アイドルジョッキー☆馬になる67~信一♠フローラステークスへの山越え
いつもの和室には、俺の他にヤマさんと先生の姿がある。
月曜日の今日は船橋ナイターがあり、まなっちゃんは俺に思いを託して、昨日から船橋の調整ルームに入っている。
託された思いをぶつける相手が座卓を挟んで、目の前に座っている。苦い苦い苦すぎる顔で。
ユッカの次走について相談したいと申し出たところ、馬主である会社の社長は出張中ということで、一任されてきたというのは反対くんこと岡谷さん。
ということもあって、予想していたこととはいえ、猛反対されているという状況だ。
タブレットを手に、数字を打ち出して、賞金うんぬんの話になっている。
確かに、彼がいうように南関東の重賞なら入着賞金でも高い水準にある。中央で着外になる確率と天秤にかければ、どちらが得かは改めて言われなくてもわかっている。
「しかも、中央にどれだけのリスクがあるかは、去年のことで、みなさんも、わかっているはずですよね」
ああ、わかっているとも。それでも、俺らは行かなきゃいけないんだよ。
胸の中の言葉を嚙み殺した。
「素人の私がいうのも、おこがましいですが、そもそもどう考えてもユッカが芝で通用するとは思えません」
「いや、それはやってみないことには」
俺の反論など聞き流し、
「わかりますよ。競馬に血統という概念があるからには、ユッカはどうみてもダート馬ですよね。現に父親と同じ地方の深いダートで結果がでているんですから」
ほんと憎たらしいやつだ。
ユッカの購入の時は、ちっちゃいから力のいる地方ダートは走らないとか言っていたくせに、今は地方なら走るとか言いやがって。
言いたいことは山ほどあるが、最終的に決めるのは馬主である。
くそっ!
とその時、呼び鈴の音が耳へと届いてきた。
思わず、先生のほうに目が向かい、視線が重なった。
先生がウインクでもしそうな感じで、にやりと笑みを浮かべた。
「あれ? 誰か来たみたいなんで俺見てきます」
そう言って、玄関のほうへと向かった。
引き戸を開ければ、そこには待ち望んでいた姿が。
事前に時間も含め約束していたとはいえ、忙しい人だけに本当に来てくれるか不安だったのだ。
この前のトップ会議の時、反対くんはおそらく中央挑戦を頑なまでに拒んでくるという話になっていた。
どう説得するか頭を悩ましていた時、先生がにこりと微笑みながら、
「信一君。説得してもらうのに最適な人がいるじゃないですか」
最適な人?
俺が首を傾げると、先生は、
「地方も中央も知る男です。さらにはユッカのお父さんのこともね」
先生は自分の思い付きが、まさにそのとおり、だとばかりに小さくうなずいている。
地方も中央も……ユッカのお父さん……キラボシ……?
浮かんでくる人物――内戸宏幸。
キラボシの主戦だった騎手であり、今は大井から中央に移籍してトップジョッキーになっている。
まさに地方も中央も知る男だ。
その彼とは面識もある。大学生の頃に、マサル(噛みつきヒーロー)がいる牧場で顔を合わせ、話したこともあった。
「内戸宏幸さんですね」
俺がそう言うと、ヤマさんからも、「おぉ、宏幸か。あいつに頼むのはいいかもしれないな」
いかにも親しそうな口ぶりだ。でも、じゃあ連絡してください、などと言わないのが大人の振る舞いというもの。
宏幸さんは大井当時からトップジョッキー、一方ヤマさんは……まあ、それはそれとして、連絡をとれるほどの仲でないのは確かだ。
「貫太郎さんにお願いすれば、たぶん連絡は取れると思います」
「そうかそうか。じゃあ、頼むぞ信一」
その内田宏幸さんが目の前に。
昨日も中山で重賞を勝っているまさにスタージョッキー。まさか、そんな方がわざわざ小林にまで来てくれるとは……中央挑戦の説得をしてほしい、なんて頼み事を引き受けてくれるとは……。
和室に案内すると、知っているはずのヤマさんと先生にも、本当に来てくれたんだといった感じの驚きの表情が浮かんでいた。
当然、反対くんも驚いているようだったが、まさかユッカの中央挑戦の説得に来たとは思っていないだろう。
挨拶などをし終えると、俺はさっそく仕掛ける。
「今、ユッカの次走について話していたんですよ。我々としては中央の芝なんかどうかなと思ったんですが、こちらの馬主さんにいわせると、通用するわけないとのことなんですよね。内戸さんはどう思います?」
反対くんは突然切り出された話に、口が半開きで、俺と内戸さんの顔を行ったり来たりしている。
「素晴らしい挑戦だと思います。もちろん、勝負にもなるとも」
内戸さんは、そう言いきってくれた。
「いや……しかし……」
反対くんは言葉につまっている。さすがにトップジョッキーの言葉は重みが違う。
それでも反対くんは、やっぱり反対くんだった。プロ中のプロを相手に、素人が臆することなく血統うんぬんを語りだしている。
それに対し、内戸さんも口調が熱くなり、
「言っときますけど、キラボシは間違いなく芝でも通用した馬です。それだけの切れがあったんです。ユッカだって、その血をしっかり引き継いでいる。桜花賞の切れが何よりその証。芝ならさらに切れます!」
何か違う人を見ているようだ。
インタビューなどで見る姿は、どこか優等生的な感じだった。
俺の横に座っている先生のつぶやき声が耳に届いてくる。「昔の内戸くんに戻ったようですね」
大井にいた当時のことだろうか。
貫太郎さんが、冗談交じりに「あいつも大人になった」、と言っていたことを思い出した。
昔は熱い思いがあふれていたのだろう。
いや、この姿をみれば、今もその思いは変わっていない。地方競馬に対する思いも。
「可能性があるなら挑戦すべきです。地方競馬が盛り上がれば、競馬全体が盛り上がる。ユッカにはそれができる。それだけの馬なんです」
内戸さんの思いは、頑なに動かなかった反対くんの首を縦に振らせてくれた。
これで、ユッカが……ユッカがJRAへ挑める。
あのフローラステークスへ。
内戸さんは帰り際に、馬舎に立ち寄ってくれた。
俺はユッカの耳元で、フローラステークスに行けることになったと告げると、彼女は無言のまま小さくうなずいた。
引き締まった表情は、すでにそこへと向かっているという感じだった。
内戸さんは、ユッカに近づくと、何かを語りかけているのか、首筋をなでながら口元が小さく動いていた。
そして、立ち去る時、「力強いいい目をしているね」とにっこり微笑んでいた。
内戸さんをタクシーが待つ牧場入口まで送ると、足は再び馬舎へと向かっていた。
胸の中には、内戸さんが去り際に口にしていた言葉がじわじわと広がっている。
ユッカの弱点。それを克服しないと東京(競馬場)じゃ……勝てない。
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