DAY12 習慣になってきたところ
⒈ 生きる美術
ジェームズ・フィッツロイ『ガメ・オベールの日本語練習帳』青土社 2021年
「ラットレースから抜け出す」
「株式というのは投資のなかでも、あんまり興味がない分野で、ただ世の中や特定の企業に対して関心の糸をつなげる目的だけのために続けていると言ってよい。」
「株式」も「投資」も縁がなさすぎて、何も考えられない。わからないなあと思いながら、ソフトパステルを塗っていく。粉っぽいけど優しい良い色。
「投資家は鉄道模型やプラレールを組む子供に似ている。」
こう言ってもらうと少しイメージが湧いてくる。学生の時に、家庭教師で人様の家に訪ねていくのが苦手で、自室でミニミニ塾みたいなものをやっていたことがある。2~3人を同時に教えるので家庭教師よりちょっと安い。でも、2人教えれば1人の家庭教師をする時よりも高額になる。月の報酬を計算して、時間を決めて、小さなチラシを作って、ドキドキしながら近所の八百屋さんにお願いして貼ってもらったのを思い出す。あのときのワクワクの規模が大きくなったものなら、ちょっとわかるかも。そんなことを思い出しながら、パステルを紙にこすりつけ(オイルパステルの場合と違って、紙に安定して置いておくのが難しい!)ちょうどいい混色具合になるように何度も重ね直す。
「これから世の中に出かけていく若い友人たちのために述べると、『オカネを稼ぐ』ということは人間の行うことのなかでは最も易しいことに分類されて、まったく苦労なく達成できることなので、なるべく早く一生暮らせるくらいのオカネをつくってしまってから一生をスタートするのがよいと思う。」
ええ~と思ったけれど、考えてみたらこれを実現している友人が何人か思い当たった。大富豪というのではなくて、暮らしにかかるお金と、保っておくべきお金と、入ってくるお金のバランスを上手にとって、必ずしも日々の労働を継続的に行わなくても生きていくことができるようになっている。すごいなぁ。尊敬する。
「先に借金をさせて、それを返済するのに見合う賃金を与えて、猛烈に働くエネルギーを吸い上げて社会を成長させるというのが基本デザインで、日本でいうと、やや変形で、日本では長らく金融機能が停止といいたいほど旧弊に留まっているので、借金すら出来なくて、ただ家賃を払い、食べるだけで暮らさなければいけない若い人が増えているが、どちらにしろ、そのサイクルにはまってしまうと、下手をすると一生抜け出せなくなってしまう。」
これがラットレースか。自分はどうかな。そもそも猛烈に働く能力がない。そして電話が致命的に苦手なのと、たくさんの人に会うと人のイメージがずっと脳裏から離れず眠れなくなるので「会社」では働けない、というのがあって、自宅でできる、X線検査の読影の仕事をしている。でも、体感的には「仕事」というより依存症に近い。画像は脳へのごちそうのようなもので、連休などで読むべきレントゲンが送られてこないとすっかり度を失ってそわそわしはじめる。家にいても休めないので、新型コロナの流行前は、月に1回近場に旅行して、その時だけゆっくり休むようにしていた。
どんな仕組みで生きていくのか、そのバリエーションを広く想像できるだけで(そしてそうできるような社会を作っておかなくてはいけない)、人の一生は全く違う体験になるのだろう。
色面だけではさびしかったので、最後に白いパステルで人の胸像を描いてみた。昔、大きな布で作った観音像みたいな線になった。
「人間の一生は、本来、明るくて楽しいもので、死んでしまうのがもったいないと感じるような体のものなので、きみが、それを斜に構えた態度や、初めからゲームを放棄するかっこづけ、どこかしらに悪意が籠もっている感じのする哲学で、台無しにしないように願っています。」
⒉ 核
NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命ー被曝治療83日間の記録ー』新潮文庫 2006年
「妹の細胞は……ー被曝18日目」
「次々と起きる放射線障害ー被曝27日目」
● 事故の発生時刻
1999年9月30日 午前10時35分 臨界事故発生
1999年10月1日 午前6時15分 収束(19時間40分にわたって中性子線が出た)
