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散々振り回された母を送り出しました

2021年12月25日に、大嫌いだった私の実の母が亡くなりました。

幼いころから虐待を受けていて、
毎日「早く死んでくれ」と一人泣いていた私。
末期ガンの母が最期の時を間近に迎えた時、
あんなに望んでた母の死を前にして、
安堵感と共に悲しみが湧いてきました。

なぜ悲しいのか、自分でも分からず混乱し寝込んだのが10月。
そこから亡くなる12月までの2ヶ月間、
私は自分の気持ちと向き合い続けました。

一人で向き合いきれないくらい大きなことだったので、
周りの親しい人に話を聞いてもらったり、
瞑想したり、セラピーをしたり、出来ることを色々と取り入れました。

そうしている中で、まず母に対して産んでくれたことへの感謝の気持ちが生まれてきました。
母は若い頃、生理があまりなかったそうで、私の兄か姉にあたる子は流産しています。
周りにも出産を止められたそうですが、それを押し切り私を産んでくれたのです。

私が生まれてしばらくしてから、
母は父と折り合いが悪くなり、段々と精神を病んでいきました。
大人になってから聞いたことですが、祖母は娘である母の個性的な資質を昔から心配していたそうです。
よく言えば天真爛漫な女性なのですが、おおらか過ぎて結婚生活には向いていなかったのかもしれません。
そんな母に父も苦労が多かっただろうなと想像します。

そんな中、私への暴言・暴力が始まり、私は母に対して完全に心を閉ざしました。
これは母の強迫性障害の診察が始まってからわかったことですが、母は自分が暴力を振るっていることを忘れてしまう様なので、なぜ娘がこんなに冷たいのか、母も理解していなかったと思います。
夫とも娘とも繋がれず、母も孤独であったと思います。

一方私は、出産して育児が始まってから、我が子を通して自分の子どもの頃がフラッシュバックするようになっていました。
もう母からの電話ですら怖くて体調を崩すようになり、父からの勧めと夫の協力もあり、私は母との繋がりを一切断つことにしました。

そこから亡くなるまでの7〜8年は全く母に会わなかったのですが、
その間に親戚から、私の母から暴言を受けて大変なんだと連絡がありました。親戚もそれによって体調を崩していました。
母の精神障害のことを親戚も知ってはいましたが、今まではこんなことはなかった、今まであなたは本当に大変だったねと言われました。
私に会えず、矛先が親戚に向いたのか、年々症状が悪化してしまったのか。
いずれにせよ、孤独感が悪い方向に行ってしまったのは間違いないと感じています。

親戚には体調を崩してまで母に会う必要はないと伝えました。
でも、夫と息子は年に一回あるかないか程度ではありますが、
施設に入った母に会いに行ってくれていました。
すっかり弱っていたそうですが、それでも障害のせいかこだわりが強く、
相変わらず凡人にはなかなか受け入れ難い生活を送っていたようでした。

いよいよ母が亡くなりそうだという時、会いに行くべきかという気持ちがよぎりましたが、やっぱり生きている母に会うのは怖くてやめました。

それでも毎日母のことは想っていました。
産んでくれてありがとう。
父へも、一人で母のことをしていてくれてありがたいなぁといういう気持ちで毎日過ごしました。
そうするうちに不思議と母への愛情のようなものと、父への感謝の気持ちが溢れてきました。
初めて、私たちは家族なんだなと、ひしひしと感じることができました。
言葉にすることは難しいですが、なんとも言えない不思議な安堵感です。

その気持ちになって数日で母は亡くなりました。
母を恨んで大嫌いなままだったら、「私ってひどい人間だ」と自分を責め、
母が亡くなった後に後悔したような気がします。
この2ヶ月は、母が私のためにくれたような気がして、なぜだかわからないけど、母の愛情を感じました。
会って言葉を交わした訳ではないのに…不思議な体験です。

亡くなった母の元へ駆けつけたとき、顔を見るのが怖かったのですが、恐る恐る見たら、とても穏やかな表情をしていました。
きっと母も生きづらい人生だったと思います。
初めて見た、なんとも言えない穏やかな表情でした。
それを見て私も安心し、穏やかな気持ちで母を送ることができました。

ずっと恨んで憎んできた母を、こんな愛溢れる気持ちで送り出せるとは。
支えてくれた周りのみんなにも感謝だし、自分に向き合えた私もお疲れ様って感じです。

でも、まだ母が亡くなって1ヶ月足らずで実感がないところもあり、
これからまた別の色々な感情が溢れ出してくるのかもしれません。
それで体調を崩すかもしれませんが、
その時はまたじっくり自分に向き合ってみたいと思います。

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