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新プラトン主義とコーチング

1.神秘主義のさきがけ?

プロティノス(205年? - 270年)は、古代ローマ支配下のエジプトの哲学者で、新プラトン主義の創始者とされる人物です。彼自身はプラトンの没後500年以上後に出てきた人ではありますが、自身をプラトンの忠実な注解者であると考えていたようです。

しかし、プラトンは現実世界の物やコトとは別の次元にイデアという本質があるという二元論的認識を説いたのに対して、プロティノスはイデアを世界のすべての創造の源である「一者」と考えました。そして彼は、人生の目的とは、すべての者がこの一者に還ることにあると説いたのです。

この主張は、プロティノス自身の数度にわたる宗教的な体験に裏付けられているそうです。

プロティノスが生きていた時代は、神秘主義という思想が盛んに主張された時期であるとされ、彼の思想もその一勢力と捉えることができます。神秘主義のWeblio上の定義は以下のようなものでした。

絶対者・神などの超越的実在は、感覚や知性の働きによっては認識できないので、それらを超えて何らか直接に体験しようとする宗教・哲学上の立場。インドのヨーガ、プロティノスの新プラトン主義、キリスト教と対立したグノーシス主義、イスラム教のスーフィズム、エックハルトの中世神秘主義などが顕著な例。

何らかの超越的実在を、何らかの至高体験を通じ、忘我の境地で感得しようとする、あるいはできるとする立場でしょうか。神秘主義とは現代でいうと、ニューエイジ運動でカテゴライズされるような精神世界、スピリチュアリティに関連する取り組みにおいて実践されているように思います。心理学でいえばトランスパーソナル心理学も超越的自己を前提においた理論構築がなされていますね。

新プラトン主義とはそのような運動のさきがけだったと言えるのではないでしょうか。

2.世界のすべては一者からの流出である

プロティノスはプラトンの『パルメニデス』に説かれた「一者」を重視し、この一者を語りえないものとして、これを神と同一視しました。

そして、この世界にあるすべてのものは一者からの流出によって成立していると考えました。

それは、木の生命が枝の一本一本に行き渡っていても、木として一つの生命を保ち続けるようなものです。絶えず水を湧出させながらも絶えることのことのない無限の水源とも例えられるそうです。

スピリチュアル系の中では、人間は全て神の魂のわけ御霊と言われることがありますが、そうした考え方が新プラトン主義にはあるのだと思います。

また、スピリチュアル系とは言わずとも、人間やその他の生物、鉱物などは元をたどれば原子であり、さらには素粒子であり、あらにはクォークであり、さらには弦(ひも)にまで遡り、地球・宇宙は微細なレベルまで解像度を落としていけば全て弦(ひも)の振動であると言われるわけですから、物理学の次元でも全ては一者からの流出であるということは確かに言えるのだとは思います。

私自身は実体験に乏しいのですが、北アメリカのシャーマン文化、アマゾンの伝統文化、原始仏教などなど、宗教的体験による一者との合一に至る経験の事例たくさん聞くことがあり、プロティノス的宗教体験の実在をうかがい知ることができます。ちょっとマニアックですが、Gグルジェフの神秘思想にも近い考え方がありますね。

3.元をたどれば一者に戻れるし、それが人生の目的である

プロティノスは一者はまず知性(ヌース)を生み出し、知性は霊魂を生み、霊魂は質量である肉体(物質)に宿ると言いました。世界の流出は一者→知性→霊魂→肉体という順を経るというのです。知性、霊魂の詳細な定義を探しているのですが、書籍にあたらないと詳しいことはわかりませんでした。いずれ追記したいと思います。

いずれにしても、プロティノスは世界が一者の流出として肉体まで宿っているとしたら、肉体→霊魂→知性→一者というルートで戻っていくことが可能と考え、これを人生の目的と考えたようです。

まずは身体的な感覚や情念に対するとらわれを克服し、次に哲学的な思考によって知性を磨いていけばいずれはあらゆるものの根源にある一者を見出すことができると主張しました。

