時ようやく、AIのスタートラインに立てた気がしました。

ライブ配信との出会い

話は変わり、次は配信の例です。私はこれまでの人生のほとんどの時間を動画を見る側として過ごしてきました。多くの人がそうしているように、私は日々当たり前のようにyoutube動画を見ていました。そんな中、とある出来事がありました。それは、クローズドな環境を提供するからそこにおいでというものでした。
インターネットは匿名でできるので、炎上することも多々見受けられますが、クローズドというのは、簡単に言えば同じ考えを持った人間が集まる場所、そこで好き勝手話し合う場所のことなので、非常にいい環境なのです。

この場で求められたのは、自分の考えを発信することでした。これまで「自分には伝えるべきことが何もない」と思っていた私にとって、これは革新的な挑戦でした。しかし、新しいことに挑戦することで、自分が持っていない技術やアイデアを身につけられると信じています。そこで、「まずやってみる」という精神で挑戦を決意しました。

詳細は割愛しますが、配信ボタンをクリックする瞬間までのためらいを乗り越えるのに数ヶ月を要しました。当時の私にとってこのときのプレッシャーは凄まじいものでした。夜も眠れなかったことを記憶しています。
しかし、一度その壁を越えると、ライブ配信は私の日常の一部となりました。この経験は、自分の考えを人に伝え、また人々の考えを引き出すスキルに直結していると実感しています。

持続的な挑戦

AIとライブ配信への挑戦を通じて、常に新しいことに挑む意義を再確認しました。人生100年時代を生きる私たちは、どんな年齢でも挑戦を続けることが重要です。挑戦を避けることは、いかなる年齢でも精神的な老化を意味します。私は引き続き、「まずやってみる」という姿勢で新しい価値を提供し、変化する世界に適応しながら自分らしいペースで前進していきます。


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