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(66)ラジオでの活躍/あきれたぼういず活動記

(前回のあらすじ)
1951年。あきれたぼういずは帝国劇場公演を果たした。一方、吉本興業を離れた川田は新芸術プロダクションを立ち上げる。

※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を!

【民間放送開始】

これまでNHKのみだったラジオ放送だが、1951(昭和26)年9月以降全国に民間放送局が続々と開局、放送開始した。

民放開始当初から、あきれたぼういずたちもラジオで大いに活躍。
これまではラジオ寄席等にときたま顔を出す程度だったが、レギュラー番組を持って毎週出演している。

開局〜1953年末までのレギュラー番組はざっと以下のようになっている。

※主要な情報源は東京新聞のラジオ欄です。地方局の番組は漏れが多いと思われます。
また、提供企業については確認できたもののみ記載。複数社の提供、あるいは途中で提供が変わった可能性もあります。

《あきれたぼういず》

◆「あきれた世界旅行」(JOKR:ラジオ東京)
トヨタ提供
金曜午後6時15分〜

1951年12月28日「出発の巻」が第1回で、航空の巻、ハワイの巻、などと各地を巡り、2月22日「ソ連から日本へ」が最終回。

 昭和27年1月、新しいコマーシャル・ソング「世界を走るトヨペットの歌」が、西条八十作詞、古賀政男作曲で完成した。同じく1月からラジオ東京で、アキレタ・ボーイズ出演の「あきれた世界旅行」が放送されたが、その中で、この歌が池真理子によって紹介された。この番組は毎週金曜の夜6時15分から30分間放送されたもので、トヨタの定期的な電波宣伝としては最初の提供番組であった。

『トヨタ自動車販売株式会社の歩み』1962

◆「ハロー・サンデー」(JOKR:ラジオ東京)
小野田セメント提供
日曜午後9時10分〜

「ハロー・サンデー」は毎回あるテーマに沿ったコントを展開した後にテーマ内容の専門家を招いて話を聞き、最後は歌で締めるという、笑いと学びを合わせたバラエティ番組。
レギュラー出演はあきれたぼういずと丹下キヨ子。
1952年1月13日放送の「新版貫一・お宮」以降しばらく丹下と共にレギュラー出演しているが、途中で河井坊茶らに交替。

 「新版貫一・お宮」
これまであきるほど扱われた題材だけに、今夜はいささかちがった趣向で行こうと「金色夜叉」をタネにして、電話問答を試みる、貫一(益田喜頓)とお宮(丹下キヨ子)が熱海の海岸の場をきかせているところへ山茶花究、坊屋三郎がとび出して珍問答がはじまる、いったい「金色夜叉」はいつごろの作品なんだろうというようなことから、それなら一つその道の先生に伺ってみようとなって神崎清、神近市子へ電話をかけて教を受ける、その間で岡村敦郎が「貫一エレジー」を歌う

(1月13日放送)

 「オン・アンド・セン」
或る温泉場で新婚旅行に出た坊屋三郎と丹下キヨ子が、元子爵の令息という益田喜頓と、家令の山茶花究にぶつかる、新婚組と療養組との漫才的な掛け合いがあってから科学博物館の理博朝比奈貞一氏がゲストで登場、クイズをする、次にアメリカの流行歌手クラーク・ジョンストン氏、坂東鶴蔵等が出演

(1月27日放送)

 「歌う神様」
益田喜頓の信者とウロ八教団の大先生(坊屋三郎)との宗教問答の最中に山茶花究の邪教排斥論、小唄勝太郎の教団弁護論が出て、益田が教祖の丹下キヨ子に面接するくだりで邪教の本領を発揮する、ゲストは心理学者のお茶の水女子大学教授南博氏で、益田の精神分析を行う

(2月24日放送)

 「雨のふる日は天気がわるい」
丹下と益田とが、天気の話をしているところへ世界平等主義運動会長山茶花が現われ、雨ふりの平等を主張していると、坊屋が雨はなぜ降るかを知っているかと詰め寄るので会長も返答につまる、そこで中央気象台研究所員理博三宅恭雄氏が登場する

(6月8日放送)

 「種の起原」
坊屋博士の最新発明薬ウーロハーゼの実験発表の席上に仲間の山茶花博士は実験に使う動物、丹下と益田を連れてくる、坊屋博士の薬を丹下、益田にかければアミーバとなり、山茶花博士の薬はアミーバを人間にするのだが、丹下と益田とがデンデン虫になったりタヌキになったり大騒動、歌は淡谷のり子と津村謙

(6月29日)
以上すべて・東京新聞ラジオ欄/1952年各放送日

《益田喜頓》

◆「陽気な喫茶店」(JOAK:NHKラジオ)
火曜午後8時〜

1949年から続くNHKの人気コメディ番組で、1950年頃からすでにあきれたぼういず三人で数回ゲスト出演している。

1953年、レギュラーメンバーの松井翠声が渡米することに。松井の代役に選ばれたのが益田だった。
4月7日放送分(感傷の春です)から、益田の名前がある。
5月19日の放送(のみの市)では坊屋と山茶花も登場。

7月、松井が帰国し番組に復帰するが、益田はその後も残ってレギュラーメンバーになっている。

◆「今宵もあなたに」(JOKR:ラジオ東京)
月曜午後7時30分〜
1953年10月19日(初回)〜12月21日
有島一郎、千代田照子

これは邦楽にかわる新番組で益田喜頓、有島一郎、コロムビアの新人千代田照子のレギュラーメンバーに毎回ゲストに迎えて華やかなバラエティショウを展開して行く、今夜のゲストは映画俳優の根上淳、南田洋子それに大映スターズの投手スタルヒン

東京新聞/1953年10月19日

《山茶花究》

スターダスト・コンサート」(JOKR:ラジオ東京)
隔週日曜8時30分〜
1953年4月26日〜

渡辺弘とスターダスターズの演奏とペギー葉山の歌で送る音楽番組。
山茶花究が司会を務めている。
月に一度ほどの頻度で日曜日に放送。

《川田晴久とダイナ・ブラザース》

◆「国定忠治」「鼻のシラノ」「一心太助」「遠山金さん刺青日記」「遠山の金さん」(JOKR:ラジオ東京)
ロート製薬/神谷酒造提供
日曜午後9時45分〜(1952年6月一杯)
土曜午後9時10分〜(7月以降)

1952(昭和27)年6月1日からはラジオ東京で川田もレギュラー番組をもつ。
得意の歌謡漫談を軸にしたもので、
「国定忠治」以降「鼻のシラノ」「一心太助」「遠山金さん刺青日記」とタイトルを変えながら、1957(昭和32)年に入院するまで放送を続けている。

 歌謡漫談「遠山金さんの刺青日記」
川田晴久の歌謡漫談は「一心太助」のあとを受けて「遠山金さんの刺青日記」となり序説金銀つるみの巻、作並びに構成は大村順一、江戸の庶民の間で人気をふっとうさせた名判官の姿を音楽と歌と風刺の間に描き出す

東京新聞/1953年10月3日
「川田晴久歌謡集」裏表紙。ラジオの広告が載っている

【参考文献】
『トヨタ自動車販売株式会社の歩み』トヨタ自動車販売株式会社社史編集委員会/1962
東京新聞/東京新聞社


(次回5/12)有木山太の活躍

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