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新生活

新生活といっても去年の秋学期から一年の休学中なので何か新しいことが始めるわけでもないのですが、、
それはそうと、前年度から気持ちを入れ替えてやっていこうということで新生活の始まりと名乗っておきたいです。名乗らせてください!!

前年度何があったか、それは壮絶な過去です。
一部の方にとっては読みたくないような文章だと思うので、お気をつけください。かなり暗いです。


今まで書いてこなかったのですが、実は私の精神状態を理由に休学をしていました。

始まりは大学2回生の秋頃で、その時からだんだんと大学のやり方に納得いかないことを感じるようになったり、自分の大学での成長に疑問を抱くようになり、それが何倍にも膨れ上がっていきました。

そういうものはすぐに解決できればよかったのですが、私の扱いづらい性格やどうにもやりようがない状況がもつれまくって、気持ちが腐りきって自分に矛先が向くようになりました。

もう耐え難いから休ませてくれと、3回生に上がる前に母親に言ったこともあるのですが、その時は精神の状態を理解してもらえずむしろ罵られたうえに許可を得ることはできませんでした。

普通の人にできることができない
そんなこと誰から見たって「甘え」でしかないんです。
自分でもわかっていました。
何でこんなことにも耐えて頑張れないんだろう
何で他の人は平気でいられるのに自分は苦しいんだろうって
とにかく自分を責めることしかできませんでした。

下宿先から春に対する希望を持ちつつ帰省し、提案したことなので、それが叶わなかった時、生き地獄としか思いませんでした。

地獄だと思ったまま春学期を迎え、対面での講義も増えました。
初めは単位を取るのに必死で嫌でもキャンパスに通っていました。

第一クオーターは何とか乗り切った。
でも春学期自体最後まで走ることができませんでした。

前の年もだったのですが、ここ数年謎に7月がとても自分にとって苦しいものになってしまっていて、かろうじて生きているといった具合に必死でした。

あと期末さえ頑張れば春学期を終えられるという7月のはじめ、とうとうメンタルが死んでしまいました。
これまでにも「あーもうダメだな」とガチで思うのは2、3回
そしてほとんど毎日が憂鬱で毎日泣いていたような日常を続けていた中、その日は本当に精神の死を感じました。

6限の途中に何も人の話が頭に入ってこなくなり何も感じなくなり、家に帰るバスでは自分を外から見ているようで体の中には何も詰まっていないという気分になりました。
翌日には少し熱が出て、このご時世ということもあり感染を疑ったのですが、もうこの時から体が全く動かせなくなりキャンパスにも行かなくなりました。
結果的に7月のうち24日間微熱を出していました。
体を起こしているだけでしんどかったです。
それでも一人暮らしなので自分で生活し続けていました。

これはまずいというのは誰にでもわかることで、母親にとにかく帰ってきなさいと言われてまだ夏休みに入る前に2日だけ帰省したことがあります。(帰る直前に飛行機を予約したので航空券がバカ高く、それを払ってもらうということがもう苦しかったです)
そこで精神科や心療内科に行けたらなんて思っていたのですが、そのような場所は予約で埋まっていて、思い立ったら行けるような場所ではなく家にいました。
(診療の方法的に時間がかかり待つ必要があるとは十分理解していたのですが、こんなに苦しいのに診てもらうのに待たなきゃいけないんだと絶望しました)

帰ってから優しさも苦しくてずっと泣いていた気がします。
その日は雨だったし自分にぴったりだーあははなんて思ったり
でも両親はそんな優しくなかったです。
正しく言えば”私の将来のためを思った優しい言葉”をかけていたのですが、私がその時1番欲しかった言葉でもなく、むしろグサグサに刺されて血がドバドバという感情でした。

