見出し画像

3分で終わる会話を10分にした教師の引き出し術

学校の先生との面談がありました。


この6年でなんと!!

初めて私に与えられた時間いっぱいに(少し過ぎていたかも?)先生とお話ししました。


私は、前回、この先生とは、2,3分しか話せませんでした。

と、いうのも、前の人が大延長で、私は、息子の方の面談の時間が迫っている!というときにようやくスタートしたのです。


今回お話して、
「この先生との面談がみんな長くなってしまう理由がわかるわ~。」
と思いました。


なんていったって、この6年間、毎回3分くらいで面談を終えていた私。
その私に、10分まるまる話させる先生

ちなみにそのあとの息子の先生との面談でも、10分使い切るのを挑戦したのですが、3,4分で終わりました(笑)

そんな面談を体験して、この先生との面談が、
・ これまでの面談と何が違ったのか?
・ そこから学び取り入れられる親子の会話、
・ さらにはそもそも面談とは?
私が考えたことについて書いてみますね。

相手に話をさせる質問術

なんでだろう?

しかしながら、いつもなら5分もかからず終わり、記憶にも残らない面談で、なぜ私がこんなに話せたんだろう?

この娘の担任の先生との会話を振り返ってみました。

まず思ったのは、質問の仕方

【質問が細かい】のです。
ゆえに答えやすい。

《これまでの面談》
「お家でどうですか?」
⇒「特に問題ないです」
以上!

娘の担任「修学旅行についてどんなことを言っていましたか?」
⇒ 「こんな風に楽しみで…」などなど。

他にも、
「あの時期に、隣の男の子とケンカをして僕のところに「○○」と言ってきたのですが、そういう話を聞いていますか?」
⇒ 「おお!そんな話をしていた!」

質問が限定されてるので、答えやすい!

その質問で
こんなこと言っていた、あんなこと言っていた
と思い出し、
また、それを聞いた先生が、
「学校でも…」と話が膨らむ。

先生視点から見た娘
私視点から見た娘

それがまじりあって、
娘の成長を感じたり、
私が知らなかったことを知ることができました。

まさに、対話から生まれる気づき

質問は、ざっくりが効果的な時もありますが、細かいと答えやすくなりますね。

親子の会話も「今日、どうだったー?」
と聞くより、
「今日の○○は楽しかった?」と聞く方が答えやすいのかも。

但し、これも状況次第。

あまり細かいと、詮索されている、干渉される、と嫌がる子も、そういう年齢の子もいますから。

双方向の対話

画像2

これまで私が経験してきた二者面談は、
先生から一方的に学校で起きたこと、できていること/できていないことを評価し伝えるだけの場であり、家庭で問題がないことを確認する場だったように思います。

「ご家庭ではどうですか?」
と聞かれてはいたけど、本当に興味あるようには思えない……。

今回、娘の担任は、会話のキャッチボールができていて、話が膨らんでいきます。

それは、興味関心がベースになっていて、まずは「知る・理解する」ということが目的になっているからだと思う。

比較のために、
別の先生との会話を紹介しますね。

子どもの事で気になることは? と聞かれたので、
「物事に対して、もうひと頑張りしてほしいな」と感じます」と私。

「じゃあ、もっとお子さんにがんばるよう伝えますね。(今以上に関わっていきますね。のニュアンスで)」

この会話、わかりますか?

一方通行なんです!

リクエストしたわけではなかったんだけどな~
なんて。

「先生」という立場なので、その責任感の強さから「解決策」を出さねば。と思うのかもしれません。
また、保護者である私の不満を取り除いてあげなきゃ。と思うのかもしれません。

それよりも、一緒に子どもの事を考えて、
教師としてできること
親としてできること
を共有する場であるといいのにな。

今回面談を通して思ったのでした。

家庭で活かす親子の会話術

さて、このお話
ただ、素敵な先生紹介をしたいわけでも、
先生批判をしたいわけでもないんですよ。


お家でも取り入れられることあるよ!
ということ。

特に《双方向の会話》

子どもの話を聞いて、一方的にアドバイスしたり、評価してませんか?

トラブルを聞けば「こうしたらいいんじゃない?」
ヒドい場合は「あなたも悪いことしたんじゃない?」
「その考えはおかしいね」

興味・関心を持って、相手の話を聞けているか?
心地よく会話のキャッチボールができているか?

私も普段、娘との会話で気を付けていることです。

面談は何のためにあるのか?

画像3

さて、この初めて面談の時間いっぱいお話をさせてもらって、私の面談に対しての意識が変わりました。
思えば面談って、数少ない先生と接する機会。

これまで、学校の事は学校にお任せ、家庭は家庭と区別してきた私。
余計な口出しをせずにいること、そうあることが「良い」と思ってきました。

たぶん娘が1年生、初めての面談では、「どんな先生か知りたい」という気持ちもあったと思います。

でも、その時に淡々と、「問題はありません」「家庭ではどうですか」「問題ありませんね」「以上です」と、確認で終わった面談に、「面談ってこういうものか」と余計なことはしない、と、思い込んだのだと思います。

しかし、大事な子どもを任せている先生とコミュニケーションを取らずして、どう先生と協力体制を作っていくんだ!

学校を、教育をオープンにしていく。
子どもの教育にいろんな大人がちゃんと関わっていく。
子どもを中心にして、大人同士がいろんな考え見方、価値観を混ぜて「子どもにとっていいもの」を協力して与えていく。

子どもの未来に責任を持つためには、学校に、先生に関心を持つ必要があります。

でも、先生を監視するわけでも批判するわけでもありません。
共に子どもを育てるパートナーとしてみて。

子どもの成長に意見を交わしあう場として。

しかしながら今回の娘の担任がたまたまそういう方であって、これからの先生はどうでしょう?
そう思ったら、親自身が「面談」について考えておくことが大事なのかも。

「何のために、どんなふうに使いたい時間なのか。」

先生自身もその探求をしてほしいな、とは思うけれど、親自身も、与えられた「面談の日」ではなく「何のために」を持っておくといいな。と思います。

これまで6年間も、その問いを持たずに、受け身でいた私の反省を込めて。


☆メールマガジンのご登録はこちら☆
子どもの学ぶ力&自己肯定感UPコーチング



いいなと思ったら応援しよう!