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アスペのトランペット奏者がリクルートを経てエンジニアで起業した話【Why me】

はじめに

こんにちは、G's ACADEMY FUKUOKA Dev.13thのTerisukeです。

さっき
ジーズアカデミー 技術記事書いてみた編Advent Calendar 2023
21日目を書き終えて、法人登記もできたようで一息ついて何気なく
G's ACADEMY 脳内アウトプットしてみた編 Advent Calendar 2023
を見ていたら12/8の枠がまだ空いていたので、年の瀬ということもありますしこちらでは僕の
起業にこだわるようになった経緯と今何を考えているのか
をアウトプットして振り返ってみたいと思います。

当時の状況とは変わっているでしょうし、あくまで一個人の視点・意見ですので悪しからず。

技術編はテーマが「爆速・おふざけ」だったので、こちらの方は「ゆるゆる・真面目」をテーマに書いていこうかなと。
(書き始めたのが投稿予定日2週間超えてるって時点でゆるゆるもへったくれもない気もするが)


【~12歳】宇宙人のコミュニケーション術

小さい頃から周りと歩調を合わせることができなかった。
幼稚園ではみんなでお遊戯せずに一人で好き勝手遊び始めるので、先生に「外に出てなさい!」と怒られると嬉々として園庭を三輪車でぐるぐる回るような子だった。
小学校の入学式でも、新入生が壇上に並んでいる中、目の前を横切った蝶を「チョウチョー!」と言いながら追いかけて言ってセルフ退場した。
クラスでかくれんぼしてて、鬼になった時に教室内にいる同級生を見つけるや否や、捕まえるために外から窓ガラスを素手でぶち破って周囲をドン引きさせ、虫眼鏡で火が起こせると理科で聞いたときには昼休みの間中体育館裏の木の葉の山に虫眼鏡を当て続けボヤ騒ぎを起こしたり、とにかく思いついたら即行動のタイプだった。

今振り返るとさぞかし変な子、宇宙人みたいに先の読めない子に見えただろうなーとは思うけど、当時の僕にとっては周りの人こそ宇宙人だった。

「単に『やりたいこと』を『目的』化してただそれに最速の『手段』で迫っているだけなのに、理由も聞かずになんで怒られるの?」

「どうして自分の『やりたいこと』でもないことを強制的に決められた『手段』に従ってみんなでしなきゃいけないの?」

「自分の『目的』を達成する過程で、それを一緒に楽しくやれそうな人と『そのタイミングで』『都度』仲良くやっていけばいいと思うんだけど、なんで『いつも』『みんなと』仲良くすることにこだわるの?」

いつもこんなことを考え、学校の教師、生徒全体に怪訝な眼を向けていた。
クラスメイトと関わるよりも自分の「目的」に明確に向かって行動する飼育小屋の鶏やうさぎに共感を覚え、4年生くらいまでほとんどクラスに友達らしい友達がいない日々を過ごしていた。

5年生終わりの三者面談以降、心配した親と教師に色々言われるようになった結果、
「一人だけではできないこともある」
「本を読むような一方通行なコミュニケーションではなく、価値観に共感できて対等に話せる仲間が欲しい」と思い、
ようやく重い腰を上げて相手を理解するように試してみるようになった。

だがこれがうまくいかない。
無理もない、相手はこれまで自分がずっと「理解できない」と思っていた相手、しかも相手も急に馴れ馴れしくなった僕に心なんか開くはずもなく。

困った僕は、近くの図書館で偶然見つけた「行動心理学/分析学」関連の本を読み漁り、相手の目線、身振り手振りなどから相手の心情を読み取り、その場のシチュエーションも踏まえて相手の考えていることを想定し、その上で一番場を壊さなさそうなアクションを取ることで対外的には一定の人間関係を作れるようになった。
コールドリーディングは面白いぞ。(ダイマ)

これにより対人コミュニケーションは取れるようになり、クラスでも4~5人のグループといつでもつるめるような人間関係を築けるようになったのだが、後に僕のwhy meにつながる問題が発生する。

  • 受け身なコミュニケーションになり自分の思っていることが言えない

  • 相手も自分もお互いの主張を尊重しすぎて、上部だけをなぞるようなコミュニケーションで終わる

  • 勝手に相手の考えや思考を決めつけ(られ)てしまい、相互理解を深められずに印象だけ悪くなる

相手の顔色を窺って会話する限り、常にどこか駆け引きをしながら探り探り話すことがとても疲れ、不満だった。
結局この気持ちは解決できず、「自分の思いが伝わって無いし、相手にも微妙に理解されないないまま会話が終わってしまう」というフラストレーションを抱えたまま、僕は中学へ進学することになった。