● 事故の発生場所
核燃料加工施設 JCO(ジェー・シー・オー)東海事業所(茨城県東海村)転換試験棟
● 被曝した人
大内久さん(被曝量20Sv前後)
同僚
上司
● 治療施設
国立水戸病院
放射線医学総合研究所
東大病院(被曝3日目より)
● 治療した人
前川和彦 医師(東京大学医学部教授、原子力安全研究協会被ばく医療対策専門委員会委員長)
衣笠達也 医師(三菱神戸病院外科医長)
平井久丸 医師(東大病院 無菌治療部副部長)
小林志保子 看護師(東大病院 救急部 看護師長)
平井優美 看護師(東大病院 救急部 主任)
細川美香 看護師(東大病院 救急部)
名和純子 看護師(東大病院 救急部)
柴田直美 看護師(東大病院)
山口典子 看護師(東大病院)
ロバート・ピーター・ゲール 医師(カリフォルニア大学医学部腫瘍部門教授)
明石真言 医師(放医研放射線障害医療部放射線障害診療・情報室長)
花口麻希 看護師
山口和将 医師 (東大病院 研修医)
岡本真 医師(東大病院 消化器内科)
小俣政男 医師(東大病院 消化器内科教授)
フレッド・メトラー(アメリカ ニューメキシコ大学放射線学部健康センター教授)
● 大内さんの症状、臨床所見、検査データ
〈被曝直後〉
嘔吐、意識消失(吐瀉物からナトリウム24検出)
〈9時間後〉
リンパ球の割合の低下 1.9%
〈2日目〉
身長174cm 体重76kg
意識清明
耳の下と右手に痛みあり
顔面の発赤、浮腫。眼球結膜の充血
剥落、水疱等、皮膚の異常なし
尿量減少
血中の酸素濃度の低下
腹部膨満
〈3日目〉
意識清明、会話可能
右手の痛み、発赤、腫脹
白血球数の減少、リンパ球が無くなる(!)
〈6日目〉
骨髄細胞の観察ー染色体がばらばらになり、別の染色体とくっついているものもあった
〈7日目〉
血小板数減少(26,000/μl)
白血球数減少(900/μl)→ のちに100/μlまで下がる
口渇
皮膚の異常(医療用テープとともに剥がれ、再生しない。熱傷後のような水疱を形成)
呼吸不全の進行(肺出血か肺水腫が疑われた)
不穏状態
〈11日目〉
人工呼吸器装着
〈14日目〉
意識明瞭、声かけに反応できる
右手の皮膚に水疱ができる
〈16日目〉
白血球数 300/μl
大腸内視鏡検査 粘膜は保たれている(肉眼的には正常に近い粘膜であった)
〈17日目〉
白血球数 600/μl → 1000/μl
経鼻チューブより栄養剤を投与(100g)
〈18日目〉
緑色の粘液のようなもの100gが便として排出。栄養剤の投与を断念。
骨髄細胞の観察 妹の細胞が根付き、妹の細胞由来の白血球が見られた
白血球数 6500/μl
〈19日目〉
白血球数 8000前後/μl
リンパ球 20%
赤血球数、血小板数、徐々に増加
〈20日目〉
皮膚は熱傷後のような状態
ローリングベッドを導入
〈26日目〉
右手の皮膚はほとんどなくなり、赤黒く変色
骨髄細胞の検査
「染色分体の break が、30細胞中3細胞に認められました」(10%に異常)
染色体の傷がどこからきたか
-中性子線が体内の物質を放射化し、染色体を傷つけた
-バイスタンダー効果による(活性酸素による損傷)
〈27日目〉
大量の下痢が始まる。下痢の原因は何か
-GVHD
-放射線障害
〈28日目〉
大腸内視鏡検査 粘膜がなくなり、粘膜下層が現れていた
〈29日目〉
血中ミオグロビンの上昇 1,800ng/ml(正常は60ng/ml以下)
右腕の切断も検討されたが、切断部分が治癒しない可能性を考えて行わない判断となった。
皮膚からの滲出液は1L/day
眼球からの出血
爪の剥落
● 大内さんの治療
造血幹細胞移植(末梢血幹細胞移植:ドナーは妹)大量の放射線を浴びて、免疫細胞がほぼ完全に破壊されていたことで、妹の細胞を拒絶せず、細胞が根付くことができたのではないかと考えられる。
感染症対策(クリーンルーム/サイトメガロウィルス、EBウィルス、カンジダ、アスペルギルス等のリアルタイムPCR)
ペントキシフィリン(10日目より)
皮膚の治療に、抗生物質の入った軟膏
□ 事故の状況
