見出し画像

私の経歴について

前回は、私の現在の活動について書きました。
今回は、これまでの私の経歴について書いてみたいと思います。

私は、大阪府立藤井寺高等学校を卒業したのち、大阪体育大学に進学しました。サッカー部に在籍していますが、選手としては上手くなかったので、大学2年より関西学生サッカー連盟の学生幹事として活動し大学4年生では幹事長を務めました。

大学卒業後は、大阪府立高校の保健体育科教諭となりました。もちろんサッカー部の監督も務めていました。また、大阪教員クラブで選手としても活動していました。
それと同時に審判としても活動しており、1991年より1級審判員として活動し、1993年のJリーグ開幕から副審として携わり、1994年より国際副審として活動しました。
審判員としてのハイライトは2006年ドイツワールドカップへの参加、3位決定戦の担当でした。
2007年で定年により国際副審から退き、2008年で1級審判員も引退しました。

2009年3月末で高校教諭の職を辞職しました。これは日本サッカー協会(JFA)よりトップレフリーインストラクターとしての契約の話をいただいたからです。4月よりインストラクターの活動を開始し、東京に単身赴任をすることになりました。
こちらは職の名称が途中で審判マネージャーというものに変わり、2017年12月一杯で契約を打ち切られ無職になりました。

2018年大阪にもどり現在にいたっています。

次回は私が日本コアコンディショニング協会(JCCA)のマスタートレーナー資格を取ろうと考えたことについて書きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?