【13~19歳】言葉を超えるコミュニケーションを音楽に求めて

中学の音楽教師だった母の影響で、5歳からピアノを習っていた。
ピアノを演奏することは楽しかった、言葉のように選ばずに自分の好きなように弾いて表現できるから。

「音楽は国境を越える」とはよくいったもので、確かに発表会で引く時は同じ空間にいる人と言葉にならない価値観を共有しているようでとても気持ちよかった。

一方で、ピアノ演奏はステージの上では一人ぼっちの楽器だったから、コミュニケーション手段というよりは内面を一方的に表現しているようで少し寂しかった。

そんな中、親に連れられて見に行った北九州市が運営しているジュニアオーケストラの演奏会。

華やかなトランペットのファンファーレに魅せられた。

家に帰りトランペットについて調べると、なんとクラシックだけではなくPOPやジャズ、吹奏楽までどんなジャンルでも対応できるという。

これだ、と思った。

ピアノのように一人で完結するのではなく、「音楽が好き」という共通の活感を持つ様々な人たちと音でコミュニケーションをとりながら創っていく作業。

きっと言葉だけでは伝え切れない自分の想いまで共有することができるはず。
そう思い親に土下座して楽器を買ってもらい、中学入学と同時に吹奏楽部とジュニアオーケストラの扉を叩いた。

ぶっちゃけ自分には全く才能がなかったと思う。だって練習し始めて3ヶ月経ってもうんともすんとも音が出なかったのだから。

それでも雨の日も風の日も毎日8~10時間、河辺で、学校のカビ臭い楽器倉庫で、カラオケで練習し続けた結果、初めて半年後にはソロを任せてもらえるまでになった。

高校ももちろん吹奏楽部。授業の時間以外は全て音楽に捧げた。クラス内では影の薄いキャラで通して、部活とオーケストラでその分自分の想いを演奏で爆発させていた。
その間にコンクールなども積極的にうけ、次第に「芸術大学に行ってプロの奏者になる」という目標を意識するようになっていった。

極めつきは高2のクリスマス、3000人はいるであろう大きいホールで自分の会心のソロを決めた時にステージ上からでも聞こえた、お客さんの息を呑む音。

これだ、と確信を持った。

そこからは一心不乱に音大を目指し、中学の数学教師をしており音楽のことをよくわからない父親を説得し1浪までしてトランペット科だけでも当時倍率6倍の公立の芸術大学へ入学。

きっと大学は本気で大好きな音楽に打ち込む仲間に囲まれて心震えるような瞬間を沢山味わえるに違いないと思って入学した。

【20~29歳】夢破れて彷徨う

大学に入った僕はすでにその年の11月には学科内で村八分され、存在を無視されるようになっていた。

理由は大学の教授の演奏会を聴きに行かず、お世話になっていた他大学の教授の引っ越し手伝いをしていたとかいう今から考えるとどうでもいいこと。

それが「教授に対して敬意を抱いていない」とかいちゃもんをつけられて個人レッスンやその教授が参加する実技授業などから強制的に受講拒否、1学年20人強くらいしかいない学科内にはその日のうちに話は広まり、同級生から呼び出しをくらい「なぜ教授に刃向かったのか」と小一時間問い詰められ、以降は教授、講師、学生問わず校舎内では誰も視線を合わさない、話しかけもしないしなんなら存在すらしない扱いがピアノなど他学科の教授が教授会で問題にする翌年3月まで続いた。

親に「もう辞めたい」と相談したが「もうちょっと頑張れ」と言われるのみで相手にされず、電車で大学最寄り駅まで来ても足が震えて降りることができず、一日中電車で往復し続けるという奇行が1週間続き、本当に自殺寸前寸前まで行った。

誰も信じられなくなった僕は親に内緒で精神科に通うことにし、その際に適応障害ではないかという診断とともに初めて「アスペルガーの可能性がある、詳細な調査をした方がいいと思う」と言われた(当時は怖くて先に進めなかったので正式に診断されたのはその8年後)。

3月に教授に許されて授業に復帰できたが、その頃にはもう教授がOBにまで僕の悪評をこれでもかと言いふらしていたのでそれ以降僕が新しい現場に参加するたびに悪評が付き纏ってきた。

復帰時に教授から青のホワイトボーダーマーカーを見せつけられながら「今後は俺が赤と言ったら赤なんだ、わかったなら許してやる」と言われたことは今でもたまに夢に見る。

2年生以降はもう完全に人間不信に陥っており、小6の時から培っていた相手の表情を読み取り相手の思った通りのことを話して波風立てない処世術を卒業までひたすら磨いて生き延びた。

そうやって無害な存在として相手の懐に入っていくといくらでも表に出せない話が聞こえてくる。

ホルンの誰それは教授と寝ることでオーケストラの仕事をもらったとか、講師の〇〇は学校の備品として買った楽器のラベルを剥がして自分の私物として使っているとか、誰それの親は有名なピアニストだから仲良くしておいた方がいいとか、あの准教授は東京のオーケストラと仲がいいから仲良くしないといけないとか。

