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7/12 テート美術館展 光 

めちゃ良かったな〜とじわじわ感じる展示会だった…

簡単に,簡単に,内容と感想。

展覧会は18世紀の宗教画からはじまる。正直古典絵画のパートは単体で見たらパッとしない。けど部屋を進むにうち、完全に間違いだったことに気づく。その後の現代アートたちを産み落とした豊穣な時代の代表絵画たちにすぎなかったのだ、と思わせてくれる。

18世紀の時には、光は畏怖の対象だった。コントロール不能な、自然の中の一つとしての、光。

それが19世紀に入って、ゲーテが色彩と光について論じ、その本がターナーに影響を与え、同時に産業革命がおこり、ロマン主義も誕生し、当然の如く印象派が芽吹き、光と色彩の効果が確立し、私たちは光と色彩の関係も当たり前のように知っているし、毎日の生活で、電気を点けたり消したりしてるし、畏怖の対象だった光は、もう、特別な存在ではなくなったのだ。


ペー・ホワイト ぶら下がったかけら

よく見るとぶら下げているヒモの色も異なる。いままさにかけらたちが目の前に落ちてきたような。色によってスピードが異なる気もする。

オラファー・エリアソン 星くずの素粒子

写真なんて載せない方がいいんですがめくるめく光の歴史をみてからみたら、きっと感動すると思う。
「宇宙の広がりと儚さ、その中で私たちの居場所を探る方法としての光」で展覧会は終わる。

光は、もう身近なものに変わったのだ、というあまりにも簡単な、事実を知る。光と色彩の関係はプリズムを通して見たから当たり前に知っている。あまりにも日常に溶け込みすぎて気付いてなかった。

でも宇宙の広がりと、私たちの居場所を探る方法としての光って、結局、18世紀の絵画のリバイバルなのかも。どんなに身近にあっても、光は、宇宙や深海、そして私たちがまだ見ぬ未来のような、不確かで恐ろしいものを照らし、私たちをその中に導いていく。私たちは光を頼りにその中を進むが、光自体は、不確かで恐ろしいものの中で、ただただそこにあるだけ、ということという気もしている。

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