見出し画像

音と生きる人間の自己紹介

はじめまして、coricoと書いて「こりこ」と読むハンドルネームで音楽活動をしている人間です。
「音楽活動って具体的に何やってるの?」と聞かれたら、パソコン上で楽器の音色や音程、奏法の抑揚を数値化して打ち込んで作るいわゆるDTM(デスクトップミュージック)で作曲した作品をフリーBGM素材として配布したり、アルバムを作って音楽同人即売会やインターネット上でダウンロード販売しています。
あとはピアノで好きな曲を弾いてみたり、音楽仲間とセッションしたりと生演奏での活動もしています。
現在は演劇に関わる仕事をしており、その縁もあって舞台で使用する音楽の制作にも着手しています。
こちらの記事では自己紹介がてら作曲をはじめるきっかけから今の活動へと繋がる軌跡のようなものをつらつらと語りたいと思います。


「DTM」との出会い

父の趣味がエレクトーンで、レコンポーザ98というソフトを駆使してどうやら伴奏を自作していた様なので、DTMをする為の環境は昔から整っていました。(昔ながらの箱型PCとキーボードのみです)
小学生の頃はそのレコンポーザの事を「楽譜を入力すると勝手に演奏してくれるおもしれーオモチャだ!」という認識で色々入力して遊んでいた事を覚えています。
(当時流行っていたアニメ魔法陣グルグルの「風にあそばれて」とか大好きな林原めぐみさんが歌っていたアニソンとか書店で購入した楽譜を色々)
そんな自分がオリジナル曲を作り始めるのは中学生になってから。


作曲のきっかけは「ファイナルファンタジー」

私は小さい頃からゲームが好きです!大好きです!
一人っ子で転勤族の家に生まれた私にとって、ゲームのキャラクター達は良き遊び相手であり、引越し先で友達を作るための大切な共通語の一つでした。
星のカービィ、マリオシリーズ、マリオカート、ゼルダの伝説、ポケモン、スマブラ、ヨッシーアイランド……etc
そう、見事に任天堂の世界観に浸かりきったゲームライフです。

中学生になると地元から少し離れた私学へ進み、そこで出会った友人を通して私は人生初の「プレイステーション」という新しい世界に触れる事となります。
当時、TVCMでちょうど「ファイナルファンタジー8」の宣伝が流れている頃でした。

「え!?ゲーム画面から生のオーケストラが流れてるんだけど!?何事!?!?!?」

友人宅でFF8のオープニングを見せてもらった私は、あまりの衝撃にこれまで感じていたゲーム音楽に対しての概念が一気に覆りました。
カービィやゼルダでお気に入りの曲を何となくピアノやリコーダーで演奏してみる戯れはありましたが、「この音は一体どういう人が作っているんだろう?」「これはどういう仕事なんだろう?」という興味を持ったのはファイナルファンタジーが初めてです。
色々と調べた先にたどり着いた答えが「サウンドクリエーター」というワードでした。
そして私が子供の頃からオモチャ代わりにして遊んでいたレコンポーザと結び付いた瞬間でもありました。


「RPGツクール2000」という遊び場

※RPGツクール2000とはPC上でゲーム制作するソフトで、ある程度ゲームの基盤となるプリセットが組まれており、プログラミングの知識が無くてもオリジナルのゲームが作れるという画期的なツールです。

FF8から受けた衝撃で「私もこのゲーム画面からすっげー音楽が流れるやつをやりたい!!」という好奇心が生まれ、その意欲をぶつける場として私が選んだのは「RPGツクール2000」でした。
とにかくゲームの中に流れる音を作りたくて「戦闘シーン」「回想シーン」「港町」「洞窟」など場面に応じたBGMを素材として配布しはじめたのが私の作曲人生の原点です。

