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第二話 自分新発見 〜コロナ神の出現で顔を出した「自分らしさ」のこと〜

10年前には、目に見えるかたちで時代が変わった。
2019年の5月1日、元号が平成から令和に変わった。
ぼくは、その改元の瞬間、0時を回る瞬間に岐阜県の郡上八幡にいたんだ。
母親を伴って、大好きな改元祝い郡上おどりに参加していた。
そういえば、翌日の新聞の写真にちらっと紛れていたっけ。

そんな5月の改元から時は流れ、令和になってはじめての正月を迎えた。
その頃に、世界がこんなことになろうとは誰が予測できただろうか。

ぼくがコロナ神の出現を強く意識するようになったのは、2月の終わり頃だろうか。
突如、休校要請が発表されて、これはただ事じゃないぞ!という雰囲気が世の中を覆った。

***

2月の終わり、コロナ神が出現してからの、ぼくの心境の変化を追ってみたい。
ホップ・ステップ・ジャンプと、3段階に展開していったように思う。

まず、第1段階としては、どよ〜んと落ち込んだ。
ちょうどいくつかの大きな仕事に区切りがついた頃だった。
さあ、次の仕事が来ないものかと待ち構えていた時にこの騒動。
仕事がない、大丈夫だろうか、この先やっていけるだろうかという不安。
目の前にやることがないという辛さ、なんにも役目がないと自分に価値がないと思ってしまう。
気力がわかないものだから、布団に突っ伏し、もぐりこんで嵐が止むのを待つのみ。
ま、そういうことは定期的にやってくるものでもあったが。

落ち込み期も、そうは続かない、第2段階がやってくる。
何かしなきゃ!と、手探りながら動いてみる時期に入る。
自分のやっている仕事をオンライン対応できるように仕組みを整えたり、自社サイトをリニューアルしてみたり。
Zoomを使ったオンライン交流会を企画したり、コロナを逆手に取るビジネスアイディア発想シートをつくったり。
止まっていた自主企画を動かそうと、Tシャツつくってみたり、陰陽師シール企画に手を付けてみたり。
そうやって動いてみるものの、なんか、アレ?手応えを感じない。
これは誰かの役に立っているのだろうか、自分のやるべきことなのだろうか。
色々なものに手を出し、その感触を確かめるように自問自答をする。

そう、コロナ神が問いかけてくる。
お前は何がしたいんじゃ〜?
お前の役割な何なんじゃ〜?
お前の力を求めているのは誰なんじゃ〜?

***

自分らしさって、つくづく不思議な言葉だと思う。
自分は自分じゃないか、なのに「自分らしい」とはいったいどういうことなんだ。
自分はいつだって自分で、他のものであらざる存在なはずなのに。
人には、自分が自分じゃないように感じてしまう瞬間がある、だから「自分らしら」なんていう言葉が生まれるのか。

コロナ神に攻め入られて第2形態に変形したぼくは、ジタバタとあがいていた。
これだ!と思っては動き、あれか?と思っては動き、でも、どれものれんに腕押し。
そのうちに、ジタバタするのはやめよう、と思うようになった。

ジタバタしなくなったぼくは、スマホでゲームをやりはじめた。
パンドラの箱に手をつけてしまったのだ。
思えば、学生の頃はゲームばかりしていた。
それはそれで楽しかったのだけど、ある瞬間に感じる虚しさ。
「おれは、なんていう無意味なことに時間を使ってしまったのか・・」
何十時間も投入したはずなのに、何も残っていないじゃないか。(正確にはLVがあがった主人公たちはいたのだが)
そんな虚しさを胸に、ぼくはゲームを封印した。
自分の人生にゲームはないものとして、社会生活を送っていた。

それが、ここにきて、コロナ神に攻め込まれているうちに、ひょっこりと顔を出した。
何をやろうと、吟味をしはじめた。
新しいゲームには何の興味もわかなかった。
ぼくの青春時代を共にしたRPG、思い出すだけでワクワクしてくる。
iPhoneのAppストアを除けば、FF(ファイナルファンタジー)もドラクエもスマホ版に移植されているではぁないかぁ!!!

最初に手にとったのはFF6だった。
あの退廃的な世界観、世界が引き裂かれて、海は赤い色をしている。
瓦礫の塔のケフカをアルテマ!の連発でやっつけて、世界を救った。
ノスタルジックな感情が、こんなにも甘美なものだとは思わなかった。
当時のワクワクが蘇ってくる、感情の追体験だった。
コロナ神が見せてくれたぼくの第3形態は、寝ても覚めてもゲームしかない引きこもりだった(笑)。

***

気がつけば、第3形態のぼくは、ゲームをしているか、ギターを弾いて歌を歌っているか、インターネットをしているかの引きこもりだった。
そう、気がついてしまった・・!

17歳の頃のぼく、高校3年生の頃のぼくは、ファイナルファンタジーをやって、ギターでミスチルを弾いていた。(インターネットはまだなかった)
25歳の頃のぼくは、PCのエミュレーターでファイナルファンタジーをやって、宅録で楽曲をつくって、インターネットでmixiにつながっていた。
40歳のぼくは、まさか、ゲームと音楽とインターネットだとは!?

人はそうは変わらない、三つ子の魂百までも。
昔の人はよく言ったものだ。
27歳で人生初の就職をしてからというもの、ストイックに自分を高めることしか頭になかった。
その原動力は、圧倒的な自己肯定感の低さ。
自分はダメなやつだ、価値がない、もっとがんばらないと、あの人に比べて・・なんで自分は、等々。
そんなだったから、ストイックにならざるを得ない。
ゲームを封印せざるを得ない。

だから、「自分らしさ」を捨てずにはいられなかったのだろう。

第3形態が顔を出す前までは、自分は社交的な人間かもな〜なんて思っていた。
社会人として仕事をする中で、独立してフリーランスとして、人付き合いをうまくやらなければ生きていけない。
だから、「自分は社交的な人間だ」と暗示をかけて、たくさんの人と付き合ってきたのだと思う。
ぼくのことを社交的な人間だと見る人は多かったのではなかろうか。(一部、勘の良い人は気づいていたみたいだけど汗)

コロナ神が見せてくれた自分らしさ。
それは、引っ込み思案で、ゲームが好きで、考えるのが好きで、別に誰かと話をしていなくてもへーきな人。
人と接するのは、つい構えてしまってどちらかというと苦手な人。
でも、何かを創ったり、考えたり、ひらめいたりする原動力のためには、人と接触する必要がある。
だから、今日も誰かに会いに行くんだ〜バイクに跨って〜。

つづく

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