瞑想の効用

過去の自分を振り返ってこなかった。
自分は常に成長している、常に今の自分が一番幸せである
という自信があった。
過去を振り返ることに意味を感じなかった。

一方で、最近、過去の自分と今の自分が本当に同一人物なのか、
自信が持てなくなることがある。
今の自分は、昔の自分とまるで違うように思える。

今抱えている症状と、その考え方に何か関係があるのかはわからない。
事実として、私は瞑想を通じて、無意識に過去の自分を振り返り、
同時に症状が和らいだ。
短時間の瞑想の中で、あまりに多くの情報が脳裏を巡った。
忘れる前に、記録しておく価値があると思った。

瞑想の正しいやり方は知らない。
私の場合は、大自然の中、空を飛んで周る想像をしている。
しばらく飛んでいると、自分の人生を自然に振り返っている。

生まれてから今までのことを振り返ると、
意外と長く生きてきたなと、
今直面している課題は、
長い人生の中ではほんの小さな出来事なんだなと気付く。

過去の自分と今の自分は、本当に同一人物なのか。
親の存在を、家族がいたあの家を思い出せば、
そんな不安もなくなることに気付く。

私は親に愛されて育ったんだなと、
当たり前過ぎて気にもしていなかった事実が、
いかにありがたいことか、
いかに自分のアイデンティティの起源になっているか
に気付く。

私は毎日、異常な不安感に悩まされている。
以前にはなかった症状だ。
ネットで調べる限りでは、不安障害の可能性がある。
原因はわからない。
心当たりはいくつかある。
いろんな要因が絡み合った結果なのではないかと思う。

私には、高い自尊心があるのかもしれない。
自分では気づかない。
人より高いのかもわからない。

これが原因なのではないか、なんとなくそう思った。
私の自尊心の起源はなんだろうか。
瞑想する脳内で無意識に回想が行われる。

私は、自分がある程度優秀な人間だと思ってきた。
人からもそう言われるし、自覚もあった。
それが活動のモチベーションでもあったと思う。

いい大学に入って、いい会社に入った。
私はなぜいい大学に入ることができたのか。

子供の頃から、決してコミュニケーションは上手ではなかった。
運動神経は中の上だった。
絵はうまくないし、歌はまともに歌えなかった。
クラスのヒエラルキーは下の方だった。
ゲームも下手だった。
友達も少なかった。
ただ、テストの点だけは良かった。
頭が良かったのか?

計算は得意だった。
矛盾を見つけるのが得意だった。
論理的思考力だけはあったのだ。

一方で、話はなかなか通じなかった。
ジョークの意味が分からないこともあった。
軽度のアスペルガー障害の可能性があると自覚している。
軽度であること、大人になるにつれて経験から文脈を読めるようになったことから、
これは深刻な問題ではなくなったように思う。

親に、天才と言われて育てられた。
天才ではなかった。
物分かりはよくなかった。
要領もよくなかった。
記憶力は高くなかった。
人より高かったのは論理的思考力だけだ。

覚えられない知識は、繰り返し書いて無理やり覚えた。
粘り強さはあったのだ。
なぜか。

親に、天才と言われて育てられたからだ。
私は自分が天才であるために、意地になって努力したのだ。

私は、生まれ持った論理性と、
親の教育によって培われた粘り強さによって補われた記憶力によって、
試験を高得点を取り続けた。
社会の点数は低かった。
父親も社会が苦手だったため、私に高得点を要求しなかったからだ。

大学受験に合格して、入学した。
まだ、自分が天才であると信じていた。

周りはみんな、頭がよかった。
3年生にもなると、成績に差がついてきた。
上位にはなれなかった。
それでも、自分が天才でないことは認めなかった。
研究室は、あえて人気のないところを選んだ。
優等生達とまともにやり合っても勝てないことが分かっていたのだと思う。
無意識に自分を守っていた。
研究室では馬車馬のようにはたらいた。
頭が良くなくても、
ハードワークだけで結果を出せる研究分野だと気づいたからだと思う。
何とか結果を出し、博士号を取った。
研究は途中でやる気を失っていた。
そこそこの結果しか出せなかったからだ。
私はそれを、教授の人格のせいにした。
自分が天才でないこと、
研究に向いていない可能性があることに
気づいてもよかった。
私は気づけなかった。
自分の才能から、目を背けた。
環境が変わればすべてがよくなると信じていた。

一流企業に入社した。
いい環境だ。
大学時代、結果を出せなかったのは教授の人格のせいだと言った。
実際、教授の人格はよくなかった。
でもそれは、結果が出なかった原因ではなかった。
いまの会社には、人格に問題のある人はいない。
結果は出せるはずだ。
でも出ない。
今なら分かる。同僚、上司の人格は関係ない。
これは、もうずっと前から、私自身の問題だった。

これは、私が中学生の時に気づいてもよかったことだ。
私は天才ではない。
29歳になってこの事実に気づく。

人より論理的思考力が高かったこと、
勉強しやすい環境を親に提供してもらったこと、
大学に入るだけの財力が、親にあったこと、
私が持っていたのはたったこれだけだ。

そうであるなら、今私が目指している目標が達成できないのは当たり前なのだ。
私が天才である前提で私が立てた人生プランは、はなから達成不可能だったのだ。

私がなぜ過去を振り返ってこなかったのか。
もしかすると、この事実に気づくことを無意識に避けようとしたのではないか。

さて、私が天才でないことが分かり、
今後どうすればよいのか。
それはこれから考えていく。

理想と現実のギャップを埋めることができた。
不安感も少し和らいだ。
これだけも、大きな前進だ。


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