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記憶を選ぶ・世界を選ぶ②

無意識であることと意識に無頓着であること

加齢とともに情報を処理できなくなる
記憶を選ぶ・世界を選ぶ
そこに、理性やジャッジの下に隠れる意識の世界を感じる

私は、日々起きることを理路整然と処理する
それはどの瞬間も繰り返す

何も知らない世界に生まれ
そこでの経験から、成功失敗、好き嫌い
ルールをつくる
次にはそのルールを元に
合う、合わないを自動認識し対処する
それを学習というのかもしれない
人生のルールブックは自分でつくっている

真っ平らな地に
波が流れ、跡ができる
次の波はその跡に沿って流れる
波の跡はより深く刻まれる

それは、相互に関連する関係

同じことを繰り返していると
同じ結果に引っ張られるのは
その跡により作られる流れに引っ張られるからだろう

意識が刻んだ記憶という跡に
エネルギーが加わり反応として流れができる
また新たなエネルギーが重なる
何層も何層も重なるうち
それはうねりとなる

内々に湧き上がる反応
もう何に反応し何が原因か分からなくなる

それでも、表面では平然と理路整然と振舞う

無意識の領域
行動は潜在意識によると言われるけど
それを作り出すのは
意識の跡なんじゃないかなと思う
日々の意識と反応
他の誰でもなく自分自身

なんなら必死に導き出した答え

起きる出来事はコントロールできないし
思った通りにもならない
人間だから過ちや勘違いもある
不具合もあるかもだけど
まずはその自分の刻んだエネルギーの跡を

自分のものと認めてみてはどうだろう
ひとつひとつを敬い
そして葬う
それは、自分で責任を持つこと

無意識の領域は
誰かに植え付けられたものではないのだから

仮に今好ましくない反応としても
大切な自分の一部

そして無意識の領域が
自分で作り出したものとするなら
今この瞬間から
変えることもできるんじゃないかな

それは何か魔法のように書き換えるんじゃない
また同じように
ひと筋ひと筋引き直す

自分の中にうねる反応を
ひとつひとつ自分のものと認め
ひとつひとつ引き直す

途方もないことのように感じるかもだけど

自分のやったことだから
きっとできると思う

理性・ジャッジはその存在を隠すことに
躍起になるけれど

本当に辛いことは自分で自分をないことにすること、、、

だから自分のことと認めることから
ひとつひとつね

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