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進化の先にある、文化を。


いつの時代も、ひとは「進化」を追い求めてきました。ここでいう「進化」とは、「経済的な発展」や「技術的な進歩」や「物質的な成長」といった狭義の進化をさしています。それは疑う余地もなく、社会を豊かにしてきたし、これから先もずっと追い求めていくべきものです。

だけど、今の社会には「文化」が足りないような気がしてなりません。「進化を追い求める人」はたくさんいるけれど「文化を追い求める人」は多くはないようです。どこかで誰かが鳴らす警鐘の音も、あまりには小さく、はかない響きです。


「人を、より人らしくするもの」


それが僕の考える文化の定義です。具体的にすれば、文学であり、音楽であり、料理であり、スポーツであり、宗教がそれにあたります。文化は、人の精神を癒し、高揚させ、成長させてくれる、大切なものです。

シンプルに言えば、文化は「個」を救うために存在しています。本当に絶望した心を救ってくれるのは、家族や友人ではなく、過去に誰かが残した言葉やメロディーや物語だったりするものです。進化は「社会」を豊かにするためにあり、文化は「個」の精神の豊かさのために存在しています。そのために(今を生きる人の精神を救うために)、人類は太古から物語や音楽というあたたかい火を絶やさずに紡いできたのだと思います。

どれだけ都市が進化し、これだけ社会が豊かになっても、どこか「乾いて」いるように見えるのは、「文化を希求する姿勢」がこの社会に足らないからではないかと思わずにいられません。語弊を恐れずに言えば、「進化は文化の序章」に過ぎません。「進化していく」だけでなく「文化していく社会」をもっと真剣に考える必要があるように思います。

PCが進化して、生産能力は格段にあがりました。だけど、その結果、社会によりよい文学が増えたかと言えばそうでもないようです。進化と文化。そこには別軸の概念の捉え方が不可欠な気がします。

文鳥社の「文」は、文化の「文」だと勝手に考えています。だから、文化に貢献する会社でありたいと思います。とても切実に。言葉や企画やデザインを使って、「人がより人らしくあれる社会づくり」に挑戦していきたい。まだまだ力足らずですが、進化の先にある文化を追い求めて、がんばっていこうと思います。

文鳥社/カラスの所信表明でした。

http://bunchosha.com


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