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なぜ元優等生が不登校&自堕落な人間になったのか

この度初めてこのnoteというものを使っていこうと思う。

最初はつまらない自己紹介で埋めようかとも思ったのだが、noteを始めたきっかけを正直にまとめたいと思った。そもそも僕のnoteは自分へ向けたものとして書こうとしている。高校三年生である今の思いをただ残しておきたいのだ。

なら、わざわざ僕の表面的な事情を説明するまでもないだろう。

サムネが2分で作った何も考えていないものでも別に構わないだろう。

だが、それでも見てくれる方がいるかもしれないと思い、最低限の体裁は保つとしよう。

さて、さっそく始めていこう。

noteを始めたきっかけ

僕はここ一年怠惰な日常を送ってしまっていた。休みの日は食っては寝ての繰り返しだ。勉学に励むこともなく、だからと言って興味があることに熱中できたわけでもなかった。ただただ無関心のどん底にとらわれていた。

最初に言ってしまうと、こんな自分を変えるためにnoteを始めたのだ。

今考えれば鬱だったのかもしれない。しかし僕はそれに薄々気づいてはいたものの、早めの対策を怠った。理由が分からなかったのだ。せめて理由がわかれば論理的な対策も練られたかもしれないが、僕の不安やストレスは当時言いようもない場所にあったのだ。


以下僕が底辺に落ちるまでを時系列に沿って説明していこうと思う。

*一番下にこれからnoteをどのように使っていきたいかの説明があるため湿った人の闇が嫌いならここまで読み飛ばすことをお勧めする。


僕にとっての勉強の意味と挫折

僕は自分でも恵まれた環境で育ってきたと思う。一人っ子であったので欲しいものは買ってもらい、進学に困ることもなく、金銭面でも苦労したことは無かった。縛りすぎず緩すぎずの程よい教育環境のおかげで僕は県内上位の進学校へ入学できた。当時は真面目に勉強していたし、出された課題はすべてやっていた。他の子に馬鹿にされやすく、いじめられやすかった僕の最大の防御は成績だった。成績が良ければ馬鹿にしてくる子もいじめてくる子もいなかった。そのほうが楽だった。だから勉強を頑張った。それに当時僕にはシステムエンジニアになるという夢があった。それをかなえるためにも勉強ができることは必須条件であった。

だが、高校に入ってその真面目で優等生であった僕は一変した。僕は疲れてしまったらしいのだ。もともと勉強がそこまで好きだったわけでもなく、だからと言って自制心もない僕は、学校から出される課題に対処できなくなった。課題と言ってもただの宿題ではない。例えば「この時期までにこれぐらいの理解が必要だから勉強して理解しなさい」というような抽象度の高い課題である。もちろん強制されるわけでもないし、単なるアドバイスなのだが、生真面目すぎた故にそれを一度でも破ってしまうとどうしようもない空虚感と劣等感が僕を襲った。

他の人ができることが自分にはできなくなっていった。そうなれば、また馬鹿にされ疎外される日々が来るかもしれないと思うととても怖かった。

それに、今までは校内で一番争いをしていた僕が、いきなり僕よりデキる人間の輪の中に放り込まれて、下のほうを這いつくばりながら必死に優等生であろうとする姿は醜いにもほどがあっただろう。

自分の弱さを認められるほどプライドは柔軟ではなく、だからと言って改善できるほどの行動力も理想もなかった僕はやはりカーストの下を這うしかなかった。一時は空虚な外套に身を包みはるか先にいる仲間と同等だというように見せていた時期もあった。具体的には数学では答えを見て自分なりの解釈に落とした後、まるで自分が思いついたかのように発言することである。大抵の場合、考え方の一部を他のものとすり替えたりしていたためバレることは少なかったが、そんな仮初の刃で褒められたところで僕の中の面倒な自己承認欲求を切り伏せることなどできなかった。それに、この外套が破れたとき彼らは一体僕をどんな目で見るのかという恐怖があった。今はこんなに親しげにしてくれているが、僕の本当の姿を知ったらきっと軽蔑するに違いない。そんな思いがあった。