核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業。(「常陽」は茨城県大洗町の核燃料サイクル開発機構大洗工学センターにある)
発注者:核燃料サイクル開発機構
受注者:核燃料加工施設 JCO(ジェー・シー・オー)東海事業所 (茨城県東海村)
仕事内容:燃料を「硝酸ウラニル」というウラン溶液の状態で 57kg 納入
取り扱っていた核燃料:濃縮度18.8%(ウラン235の割合が高い。一般の原子力発電所で使われる核燃料は濃縮度が5%以下→臨界に達する危険性が高い)
作業場所:転換試験棟
作業上の問題:
臨界になりにくい形状をした溶解塔のかわりにステンレス製のバケツを使っていた。(バケツの方が洗浄が楽だから)
均一化の工程でも、製品を小分けして臨界を避ける工夫がされていたが、これをやめて貯塔という細長い形の容器に入れて、混合してから攪拌し均一化する方法に変更された。
これらが「裏マニュアル」として承認されていた
さらに、貯塔(形状制限で臨界を避ける)を使わず、より球形に近い、沈殿槽を使用していた。(JCO東海事業所の主任の承認あり)
☆ 臨界とは
核分裂連鎖反応が持続して起こる状態のこと。中性子線は人体の中にあるナトリウムをナトリウム24(放射性物質)に変える。
☆ 臨界をさけるためには
質量制限… 1回に取り扱うウランの量を臨界に達しない限度に制限すること
形状制限… 中性子が外に飛び散りやすいよう容器の表面積を広げることで、中性子が他の原子核に当たらなくなるため、核分裂が連鎖的に起こらなくなり、臨界には達しない。
☆ IAEAの推定被曝量とは
検索してもすぐに出てこなかったので、代わりに産業医科大学の岡崎龍史先生の『基礎から学ぶ緊急被曝ガイド』を購入する。
☆ 2次被曝
放射性物質が撒き散らされた際、ストロンチウム90やセシウム137などを含む、いわゆる死の灰が被爆者の身体表面や衣服などに付着していると、それに触れたり、吸い込んだりして被曝する可能性がある。
☆ 不均等被曝
放射線のエネルギーは、線源からの距離の2乗に反比例する(距離が2倍になるとエネルギーは4分の1になる)ため、線源との位置関係によって被曝の強さが変わる。
☆ 被曝治療としての造血幹細胞移植
1957年 アメリカ ピッツバーグの加速器事故 一卵性双生児の兄弟からの骨髄移植
1958年 ユーゴスラビア 6人に骨髄移植
1986年 チェルノブイリ 13人に骨髄移植、6人に造血幹細胞が含まれている胎児の肝臓の細胞を移植
いずれも移植の効果は確認できていない。
☆ 放射化
中性子が体内のナトリウムやリン、カリウムなどに当たると、これらの物質が変化し、自ら放射線を発するようになる。
☆ バイスタンダー(傍観者)効果
1990年代初めに培養細胞で確認された現象。中性子線に被曝した細胞が活性酸素を出すようになり、近くの被曝していない細胞に損傷を与えるもの。
☆ GVHD(graft versus host disease, 移植片対宿主病)
骨髄移植や輸血に伴っておこるドナー(臓器提供者)のT細胞が宿主(ホストあるいはレシピエント)の組織細胞を攻撃する現象。移植から1-2週間程度で発症する急性GVHDと、数ヶ月後に発症する慢性GVHDに分類される。主に、皮膚(皮疹)、肝臓(黄疸)、消化管(下痢)が攻撃される。
日を追うごとに、胸が詰まるような状況になっていく。桁違いのエネルギーを持つ中性子線にさらされた身体が、細胞レベルから崩れていこうとしている。
原子力を「扱える」と考えること自体が大きな間違いで、ましてや under control などありえないと感じる。
「このころの大内は目ぶたが閉じない状態になっていた。目が乾かないよう黄色い軟膏を塗っていた。ときどき、目から出血した。細川美香は大内が苦しくて血の涙を流しているのではないかと思った。
爪もはがれ落ちた。
名和純子は、むかし広島にある原爆の資料館で見た被爆者の写真を思い出した。50年以上前、原子爆弾で被曝した人たちも、こういう状態だったのだろうかと考えていた。」(P111)
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