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左耳のピアスには笑えないエピソード

「ころくさんって、ゲイなの?」

2018年も後半に差し掛かった頃、何人かに立て続けに聞かれた。

渋谷区で同性婚が解禁されるなど、都心部を中心に多様な性に対する理解が進んできている昨今。確かに進んできてはいるが、このストレートな質問には少なからず面を食らった。

僕自身はストレート(異性が好き)なので(だからかもしれないが)、そう聞かれても素直に答えるだけだし、質問をした人たちを嫌いになることはない。それでも、もし自分がゲイで、それを隠して生きていこうと決めていたとしたら……そう考えると、心がざわついた。

なぜそんな質問をされるのか。僕が左耳に、一つだけピアスを開けているのが原因らしい。

試しに「左耳 ピアス 男」でググると、ヤフー知恵袋に同様の質問が山積され、「左耳にピアスを開けた男性はゲイ?由来は?」「左耳のピアスに隠された本当の意味は?」といったSEOファーストなブログがたくさんヒットした。

「左耳にピアスを付けている本当の意味って何??」
「男の片耳ピアスはどっちにつけるべき?」
「ピアスを開けるなら片耳がおすすめな理由」

どうでもいいわーと思いながらブラウザをそっと閉じる。LGBTQとかLGBTsとか、そこに僕が何か主張するものもないや。それくらい、正月の僕には余裕がある。むしろ、正月早々から重たい話をするほどまだ脳が働いていないというのが正直なところだ。

久しぶりに年末年始を東京で過ごす。大移動と大した予定のない年末年始ほど快適で怠惰な休日はない。大都会東京ですらほぼ機能停止。何もやることがない。

そうなると、ただただテレビを付けてお笑い番組を流し、実はまだ読んだことのなかった『BANANA FISH』をちまちま読み進め、NETFLIXの『ブラック・ミラー バンダースナッチ』を観て、気ままにお雑煮を作って気ままに眠るしかない。

この瞬間こそ、この怠慢な人物こそが本当の自分ではないかということに安堵し絶望する。怠慢な自分にとっては、Twitterのタイムラインですらキラキラ眩しくて近づけない。それでも、三が日を過ぎる頃には絶望がハナ差で安堵を追い抜かし、東京ベンチャー村というまだ何も成し遂げていない人間たちの戦場に僕をかろうじて押し戻す。

毎年、この繰り返しだ。今年もきっと、色んなものやことに期待し、失望し、希望し、絶望すると思う。その中で見つける小さな発見や感謝や感動を積み重ね、日々かろうじて生きていく。

それが、「誰にも期待しない」といいながらもどこかで期待していて、人知れず傷付いたり感動したりする僕の生き方だから。

脳内が食事と睡眠とコンテンツに蝕まれている今はまだ、抱負を掲げられるほどの意識はない。非常にmixi的なエントリーを残しつつ、今年こそはコツコツと日記めいたなにかでもいいから書き記しておくことだけを誓おう。

それはそうと、僕が左耳に一つだけピアスをしている理由は、高校生の頃だったかに読んだ漫画版『バトルロワイヤル』の三村が叔父さんの形見に付けていたピアスが異様にかっこよかったからであって、それ以上でもそれ以下でもない。笑えないエピソードだ。

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