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(1)はじめに/あきれたぼういず活動記

【あきれたぼういずとは?】

はじめまして。
胡弓かなたと申します。

イラスト・マンガを描いたりしながら、
今はひょんなことからハマってしまった「あきれたぼういず」のことを調べております。

みなさん、「あきれたぼういず」をご存知ですか?
日本初の音楽ギャググループ、
ざっくりいうと、コミックバンドの先駆け的なグループです。

1937(昭和12)年、浅草に出現したこの四人組は、その斬新かつハイセンスな芸風でたちまち全国的なスターとなりました。

そのスタイルは、いうなれば「古今東西ごった煮パフォーマンス」。
取り入れる音楽は、ジャズにオペラ、流行歌に浪曲、民謡、ハワイアン、さらにはお経や動物の鳴き声まで多種多様。
そして歌も演奏も、漫才風の掛け合いからコントのような寸劇にモノマネまで、なんでも四人でやってしまう。

その芸風をまねたグループも次々と出現し、演芸界に大きな影響を与えました。
ここから、歌謡漫談グループやその芸風を「ボーイズ」と呼ぶようになりました。

▲レコード「商賣往來」歌詞カードの紹介文


彼らの活動は、波瀾万丈。

人気絶頂のタイミングで引抜き騒動に巻き込まれ、メンバーが分裂。
そして戦時色が濃くなるにつれ、活動は様々に制約され、やがて散り散りになってしまいます。
しかし終戦後は世間の声に応えて再始動、渡米公演も果たしました。

このnoteでは、そんな彼らの活動を、当時の新聞・雑誌を中心に追いかけて連載していきたいと思います。
いつか本としてまとめたいなぁと思いつつ執筆中の原稿を、
note用に手直ししつつ掲載していく予定です。


【ぼういず紹介】

今回は、これから登場するあきれたぼういずの面々を簡単にご紹介。

◆川田義雄(晴久)

かわだよしお(はるひさ)
1907(明治40)年3月15日生〜1957(昭和32)年6月21日没
本名:岡村郁二郎(おかむらいくじろう) 東京都文京区出身

あきれたぼういずのリーダー的存在。
歌も語りも達者で明るく軽妙な芸風、「川田節」と呼ばれるギター浪曲が十八番。
戦後、川田晴久に改名。
「川田晴久とダイナ・ブラザース」を組織するなどヴォードビリアンの後継者達を育てたばかりでなく、美空ひばりの才能を見出し売り出した彼女の師匠でもある。

◆坊屋三郎

ぼうやさぶろう
1910(明治43)年3月28日生〜2002(平成14)年5月25日没

本名:柴田俊英(しばたとしひで) 北海道夕張市出身
生まれてまもなく養子に出されたため、出生名の石川博から柴田俊英に改名。
日本大学芸術学科卒業。
テノール歌手の松山芳野里に師事し声楽を学ぶ。
声の器用さを活かして有名人やアニメのキャラクター、動物などの声帯模写を次々と繰り広げ、またトタンの洗濯板を楽器に仕立てて演奏するなど、賑やかな芸風が持ち味。

◆芝利英

しばりえ
1913(大正2)年6月20日生〜1945(昭和20)年5月13または14日没
本名:石川正(いしかわただし) 北海道夕張市出身

坊屋の弟で、益田とは下積み時代からの仲。
元々はレヴュー団でダンサーとして活躍。
あきれたぼういずにおいては貴重なバリトン担当としてコーラスを支える。
芸名はフランスの名優モーリス・シュバリエのもじり。
太平洋戦争において出征し戦死。

◆益田喜頓

ますだきーとん
1909(明治42)年9月11日生〜1993(平成5)年12月1日没
本名:木村一(きむらはじめ) 北海道函館市出身

幼い頃から喜劇に親しみ、バスター・キートンに憧れたことから芸名に。
ヒョロヒョロとした裏声のハワイアン・ヨーデルを十八番にし、他メンバーに押され負ける被害者的な立ち位置から最後にうまくオチをさらうといった役回りが多い。
戦後も役者として活躍し、ミュージカルにも多く出演した。

◆山茶花究

さざんかきゅう
1914(大正3)年4月1日生〜1971(昭和46)年3月4日没
本名:末広峰夫(すえひろみねお) 大阪府大阪市出身

歌手としてデビュー後、文芸部員や喜劇団員など転々としたのち、
古川ロッパの一座でボーイズグループ「ハリキリボーイズ」を結成。
まもなく引き抜き騒動で分裂したあきれたぼういずに、川田の穴埋めとして加わる。
川田のギター浪曲を引き継ぎつつも、大阪弁や活弁調などの語りの芸を展開。


次回から本編に入っていきます。

▶︎(2/12UP)まずは川田義雄の生い立ちから……

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