5.コーチングに紐づけていくと・・・

■一者との合一に至る経験事例は実はさほど珍しくない

コーチングの場面において頻繁にあるわけではないですが、何らかの神秘体験が元となって様々な悩みが生じたり、人生の重要なテーマに取り組むことにあるクライアントをお見受けすることは確かにあります。

トランスパーソナル心理学の創始者であるスタニラス・グロフは、精神医学では精神病と診断されがちな「魂の危機」と呼ばれる狂気的な心理状態が、実は精神的な成長を促すとする考察をしました。

グロフはそのような体験を「スピリチュアル・エマージェンシー」と呼び、は瞑想を深めた際やシャーマンが召命を受けたときなどに生じる特殊な心理状態のにおいて、端からみると狂気然としているために精神病と診断されることも多いが、成長に繋がる貴重な契機だという論を展開したのです。

これらの研究成果もあいまって、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断・統計マニュアル』(DSM-Ⅳ)には「スピリチュアルな問題」が取り入れられ、そこでは、個々人の文化的文脈の中で宗教的体験は理解され、その人が全体として機能しているかに照らされて、その体験を評価するべきであるとされています。

スピリチュアル・エマージェンシー的な心理的な混乱を、同種の経験を経たことのないコーチが扱うことは無理があるでしょうが、このようなケースの自己開示をクライアントから受けた際、コーチ自身が混乱することなく適切なリファー先持っていることは大変重要なことだと思っています。

結構新プラトン主義の話題からそれてしまいましたが、ふと思いついたので書き連ねてみました。

■でも、表現はどうあれ、人はみな各々の神秘主義を生きていると思う

正直この記事を書いている私自身、新プラトン主義の構造自体にあまりピンと来ていないのでその構造自体をコーチングに紐づける意図には乏しいのですが、神秘主義をどう扱うかという点についてはコーチングにおいても大切な論点だとは思っています。

大原則はもちろん、なんらかの神秘体験を経たクライアントとの接し方においては、DSM-Ⅳに表現されているように、個々人の文化的背景から来る主観的な体験を尊重し、それをクライアントの人生にとって建設的な影響を与え得るものとして意味づける援助者であるという態度が重要であると思います。

とはいえ、スピリチュアル・エマージェンシーのような劇的な体験でないにしても、もっとささやかな仕方で我々は神秘主義を生きているような気がせんでもないのですよね。

例えば、「自分の人生のミッションを見出す」という作業はコーチングのプロセスにおいては一般的なものでしょうが、自分の人生のミッションなど論理的につむぐことは難しいのですから、イメージを駆使しながら直感意識を使って言語化をしていきますね。

そのプロセスの中で紡がれた自分の人生のミッションが、論理的な思考のレベルではなく、自分の身体意識の反応(例えばゾワゾワっとなる感覚)によって、自分の奥深くにある何か本質と共鳴していることを感じ取ることがありますよね。

それはプロティノスが言うところの一者との接触と言っても良いのではないかと思うのです。私はこのような体験こそが、コーチングにおける中核的な価値だと思っていますし、私風に言わせると、コーチングとは小さな悟りの連続と捉えることができると思うのです。

神秘主義は特に、主観的な経験を持ってしかその構造を感得し得ないですし、主観的な経験ゆえに個々人の準拠枠によってその経験の解釈はさまざまなものになってしまいます。

また、神秘体験の有無が精神性の高低という風に捉えられ、高次な体験をした人がそうでない人に対してマウントをとって、断定的な態度で支配的に振る舞う危険がある領域でもありますので、注意が必要な分野ではあります。

とらえどころがなく、健全な批判精神が求められ、胡散臭くもある神秘主義。一方で、確かに、我々はささやかな形で神秘主義を生きているともいえる。このような構図において我々が神秘主義というものをどう捉えていくのか、考える視点を持つのもコーチとしての懐の深さにつながるかもしれませんね。

いずれにしても、プロティノスの考え方は中世哲学に影響を与え、キリスト教徒の関係の中で神秘主義は時折姿を見せていくようになります。

これで古代ギリシャ哲学のnoteは終わりです。やったー!!

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