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たいらの湯 創出までの物語 ②

ちょうど会社が倒産する少し前。

介護保険制度が始まった。

大学の同級生たちも、間もなく訪れる勤続10年を見据えた時、段々とその活躍の場を
介護の業界へ移し始める者もいた。

そんな時期でもあった。

元々そっち系でも学生やってたんだし
人口推移から見ても
これから先定年迎える30〜40年は
食いっぱぐれ無いんじゃないの?

と、またまた軽い動機で
社会人履修生として介護福祉士の資格を取るための
学校へ。(カー用品販売や車両整備しながら)

そこで多様な事業形態があるのだと分かり、
まずは修行のつもりで
各形態に数年ずつ在籍してみよう。

2年×5種類で10年
その頃には誰にも負けないものに辿り着くだろう。

そんなプランを
ボンヤリと考えた。

どうやら介護の業界も車は必須アイテムっぽいし。

これまでの経験はそのまま
車両整備やらはこの頃夜間の副業として
車社会群馬では現在に至るまで
自身の生活で大きな節約手段として貢献している。

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資格取得と同時に
初めて入った介護事業所は
小規模多機能型の事業所だった。

え⁉️

何コレ⁉️

介護ってこんなの⁉️

確かに授業では
理想と現実は違っているって言ってたけど・・・

相手は人だよ⁉️

何この人(介護スタッフ)たち⁉️

コレが老後⁉️俺の⁉️

絶ッッッッッ対にイヤだ!!

風呂は夜入れない
ベッドはすし詰めタコ部屋状態(ブラックでした)
アパートのような狭い風呂
ご飯の用意をしながらの10人近くの入浴介助
こんなので良いわけない。
こんな働き方もあり得ない。
こんな老後の過ごし方が良いわけない。

なんて思いながら薄給に次ぐ薄給に耐え
とにかく経験だと言い聞かせて
働き始めて間もなく2年を迎える頃

初々しい新婚の頃のおしゃべりとは
全く違うトーンで

あなたとの未来が見えない。
彼氏がいる。

介護で一旗あげようと奔走していた自分は
頭が自分のことでいっぱい。
パートナーへの感謝や思い遣りを置いてきていた。
何年か過ぎて、あの頃の我儘な行動や言動が
辛く寂しい思いをさせてしまっていたんだろうなと
振り返る。

けどこの時は衝撃の、本当に衝撃の事態だった。

結構な打撃だった。
まず動けなくなった。
食べられなくなった。
何より人間が信じられなくなった。

オッサンに差し掛かる年齢になってきた自分が
その脂肪を18キロほど失った時
友人に引きずり出されて
久しぶりに食事らしい食事を摂った。

ご飯って
自分を気にかけてくれる人と食べると
食べられるんだな〜・・・

寝るだけダイエットはココで終了。

ようやくまた元気なたけちゃんに戻ってきて

そして

そしてここから、
約10年にわたる介護の常識?との闘いがはじまった笑

《続く》

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