そんなことを続けていれば罪悪感と猜疑心が募るばかりで、最終的に自己破綻することになる。

ここまでが第一幕である。僕はついに勉学という防御を放棄し、他の道でもって今いる仲間とともに過ごそうと決意した。

運命と迷走とその果て

具体的にはイラストや3DCGなどの芸術で人々を感動させようとしたのだ。学校では習わないようなスキルを身に着け、それを見せることで評価される自分がうれしかった。これなら誰かと比べられることもないし、僕をすごいと思ってくれるなら馬鹿にされることもないはずだと思うことができた。

元々多少の知識と興味があったため、基本的なスキルの習得にはあまり時間はかからなかったし、勉強と比べて苦痛でもなかった。決してプロ並みとは言えないが、作品を完成させるたびに改善点と成長した点を評価し、次の作品では前の作品を上回ることができた。ちょっとずつではあるが成長できていたのだ。僕はそれがうれしかった。勉強は学校のペースで進められるため遅れれば失望するが、これは僕のペースで自分を評価でき、純粋に成長を楽しむことができた。

そんな別の盾を手に入れた僕は、勉学で遅れても対して気にすることなくただなんとなく学校生活を送ってきた。

だが遂に限界が来た。

受験の時期が来たのである。

これが始まってしまうと今までのような趣味の盾は使えなくなる。勉学こそが正義であり、それ以外の活動はすべて悪と変わってしまった。つまり創作を誰かに見せることは自分は勉強をしていないことを意味し、将来への計画性に欠け自分を切磋琢磨することに怠惰な人間であるということになるのである。少なくても、極端ではあるがこのような空気感を世間や学校から感じたのだ。

今まで使えていた盾が消えた先の僕は一体どんな姿をしている?勉学もしてこなかった僕に残されているものなんて何もない。次第に僕はどこか教室で浮いているような感覚を覚え、どこか邪魔者扱いをされているかのような感覚に溺れた。

いっそのこと死んだほうが世のためなのではないかと真剣に考え自傷行為が止まらなくなったこともあった。

もちろんそんなことはすぐにやめたが、結局僕が生きづらいことに変わりはなく、どうしようもない辛さの波に負けた。

学校にもまともに行けず不登校になったのである。だいたい高校三年生の六月のことだった。

不登校が悪いとは考えてはいないが、少なくとも僕にとっては将来的に不利益になるであろうことは容易に想像できた。そのおかげで家庭科の成績も1になってしまった。きっと大学受験で多少なりとも悪い方向に働くに違いないだろう。

それに何より申し訳なかったのが母親だ。決して安くはない学費を払ってもらっているにもかかわらず、僕は学校で勉強ができていなかったのだ。ますます罪悪感が募った。

友人、家族、先生。それらすべてを裏切り自分がそこにいると感じた。実際そうだった。僕が不登校になったとき、誰にも相談しなかったのだ。

虚弱で怠惰で、プライドが高いわりに実現に向けた行動を起こせない屑。

しかし、さすがの僕もしばらくたった後で気持ちの整理がつき、やっとのこと母親や先生に相談できた。おそらく人生で最大の勇気がいる作業だった。

母親には僕は今疲れているのだから休んだほうが良いと言われ、先生からは別に休むことが悪いわけじゃないと言われた。他にもいろいろと言葉をかけられたが、すぐに思い出せるのはこれだ。

僕はこんな優しい人たちを傷つけてしまったかもしれないことにさらに落ち込んだ。

しばらくは何も話さず、ただ黙々とイラストを描いていた。

そうすれば一時の嫌なことはすべて消えてくれたからだ。過去の罪も今の罰もすべてどこか遠い世界の出来事のように感じられた。実際何もしないよりはよかったはずだ。半分鬱のようになりなんの興味も持てず、ただ寝て食べての毎日よりは意欲的な日々を送れていると錯覚することはできた。