そんな話を聞くたびに僕の夢は木っ端微塵になっていき、卒業時には今後1ミリも同級生と関わりたくないし、国内のオーケストラにエキストラで入るたびに「あー、あの寺田くんかー」と言われよそよそしくされることが心底嫌で楽団に入るのも完全に選択肢から除外されていた。
4年間は僕の音楽に対する期待を粉々にするには十分すぎる時間であり、プライベートでは一切オーケストラの曲を聴くことも演奏会に行くことも無くなったし、「音楽は言葉を超える」とか耳障りのいいことを言っているのを聴くと皮肉めいた笑いが出そうになる。
もちろん自分の性格や環境、時代によっては全然違う音楽への向き合い方もあったのだろうが、少なくても僕の時代、環境ではクラシック音楽業界とはこんなものだった。
卒業した翌年には件の教授が長年にわたるアカハラ、セクハラ、学校備品の私物化などで大学側から訴えられて教授を辞職、連帯責任で当時同じ学科にいた指導陣も揃って総入替が行われたみたいだから今はきっともっといい環境になっているだろう。

卒業後、クラシック音楽業界は大嫌い、でもトランペットは嫌いになれない僕はヤマハに拾われ、提携楽器店や各種芸術団体イベントでのヤマハ楽器販促や、吹奏楽部に力を入れている学校に運営や指導プランなどを提案し、その中でヤマハ楽器の一括契約を提案する普及担当という仕事を4年ほどした。教師の両親のもとに生まれた自分にはこういった仕事は向いていたのであろう、それなりの成績を出し特例で副業として演奏活動を続けることも許されるくらいには活躍できた。

でも活躍すれば活躍するほどコンクールや売り上げトップを目指すような音楽で競争するという発想が気持ち悪くなり、26歳以降はフィンランドの音大へ留学しようとしたり、管楽器奏者なのに歯列矯正して演奏活動を1年半棒に振ってみたり、ヤマハの仕事をセーブして高校の非常勤講師をやってみたりとかなり現実逃避(周りから見たら迷走)していた。

どれもそれなりには頑張るのだが、「音楽不信」「人間不信」がネックとなって勝手にフラストレーションを溜めて爆発してしまう。

結局28歳の時には再び精神科に通院することになり改めてアスペルガー(正式には「ASD」)と診断されることになった。

しばらく悩んだ後ヤマハをやめて、もう一度最初から自分の原点に戻ってみようと思った2020年の3月、自分のターニングポイントがやってくることになる。

【30~現在】新しい価値観を求めて

2020年4月、コロナウイルスの緊急事態宣言によって全ての公演などが中止に追い込まれ、フリーランスのトランペット奏者だった僕は一切の収入を失った。

周りを見ていると、仕事を失いただただ泣いているとかいう報告や、生活をつなぐためとりあえず全く音楽と関係ないバイトを始めた人。

こんなにあっさりと仕事って消えるもんなんだ、と愕然と思い、同時にこのまま音楽に何となくしがみついても生き残れない、と強く思った。

自分で新しいビジネスを起すべく簿記2級まで半年で取得して起業することを考えていたが、音楽業界しか今まで知らなかったことを自覚していたのでより様々な立場の人と話をして感覚を磨きたい&同じ起業したい人が統計的にも多くいるはずのリクルートに入社した。

入社して驚いたのは、少なくとも地方部署に所属している人はほとんどスキルアップして転職目当てで全然話が合わないこと。
徹底したマイクロマネジメントが多く、フレックス制という契約が形骸化していること。
そして、求人している地場の中小企業の半分以上が、将来の展望も自社のアピールポイントもなくただ漫然と「人がいれば解決する」と思っていること。

社内起業のコンペでも「AIを用いた自社サービスのコンシェルジュシステム」を提案したが、「あなたは今AIができることをわかっていない」と書面のみで一蹴され、一次で落ちた。(ちなみにその翌年の3月にChatGPTがリリースされた)

そういったリクルートのイメージと実態の違いにショックを受けながら門を叩いたG's ACADEMY。

「自分の作りたいものを作る」という作業を繰り返していくうちにプログラミングこそ自分を表現できる手段だと確信し、リクルートをやめて起業することにした。

そんなわけで12月に無事設立し、今こうやってノートを書いている。

2024年やらないこと

最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ

スティーブ・ジョブス

最後に大抵「今年やりたいこと」を書くのだろうが、今回はあえて自分の起業した理由を振り返って「これはやらない」ということをまとめたいと思う。

  • マイクロマネジメントされるような仕事は受けない

  • 未来志向の仕事しか受けない

  • 自分の価値観と違っても否定しない

  • 自分が燃えるものしか話を受けない

  • 今の自分の価値観で絶対に満足してはいけない

来年末に振り返って、「いい年になったな」と思えるように頑張ろうと思う。

ここまで見ていただき、ありがとうございました。

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