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専業非常勤から常勤職に就くまで

 前回の記事から怒涛の半年がすぎた。この春に転籍しまして、現在は通算三つ目の常勤職です。引越もしたのでバタバタで(この8月でようやくダンボールを9箱あけた。まだ控えている)、休日は無の状態。今になってようやく、体力が戻りつつある……気がする。でも暑くてすぐ横になりたくなります。
 8月は大学教育職員公募の締切の最初のピークだと思う。なにはともあれ、書類を出さなければ始まらないですよね。。書類作成の苦しみを思い出しながら書いていたら、とても長くなってしまいました。今回は、専業非常勤講師をしていたときの話です。

「なんとかやっていく」は大事

 専業非常勤になってから数年間は、ありがたくも年々コマ数が増えていった。週5日で、確か11〜13コマは働いていたと思う。日曜日以外のほぼ毎日、午前と午後であちこちの大学を移動していた。移動のほうが時間がかかる非常勤先のほうがザラにあった。ただそのおかげで、別に定期的なアルバイトをしなくてもやっていけるくらいの収入は得られた。
 またこの頃がんばっていたのは、研究費を得られる機会になるべくチャレンジしたこと。残念ながら学振PDは取れなかったが、その他で助成金をいただくことができた。また、同じような若手研究者の研究グループに参加させていただいたり、所属学会に降りてくる仕事で声をかけていただいたり。大学院を出てようやく、周囲にいろいろな研究者や研究活動の場があることに気づいたのだった。

 今思えば、あの頃に断らなかったことが幸いだったのかも。非常勤のコマも共同研究も、自分に声をかけてくださることがありがたく、ちょっとしたデータ整理でも原稿でも、できる限り引き受けていた。
 あと、どんなことでもとりあえず、止まらないでなんとかやっていったこと。教員になって10年以上たった今でもよく、「今日の授業はうまく伝えられなかったな、時間配分が難しすぎる」「ディスカッションを盛り上げられなかったな、どうすりゃいいんだ」「あの会議でなんで言い返せなかったんだ、自分の度胸と反射神経のなさが悔しい」など、仕事がうまくいかず嫌になることがある。
 それでも時間がたてば、よっぽど理不尽なことでなければ、まぁだめでも仕方ない、くらいの気持ちになれる。授業はまた一週間後にやってくるし。なにより非常勤は、来年度の担当としてまた声をかけていただけるとは限らない。収入のためにも、辞めるというわけにはいかなかったのだ。

共同生活のありがたさ

 次の年にどうなっているかもわからず、でも毎日の仕事は忙しい。こんな暮らしでやっていけたのは、毎日長距離移動しまくっても電車の中で寝れば頭を切り替えられる体力と精神力をキープできたからだ。それはたんなる年齢的な要因だけではない。
 その頃わたしが暮らしていたのは、家賃など+食費もお支払いすることで、手作りのごはんを食べさせてもらえるシェアハウスだった。おかげで朝晩にきちんと食事をとれたし、非常勤先で困ったことがあってもシェアメイトに話を聞いてもらうことができた。専業非常勤のつらいところは、ただ授業をするためだけの勤務なので、他の先生方や職員さんとゆっくり話をする機会がなかなかないこと。講師控室でご一緒する先生がいても、授業前後の忙しい時間に相談を聞いてもらうのも申し訳ない。
 もし一人暮らしだったら、ハードな仕事と将来への不安で、孤独でぐるぐると思いつめる状況だったかもと思う。博士論文を提出する前のことだったと思うが、一度、夜中に倒れかけたことがあった。体調も良くなかったが、それ以上に、もしかしてこのまま消えるのか?といったん思い始めるとどんどん怖くなり、過呼吸になってしまったのだ。
 そんなときに、同じく研究者の友人がシェアハウスを始めるということで誘っていただけたのだった。そのお声がけに乗って、本当に良かった。誰かと暮らすことなどまったく考えていなかったのに。
 シェアハウスの住人には、わたしが住んでいた数年間だけでもたくさんの入れ替わりがあった。年齢も職業もSOGIもバラバラないろんな住人がいて、それぞれのお客さんも多く、不思議な出会いの多い有意義な経験だった。たまたま来ていた人に話を聞いていただいたり、その逆があったり。自分の未熟さにも気づいたし、自分だけでは知る機会のなかっただろう情報を教えてもらうこともあり、視界が開ける数年間だった。

公募に出す大変さとは、一体何が大変なのか

 そんな暮らしのなかで大学教員の公募へ書類をあちこち出していたが、書類を通過して面接まではいくものの落ちてしまう、という状態が続いた。
 みんな思うことだろうけれど、面接で落ちるのは本当に落ち込む。面接に呼ばれるとうっかり期待してしまうし、「面接が終わったら数日以内に内定の連絡が来た」という話も聞いていたので。数日間ドキドキしながらスマホを眺めてすごし、日に日に期待がしぼんでいく。(ただし……わたしの少ない経験から、選考委員会の決定が絶対に覆されない組織だとか一本釣りで形だけの面接だとかでないのに、たった数日で「内定」にはならないはず。分野や公募の時期によっても違うだろうけれど。模擬授業と面接についても、また別に記事を書きたい)

 なにより、書類作成がほんっっっっとうにたいへん。ほんっっっとうに。さいきんは文部科学省の業績書類の書式をアレンジする大学が増えてきた気がするが、くせものなのは「アレンジ」だ。なぜ各大学がおのおの独自にアレンジするのか。ExcelとWordという形式の違いから始まり、「記入例」と実際のフォーマットのフォントや文字位置が異なっている、改行すると行間がずれる、和暦と西暦が混在している、業績の概要の書き方がバラバラ、あるいは元から一切の記入例がない……。なんやねん。しかも入職してからさらに「正式」な、つまり認証評価で使ったり法人本部で保管したりするための書式ファイルに書き直させられることもあった。だったら最初からそちらの書式を使わせてほしい。
 ちなみに、もう、少しくらい記入例どおりじゃなくていいですかね(たとえばスペースの入れ方とか)……と諦めたくなるが、そういう細かいところが「見本どおりになっていない!」と低い点数をつけられることもあるという。だからやっぱり公募書類づくりはとても煩雑なのだ。本当に、書類作成だけで数日かかる。そういう苦労を経て面接にこぎつけ、さらに模擬授業の準備や面接の想定問答づくりにも時間をかけたのだから、受かってほしいと期待するのも無理ないではないか。

 ある年、二つの地方私立大学から面接と模擬授業の連絡をいただいた。しかもなんと、間に一日あけて連続。模擬授業の指定テーマまでは覚えていないが、幸い、あまり離れた内容ではなかったと思う。
 公募二つとも、募集要項に提示された担当科目のすべてが自分の専門分野とマッチするものではなかった。業績もあまり目立つほうではない。それでも面接に引っかかったのは、とにかくめちゃくちゃ働いた非常勤のおかげだったような気がする。非常勤は、いろいろある業績のうち一部が科目概要に重なっていればOK、くらいの感じでお声がけいただいていた。そのため職歴に並べた授業名を見ると、逆に、この人の専門って何???と思われただろう。文系らしいけれど、文学なのか、社会学なのか、社会学のどの分野なのか。そんなカオスな人物像が逆に、地方の小規模私立校で、とにかく常勤になんでもやってもらおうと見込んでいる大学にとって都合が良かったのかもしれない。

 結果、そのうちの一つの大学から内定をいただき、わたしはシェアハウスを出て大学常勤の教員職に就くことになった。就職してからの日々については、またいずれ。

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