だいたい2週間後ほどに、僕は保健室登校に移ることができた。だが、僕はまだ現と夢の世界の狭間にいた。まだ、自分の未来をまっすぐ見つめることができなかった。

大学に行けなければ人生が詰むかもしれないことは良く知っていた。安定した職場に就職できずに低賃金で働かされ搾取された後に使い捨てられる運命だと思った。実際はそうでない人がいるのも理解しているが、僕の周りにはそれを教えてくれるような人間はいなかった。常に大学に行かなくて後悔した誰かの話を聞かされ続けてきたからだ。だが、今更勉強したところで大学受験に間に合うわけがなかった。

もうどうしようもない闇のど真ん中でひたすら吹き付ける猛吹雪に立ち向かわなくてはいけなかった。けれど僕にはまだそれが無理だった。大学に行けるかどうかも分からないにも関わらず、将来的な職を考えるなんて不可能だった。だからこそ大学に行きたいなどとも思えなくなった。僕の中では大学は、将来を見つける場所ではなく職へつながる道の一つという考えが負の連鎖を起こしてしまったのだ。

終わりのない円環の中で僕は必死に抜け出す方法を考えた。

将来的に好きなことなら仕事にできるかもしれないと思い、専門学校へ行くことも考えた。3DCG業界なら僕でも戦えるかもしれないなんて甘い考えがあった。ブラックでも好きなら続けられるとそう思って、信じ込んだ時期があった。僕にはこの道しかないと本気で考えこみ、先生に相談して受験の手続きを整えてもらえるようにお願いしたこともあった。

変化と希望、そして現在

だけど、最終的には先生のアドバイスや、僕自身の心情がそれを止めることになった。11月のことである。つまり僕が今これを書いているほんの少し前の出来事だ。

先生のアドバイスはあたりまえのものだったが、それでも光を見失っていた僕にとってはありがたいものだった。簡単に言うと浪人してでもいい、立派なとこじゃなくてもいい、大学に行った方が後々楽になる。というものだ。それに、仮に今のままの僕が受験をしたとしてもそれ相応の大学には行くことができると励まされた。だから、こんな僕でも普通の人みたいに大学に行けるのかと安心した。加えて、今は何のとりえもない僕でもこんなに親身に色々と接してくれる人物がいることに感動した。少し前までの疎外感や、強迫観念のようなものはおとなしくいなくなった。

不登校、保健室登校になってからもツイッターやLINEで長く変わらず接してくれる仲間がいてくれたことも大きく僕の考え方を変えた原因の一つだろう。この間は友人の一人がわざわざお弁当をもって保健室に来てくれたらしいのだ(僕はコロナの予防接種でちょうどいなかったのだ)。しかもその友人は前から僕と仲良くしてくれている人物の一人だった。こんな情けない僕にでも会いに来てくれるなんてと考えるととてもうれしかった。人間が利害関係や建設的な関係だけで成り立っているのではないという、今考えると当たり前だけども僕にとって大事な発見をした。

もちろん、保健室登校になってから色々と言われたりもした。楽そうだとか羨ましいとかすぐにどっか消えるとか。僕が専門学校に行くかもしれないとどこからか伝わったときには馬鹿にされたような言動を吐かれたりもした。これらの悪質なところは僕がいる前では絶対に言わないことだ。しかも、僕に対しては優し気な言葉を投げかけてくるものだから余計に気分が悪かった。(当時僕が過敏すぎただけではあるが傷ついたのは事実だ)。だが、このようなタイプの人物はそういう人物なのだと区切ってしまい、相容れない人物なのだから嫌われても仕方がないと思うことで自分の心を保つようにした。今まで八方美人でいようとしすぎたのだ。自分の信念を理解し、そのうえで関係をもとうとしてくれる少数が友人でいてくれるなら僕は他に嫌われたって構わない。そう思うようにした。

それに、僕と皆との違いを理解できたのも大きかった。僕は人の評価を総合的に判断するが、彼らはその人が持つ要素毎に判断するのだ。つまり僕が今まで馬鹿にされてきたと思う言葉は僕自身を馬鹿にしているのではなく僕が持つ不登校や内気と言った性質そのものを批判しているのだ。だからどれだけ勉強ができても、どれだけ絵が上手くても、それ自体が評価されることはあっても僕という人間の評価にはあまり影響しないのだ。