※現在70曲入りのBGM素材をBOOTHにてDL販売中です


恩師との出会い

中学校生活は色々あって途中から教室には行かず図書室通学をしていたのですが本当に色々ありすぎるので割愛。
まあ学校に行かなくても学ぶ方法はいくらでもあるし、人生意外となんとか帳尻が合うもんです!(雑すぎるアドバイス)
私が通っていたところは中高一貫で音楽科があるのは高校だけでした。中学生は音楽科希望者のみ楽典とソルフェージュの授業があったかな。
その楽典の授業で教壇に立っていた先生が、私に作曲の基礎を教えてくれた恩師です。
ある日直接先生に作曲を教わりたいとお願いしたら、
「茨の道だよ。それでも覚悟はある?」
と言われたことを今でもハッキリ覚えています。
いざ習ってみると和声学がとにかく複雑で難しく、理解が全然追いつかない私を叱咤激励しつつ根気よく教えて下さった恩は一生忘れません。
今まではパソコンに打ち込むだけだった自分の曲を「譜面に書く」という新しい表現方法を手に入れたことも私にとっては大きな一歩でした。


もうひとつのカルチャーショック

突然話は変わりますが、私は兵庫県民です。
兵庫には日本が誇る伝統、宝塚歌劇団という演劇文化があります。
地元民なら一度や二度は観に行く機会もあったり無かったり。
何度か知人のチケットで観劇したことはありましたが「みんなスタイルが良くて眼福だなあ」という感想以上のものは生まれませんでした。
しかしある日、母が知人から借りてきたという「エリザベート」のVHSが私の音楽人生のターニングポイントだったと思います。
エリザベートは膨大な数の歌曲で構成されたミュージカル作品で、その楽曲を手掛けたのはハンガリーの作曲家シルヴェスター・リーヴァイ氏。
物語の場面や人物によって特徴的なモチーフがいくつも存在しており、それが物語の展開に合わせて複雑に折り重なる事によりエリザベートの一生を深く描いていて(これ以上はオタクの早口なので割愛)
その巧みで美しい旋律に夢中になった私は、一度本場の歌を聞いてみたいなという興味から軽い気持ちでウィーン版のCDを輸入しました。
そして再生する1曲目、プロローグ。
本場のオーケストラ、オリジナルキャストの清らかで魂のこもった歌声。
音が美しすぎて訳も分からず自然と涙が出たのはこの日が初めてでした。
この第二のカルチャーショックがきっかけで「舞台を支配する音楽の存在」にのめり込んでいくのでした。


「ニコニコ動画」×「VOCALOID」

私が高校〜大学生に差し掛かる頃、大きなネット文化が誕生しました。
色んな人が多岐にわたるジャンルの創作をインターネット上で自由気ままに発表する場、大型投稿サイトの登場です。
この頃はまだRPGツクール用のBGM素材サイトを細々と運営しているだけだったのですが、
「VOCALOIDを使ってたくさんの人に曲を聞いて貰おうよ!」という友人のアドバイスにより巡音ルカさんを導入。
そして生まれて初めてのCD制作、音楽同人イベントM3への参加と踏み出しました。

初めて作る歌物は、VOCALOIDの調整も含めてほんっっっっっとうに苦労したのですが割愛!
歌詞やストーリーはアドバイスをくれた友人が協力してくれました。
そしてとっても素敵なイラストを書いて下さったのはクリエイター支援サイトでご縁のあった台湾に住む漫画家さん。
無名クリエイターの初陣でこんなに立派な作品に仕上がったのは友人と漫画家さんのお陰です。

このCD制作をきっかけにニコニコ動画での活動、そしてVOCALOIDに特化したSNS「ピアプロ」での活動へ繋がり、BGM素材を作っていた頃よりさらに活動や交流の幅が一気に広がりました。
(↓過去に投稿したVOCALOID楽曲のリストです)


