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記憶を選ぶ・世界を選ぶ①


父は最近、記憶があいまいになっている
特に近々の出来事は弱い

あくまで私が見ていて感じることだけど
脳細胞の新陳代謝が落ち
たくさんの情報を処理できない
エネルギーが弱くなって
信号が伝わり難いのかなって思う
筋力が落ちるのと同じように

その姿に、日常私は理性・ジャッジの下で
いかに意識のエネルギー跡
【記憶】に流されてるのかと感じる


お正月にはたくさんの人が集まり
楽しい時間を過ごした

思い出話も花が咲く
たくさんの来客、見慣れないご馳走
父もいつもより活気付いて楽しそう

そんな楽しい宴も終わりみんな帰路につく

高揚と静寂
波がひくように
さみしさと共に日常にかえる
そうすると少しおかしな事を言ったりする
今まであまり聞いたことないけど
そんなこと考えてたのかて事を言ったりする

それは、疎外感や被害者意識だったり、、、

私はつい、なんでそんな事を言うのって思う
それはまさにジャッジの声
きっと私の理性はそんな声を許さないのだろう

たくさんの刺激、新しい情報
活性化した古い記憶
元気な細胞なら処理できるだろう情報も
今の父には、なかなか難しい
新しい刺激と古い記憶との伝達の誤作動
事実と記憶が歪む

ただ、どれも父にとっては真実
ネガティブな思考も外には見せなかったけど
内々では繰り返し感じ、考えてきた
深く刻まれた意識の跡だと思う

理性による理路整然とした処理能力を外れ
無意識がつながるもの
それは意識により繰り返し流された
エネルギーの跡だと感じる

流れる波の跡、砂紋のような

無意識の世界が、意識の跡だとしたら、、

それは私の日常
理性やジャッジの影の下でも同じではないか

無意識であることと
意識に無頓着であること
何が違うのか、、、

長くなったので


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