キャリア教育は「はたらく」を考えることかも。
私が「はたらく」を意識しだしたのはやはりアルバイトを始めてからな気がする。
大学に入学して、一人暮らしをして初めてアルバイトをした。
初めてのアルバイトは部活の先輩から紹介してもらった個人経営の居酒屋だった。
ちょっと過保護な家育ちなので、親に居酒屋で働いていると言えばいい顔はされないと思っていたので秘密にしていた。
しばらくしてバレたのだが、
「お金が必要なら仕送りしてあげるから、やらなくてもいいじゃない。」
と言われて、カチンときたのを覚えている。
その時はお金のためと言うよりも、大学生になったからにはバイトの一つもしなきゃと言う世間勉強というノリで始めていた。
なので仕事をしていても利益のことなんで頭には全然なかった。
「時間」が経てばお給料はもらえるものだと思っていた。
お客さんが来なくて、忙しくなく終わる日は「ラッキー」という感覚でずっと働いていた。
この頃の「はたらく」は経験値をあげるためのもの。
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次に居酒屋と並行して始めたのが家庭教師のアルバイトだった。
単価が高いし、中学生の頃の勉強は得意だったのでいいかなと思ってスタートした。
居酒屋のバイトと違ったのは、「わかりやすく教えてあげなければ」という責任感があったこと。
指導するために自分で問題集を購入し、事前に解いてみたりと単価が高いと思っていたが、結構時間もかかるし、お金もかかることに気づいた。
でも、短期で担当していた生徒さんから「今後も先生でお願いしたい」と言ってもらったときはとても嬉しく、「英語が得意になりました。」と報告してもらったときはやりがいを感じた。
このときも利益なんて考えていなかったけど、
「はたらく」ってなんかとっても嬉しい。
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次に始めたのがビジネスホテルでの朝食提供のアルバイト。
ここは一人で接客を任されたので、自ずと責任感が生じる。
また、バイキングではなく、朝食券をお客様が持参しするので、受け取った順にお盆にセットした朝食を提供しなければならないというお店だった。
順番を間違えて出せば忙しい朝、お客様の怒りをかってしまう事は容易に想像できた。
頭をフル回転させて顔と、席と、順番を覚え朝食をせっせか、せっせか提供した。
余裕ができると「仕事に向かう人たちに気持ちに良い朝を過ごして欲しい」という思いも生まれて、元気な挨拶を心がけた。
「ありがとう」
「ごちそうさま」
この場でしかもう出会わないかもしれない方とのそんなやりとりがとても幸せなものに感じた。
このときも利益の事は頭になかったけれど、
「はたらく」ってお客様を笑顔にしたいと思った。
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最後のバイトは電気屋での派遣の仕事。
クリスマス前にキーボードを売るミッションで派遣された。
ピアノが弾けるし、ものすごく時給が高かったから卒業旅行の資金のために応募した。
家電量販店のキーボード売り場に配属され、ひたすら7時間立ってお客様を来るのを待つ。
来ない日もあるし、来ても質問や、会話もなく、
「これください。」
と言われ、在庫を倉庫から出してレジに渡して終了。
今までのアルバイトの中で一番きつい仕事だった。
感じたのは「人と喋りたい・・・・!!!」ということ。
「はたらく」って誰かと話す、忙しい時間が好きなのかもしれない。
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新卒では地銀に就職して働いた。
「はたらく」は「仕事」「役割」になって、1日の大半、1年間の大半を費やした。
働いた時間の対価として「お金」をもらい、「仕事」の中でお客様や上司との関わり、楽しいことや、悔しいことも色々と経験した。
この頃の「はたらく」はなんとなく金曜の夜が嬉しくて、日曜の夜が憂鬱。
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結婚して、退職して、専業主婦になった。
「仕事」がなくなった私はアイデンティティークライシスを経験した。
今まで意識せずに「はたらいて」いたけれど、失ってみたら「はたらく」ことが自分自身の支えになっていることに気がついた。
「家事」という仕事はあったけど、家事では自分の存在価値とか、生きがいとか、やりがいを感じれず、「はたらく」って誰かの役に立つことで自分自身が生きてるって感じられるんだなって思った。
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その後色々あって、自分で個人事業を始めた。
「はたらく」ことでもらっていた「お金」が「時間に対する対価」
ではなくなり、「誰かの役に立てた時の対価」という認識に変わった。
そして、困っていること、問題を少しでも無くしていくことが今の「はたらく」になった。
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昔から、今もずっと私の中の「はたらく」がアップデートされ続けている。
その時々で感じる「はたらく」。
一人一人違う「はたらく」。
誰かの「はたらく」で「働く」んじゃなく、
自分自身の「はたらく」で「働く」。
そんなキャリア教育をしていきたいな。
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