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それでも暮らしは続く。

2024年の夏に引っ越しをした。
彼と別れたとか、結婚とか、妊娠とか、そういう理由は何もなくて、純粋に部屋のアップデートが目的だ。

旧居は彼にとって、とてもストレスの多い家だった。大切なバイクを手元に置くことができず、家から離れた駐車場に停めて凌いでいた。いざ乗ろうとした朝に故障が見つかって予定がおじゃん...という場面も何度も目にした。

バイクのことはさっぱりだけど、気の毒だと思いながら見守ることしかできない。
なぜなら都内でバイクが置ける賃貸はそもそも母数が少なく、条件にハマる物件が出てくるのを待つことしかできなかったから。

根気強く、1年ほど探しに探してポッと出てきた物件に彼は声を荒げた。「やっと出た!」

そこは都心からは少し離れてしまうけれど、お互いの職場へのアクセスは良く、なんといってもガレージ付きの新築物件だった。居住空間も私が憧れていた吹き抜けタイプでときめいた。
家賃は少し上がってしまうけど、旧居の家賃+バイク駐車場代とトントン。ならば手元に愛車を置いて毎日愛でることができるならばお釣りが来る。

閑静な住宅地、隣には小学校で治安も問題ない。
日当たりは旧居と比べると劣ってしまうけど、私たちは契約を急いだ。

無事に引っ越し完了し、ここに暮らし始めてあっという間に2ヶ月が経とうとしている。
住み始めて違和感を感じ始めたのは2週間ほど経ってから。

朝通勤のため駅に向かう。街が一体全体、とても臭いのだ。
約3m間隔に集積所があり、加えてゴミ出しのマナーが全体的に荒い。これにはとても驚いた。
市全体が道にゴミを集めるシステムである以上、このルールが異臭を生み出していることに悲しんだ。私一人の力ではどうすることもできないが、まずはできることから自治体へ不満や問題を指摘して声を上げた。返ってきたのは、「パトロールを強化します」と根本的な解決策とは程遠い言葉だった。
後日、近隣のゴミ集積所にはA5サイズくらいの注意喚起の張り紙が貼られていたけれど、それを覆い隠すかのように畳まずに投げ捨てられたダンボールや、カラスに荒らされた生ゴミが痛々しい。

なぜ内見時、街を回った際に気づかなかったのだろう。沸々と後悔が押し寄せ、私は毎日「旧居に帰りたい」と感じるようになってしまった。

私はインテリアが好きで、部屋が好きで。暮らす・生きるために選んだ"家の質"。
「彼が可哀想だから」といい感じの言葉を綴ってはいても、結局は30歳を迎えた人生の節目に、駐車場のことでモヤモヤして何事も踏み切れない彼との暮らしへの終止符を急いだのかもしれない。切実だったが故に、暮らしの本質を見失っていた気がする。

それでも暮らしは続く。
今日も街を歩く。


あんなところに住んで大丈夫?

うるさいな、知らなかったんだよ・・・

どうせやったって。

誰かがなんとかしてくれる。

そんな汚い心がこの街を作った。


ただ歩く。それだけのことで、私はひどく疲弊するようになった。どこに住んでいても同じ太陽が、毎朝生ごみの腐敗臭を助長させる厄介なものに感じるのに、旧居と比べて日当たりが悪い部屋で目を覚ますと、差し込まない太陽にガッカリする。

ここまで書いておきながら、"ゴミ"に対する意見は、耳が痛いと感じる人も多いのではないかと思う。または、ヒステリックな叫びに聞こえているかもしれない。もちろん「ちょっと過敏になりすぎだよ。」と彼からも言われている。自分でもそう思う。怒っている人は、自分が正しいと思うから怒っている。だから見失っていることもたくさんあるのではないかと思う。私は、私の信じる正しさがどんどんエスカレートして、誰かに異端児と思われることも同時に怖いのだ。

暮らしていくだけで「怒ったり、恨んだり、悲しんだりに疲れたから考えないようになりたい」と願ったり、「怒り続けて自分の信じたことをしなくちゃ私も同じになってしまう」と二人の自分の間を彷徨っている。悩みの根源は街のゴミだけど、今そういう自分に苦しんでいる。

しばらく考えて、私は自転車を買おうと決めた。
利用せざるを得ない道や駅の汚さはもう割り切ることにして、私は、私の暮らしの半径をもう数キロメートル広げて"好きだな"と感じる場所を見つけようと思う。
残念ながら、歩いて散策すると、汚いと感じてしまった瞬間に足裏から虫が這い上がってくるようなゾッとした感覚が付き纏ってしまうのだ。(ここまで過敏になってしまった..)
素敵な場所も知っている。ここにいて大丈夫。
そうやって自分を慰めるように信じ込ませていくことが今の私には必要だ。自分の中の正しさをコントロールしていきたい。

自然と、街と、人と、生きている。
どこかの企業CMでありそうな言葉だけど、暮らしの本質にこの引っ越しを通して気づけた。
駐車場の件で、ずっと旧居にモヤモヤしていた彼も、いまの私とは少し違うけど、いくら質の良い家に住んでいようとも、暮らしという大きな傘に穴が空いて、びしょびしょになりながらやり過ごしていたのかもしれないな。

それでも私は、引っ越しはしない。(金銭的に厳しいと言うこともあるのだけれど...)

もしかしたら私が声を上げ続けたら、隣のゴミ集積所の撤去くらいはできるかもしれないし、見たくないものから物理的に距離をとっていたら、お気に入りのスポットが見つかるかもしれない。今は足裏もつけないような私だけど、いつか絶対、寝そべって読書ができる場所を見つけ出してやるからな。

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