それも
「休学なんてしたら新卒に間に合わなくなる。
この夏休みゆっくり休んで好きなことをすれば良いんじゃないか。」
って感じのことを言ってました。

それも正論なんです。こんな落ちこぼれは安全ルートを歩むべきなんです。
でももう自分は動けなかった。
このまま次の秋を迎えても死ぬしかないだろうというのを伝えたらものすごく怒られました。

本当は死ぬなんて言葉軽々しく言ってはいけないんです。
でもそれが自分のその時の本心だったから
何度もおちては生き返ってきた自分だったけどもう次おちたらその先は無いと思っていたから

っていうか何でボロボロのグチャグチャで帰ってきたのに、刃物で刺され続けてるんだろう、何で理性を保って両親を説得させているんだろう
とにかく残酷だと思いました。

流石に自分がどれ程ギリギリで生きていたのかが伝わったからか、あるいはイカれてしまった娘をどうすることもできなくなって呆れたからか、休学をさせてもらえることになりました。
(秋に卒業するのは許さないと言われ、春に卒業できるように1年休学させてもらえるようになりました)


こんな感じで、私の休学は物理的にも精神的にもグチャグチャになりながらやっとの思いで手に入れたものでした。

何がいけなかったのか、誰が悪かったのかと考えれば、それはもちろん自分に非があるに決まっているんです。(それも本当か?)
それでも死にたくはなかったから、休学をして生きています。

そんなことをしてまで生きているのはあまりにも贅沢だし、同級生は就活などを頑張っている中こんなに遊び呆けて良いのか?と思うこともあります。

でも最終的に自分が生きているだけで良いんです。
誰かのためでもなく、自分のためだけに生きれば良いんです。
そのためなら休学だって何だってしたら良いんです。

もし叶わなかったとしても、自分の命を1番大事に生きるべきです。

家族とは本当に不思議な間柄だと思っていて、両親は自分を作った存在、双子の弟は私の半分、などといったように何か特別な存在であるのに変わりはないと思います。
だからと言って家族も1人の人間として社会に存在するわけであって、家族のメンバーも自分以外の他人でしかないんです。

家族のために何かをするということは時には素敵なことになりうるのですが、それは義務ではないので個人が果たすべき責任を知り全うすればそれで良いと思います。


結果的に私は傷ついたのですが、両親の行動もそれぞれの優しさに基づいて為されていたということも感じています。

特に精神的な病というのは重さを測ることは難しいことで、両親も不器用ながらに寄り添ってくれようとしていたのだと思います。

そして両親の心も傷ついたと思います。

当時の私はこんなに周りを取り巻いて関係をめちゃくちゃにしてしまったと余計絶望していたのですが、落ち着いた今、私が生きてるんだからそれで良いじゃん とだけ思っています。


半年休学した今でも、完全に精神が安定するということはないです。

いくらマシになれる薬をもらったとしても生き方が同じなら何も改善はないのではないか??という考えがあり、まずは生活環境を変えることから始めました。
完治ということは一生ないだろうなとは思っているのですが、やっぱり良くなるためには病院で治療を受けるべきだと思っています。

一度メンタルが死んでしまった時、病院に行っていればこの症状にも名前がついていたのかもしれないなーというのはあるのですが、診断されていない限りは精神の不調ということにしています。

今後も自分の調子をよく観て医者にかかるのも検討したいと思っています。


長々と嫌な感じの文を、当時のことを思い出しながら書いていたら心が引きずられてだいぶズズズときてしまったのですが、この記事をきっかけに忌々しい過去を断ち切ってやる!!という思いで何とか書きました。

最後まで読んでくださった方をもズズズっと引きずってしまっていたら申し訳ないのですが、こうやって辛かったことを誰かに伝えられただけでだいぶ楽になれるので助かります。

ずっと書こうと思っていたので、やっと書くことができて超すっきりしました!

新生活を始める方々の毎日が楽しいことや嬉しいことでいっぱいでありますように!
そして何よりも自分を1番大切に生きてください!


今年度もよろしくお願いします!



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