井の中の蛙、大海を知る

大学生時代、有り余る時間と体力とバイト代を武器にして活動を広げていた私は一つの大きな壁にぶつかります。
他のクリエイターの存在です。
あんなに苦労した和声学を習っていなくても良い曲を生み出す強者たちを目の当たりにして「今まで私がやってきた努力は何だったんだろう」と勝手に自分を全否定されたような気持ちになり、すっかりと意気消沈していました。
このまま作曲だけでは生きていけないと強い危機感を覚えた私は、将来は舞台の仕事も視野に入れようと判断し、音響の技術を学ぶ為に大学と並行して専門学校の夜間部へ通う事を決意しました。
大学3回生〜4回生はWスクールしながら休みの日はバイトに行くというハードスケジュール。
合間に音楽活動は続けていたので、今思えば若い頃の体力って無限大だったんだと感動します。
また専門学校ではPAの授業だけでは無く、ラジオ番組を作ってみたり、オーディオドラマを作ったり、アニメーションに音を付けたりと、機材について学びながら自分で作った音楽や効果音を使える場面があったので本当に楽しい毎日でした。
そういった経験を積みながら、いつしか自分で作った曲を舞台で流したいという1つの大きな目標が出来ました。



自分の曲 × 照明演出

就活はゲーム会社を色々と受けてはみるものの残念ながら縁はなく、大学生時代にバイトしていた舞台の会社にそのまま入社。
新人研修として小さなホールを貸し切って、そこに機材を色々と仕込んで音源の再生と照明で演出するという実習がありました。
音響プランナーと照明プランナーはバリバリ活躍中の大先輩。
好きな曲を持ってきて良いよと言われた時に「これはチャンスだ!!」と2分に収まる短いオリジナル曲を作って提出しました。
そして迎える実習当日。
自分の曲に合わせてムービングライトが華やかに色を変えていく様子を見ながら、強く込み上げてくる想いがありました。
「私、もっとこういうことがやりたい!」

この自己主張が効いたのか、小さな庭園での照明演出に音楽を付けたり、披露宴のプロジェクションマッピング用の音楽を作ったりと自分の曲が仕事に繋がる瞬間がとても嬉しかったです。
しかしいくら好きでやっている事とは言えども作曲の作業は家でしか出来ないので、8時出勤の23時帰宅で深夜まで作曲して寝るという生活をしていたら思いっきり体調とメンタルをやられたので若いからと言って無理を重ねるのは本当にオススメ出来ません。

ちなみに退社してから関わらせて頂いたプロジェクションマッピングの音楽制作については過去にFANBOXで記事を書いてるので興味のある方はぜひ!(月額200円で仕事の話&過去のアルバムがいくつかDLできます)


目標 × 現在

勤めていた舞台の会社では、年に1回評価シートという紙が配られ、自己評価と会社からの評価を書く欄、そして10年後の目標を書く欄がありました。
まだ入社したてのヒヨっ子がそこに書いた言葉は
「音響として舞台制作に関わる」

現在、私は舞台の音響屋としてお芝居に関わっています。
10年前に掲げた目標に自分の足でたどり着けたという事実が自分自身への誇りです。
またありがたい事にここ数年では色んな劇団とのご縁があり、お芝居の音楽担当としてオリジナル曲を提供する機会も増えてきました。
さて、過去の目標にたどり着いたこれから先はどうしよう?

「ミュージカル曲を書くぞ!」

夢はでっかくミュージカル制作!!
やりたい事を口にする、実行する、の繰り返しが次に繋がる事が多かったのでどんどん口に出していこうと思います。


さいごに

長々とつづりましたが、こんな感じで舞台音響と作曲を両立しながら生きている人間の自己紹介でした!
これからnoteで発信していきたいのは、創作についての話や気付き、日々の挑戦、日常的なことなどジャンルを問わず好きなテーマについて記事を書いていく所存。
私のヘンテコな人生が見知らぬ誰かのエンタメになれば幸いです。
どうぞよろしくお願いします!

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,865件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?