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最後の晩餐

スローモーションのコマ送りのようにゆっくり動く人影。蜜の匂いに引き寄せられた蝶のように近づいてくる。周りの臭いには群を抜いて鼻が利くが、自分に対しては全く利かない。自分が蜜のような匂いを、周りの臭いに負けないくらい発散させている幻想に浸るのも悪くない。嫌われ者の短い生涯のささやかなご褒美として。

広い視界に映る、脚を少し引きづりながら、ゆっくりこちらに向かってくる男。警戒しながら見ていると、俺の前に立ち止まった男の表情からは、こちらを攻撃するような気配はない。それどころか、感謝を伝えるかのように、両手をすり合わせている。「やれ打つな、蠅が手をする、足をする」という小林一茶の俳句を思い出させるポーズだ。

仲間以外の奴は、俺のことをばい菌呼ばわりするが、自分が関係する腸内環境には、うるさいほうだ。仲間内では、健康志向派の変わり者で通っている。もちろん、自分の子供たちも含め、一族全員には俺と同じDNAが受け継がれている
 
その日も、体調を狂わさない、質の高い食事を求めて、文字通り飛び回っていた。その男が現れたのは、俺が見つけた、腸内環境を整えるには最高と思われる、たまり場で、最後の晩餐の席についていた時だ。
 
俺の広い視界に、神仏に関するような霊験あらたかなものは見当たらない。不思議に思っていると、その男の口から「さぞ、お子さんを誇りに思っておられるでしょう。あなたのお子さんのお陰で、こうして自分の足で歩けるまでに回復しました。お子様方のあの特殊能力にすがらなければ、自分の足を失ってしまうところでしたから。まあ失ってもしかたがないぐらいめちゃくちゃな食生活を送っていましたから自業自得ですが。」

『どこへ行っても、一目で嫌われるうちの子供のお世話になった、特殊能力?嬉しそうにしゃべるこの男、どこか頭がおかしいのか?』

男は続ける。「お子様方のあの魔法の溶液の殺菌能力。現代医療技術がいくら進んだといっても、自然の叡智にはかないません。なんせ抗生物質で撃退しようという人間の浅知恵をあざ笑うかのように、その抗生物質を味方につけてさらに手ごわくなった感染症の菌。現代医学ではお手上げの所に、お子様方の登場。最強を気取っていた菌たちもたじたじ。さらにあなたの一族のお子様方のすごいところは、きちんとしつけられているところです。食欲旺盛な育ちざかりなのに、食べていいところとそうでないところをきちんと区別している。」

『そういえば、息子からの便りに、医療機関で働いているって言ってたな。保険がきかないから、自分たちの力が十分発揮できないとか。』
 
「あのとき、お子さん方に足をかじられた感覚がときどきよみがえってきましてね。痛いというかあまがゆいというか、必死で私の足を救おうとしている、その熱い思いと一緒にね。ただね、お子さんのなかに、正直な子がいましてね。その子が言った事がショックでした、『この味、あまり食欲をそそらないな。』おいしくないものを無理やり食べてもらっている罪悪感に打ちのめされました。でもその罪悪感のおかげで、今こうしてあなたとお会いできた。」
 
「偶然じゃありませんよ。長い間あなたを探していたんです、あなたに一言お礼をいいたくて。あなたに見つけてもらうためにはどうしたらいいか苦労しました。健康志向派のあなたが魅力的だと思うような作品を、私自身が作って展示すればいい。あなたがその魅力に誘われて、寄ってくるような作品をつくるには、まずは私が自分の腸内環境を整える必要がありました。そのために、お菓子類、パン、ケーキなどの加工品やジャンクフードは、一切やめて、玄米中心の和風の食事に切り替えました。お陰で、私の腸内環境がつくる作品が、あなたを惹きつける力を持ったのです。蝶に愛される花になるよりも、あなたに愛される作品をひねりだせ。その作品が肥料となって、植物を育て、花を咲かせて、美しい蝶を引き寄せる。あなたが自分の子供たちに言っていることですよね。」

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