つまり僕は今まで盛大な勘違いをしてきたのである。もし今までの言葉が本当に僕を馬鹿にしいじめる意図があったとしても、こう思っていた方が楽だし精神衛生上良いので今後このように考えるようにした。

このようにして、過去から続いた人間不信の呪縛は軽減され、少なくとも信頼した人物に関しては心を開き相談して早めに物事を解決しようと決めた。

今まで勉強に持っていた変な劣等感も綺麗になくなり、今は純粋に前に進むために努力できる状態になりつつある。

これまで大切にしてきたイラストなどのビジュアルアートも続けようとは思うが、最終的に将来の職業にするかあやふやになった。これはきっと自分の他の可能性が見えてきたからであろう。それに、僕は元々システムエンジニアになりたかったのだ。きっとこの二つは大学に入ってからどちらに行くか決めることになるだろう。ただ、いずれの場合においても大学に行かなければ叶うことは無い。よって、僕はこれから。おそらく予備校生一年目の終わりまで精いっぱい努力して大学に進学しようと思う。

noteをどのように使っていきたいか

最初にも書いた通り、僕のこの怠惰な態度をどうにかしたいと思いnoteを始めた。

僕は計画の立案まではできるが実行できないという典型的なタイプである。しかし、こんな調子ではいつまでたっても何もできないまま人生を終えてしまう。そんなのは御免である。僕にはまだ実現できていない面白そうなアイデアがたくさんある。実用的かは置いておいて試してみないまま死ぬのが一番悔いが残りそうである。

よって、こんな今の嫌な自分を誇れる自分にするために、

1.定期的に自分の気持ちを表現し何をどう改善したらよいか探る

2.ブログとして軌跡を残すことで自身の成長と自信につなげる

3.定期的な報告があると思うことで程よく自分を追い込む

4.理解したことや理解できなかったことをまとめノートとして活用する

といった使い方をしていきたい。そして計画性と実行力を鍛えることで、単なる理想家ではなく、改革者としてこの世界に少しでも良い影響を与えられる人物になりたいと考えている。



余談だが、僕は16性格診断をしたところINFPかもしれないという結果が出た。これを見て真っ先に思ったのは夢を語るだけの夢想家だけでは居たくは無いと思ったのだ。

次に、少し時間を置いた後、再びやってみると今度はINTJと出てきた。少しの判断のずれでここまで変わってくるのは面白いと感じた。

だが、逆に言えばほんのちょっと、本質的な行動を変えることで人は誰にでもなれるのかもしれない。もちろんメンタル面での壁はあるかもしれないが、行動を変えればそれは自然に伴うだろう。

いずれの結果にも言えるのだが、16性格診断における判定結果はあくまでも一番強い性質の性格を表している可能性があるだけで、大抵の人は何かと何かのミックスのような性格をしているはずだ。

多くの人がこれに共感するのは複数の性格にわたって似たような要素がいくつも書かれていることにあると思う。それに、かなり解釈の幅を広く持たせた文章であることが多いように思われることも原因の一つに挙げられるかもしれない。また、人間も状況によって判断基準や性格が変わるため、都合の良い状況においての自分と診断の結果を照らし合わせて共感しているに過ぎないのかもしれない。加えて、僕もそうであったが理想の自分と現実の自分を明確に区別することが難しく、実質的に二重の人格の考え方を持ったまま診断を受けている可能性があり、それが診断結果を分散させる要因の一つであるようにも感じられた。

ただ、結局のところたった60問程度の診断だけでは人の本質は測れないのではないだろうか。どうやら科学的根拠もあまり存在しないようであるため、あまり真剣になりすぎずに、情報の一つとして胸に収めておくとしよう。

ともかく今僕は計画性と行動力を身に着けたい。それを理解してこれからどう生きていくか考えていこうと思う。




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