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あいみょんと菅田将暉と

なんとなくだけど、あいみょんとはいつかどこかですれ違う気がしている。でも、菅田将暉の実物は見ることがない気がする。

いつものことだが、この話にはオチも教訓もためになる話は1つもないことは先にお断りしておく。

もちろん、あいみょんは代々木公園でスケボーに乗っているわけではないだろし、私も代々木公園にはいかない。でも、どこかの街か、店か、廊下ですれ違う気がしている。でも、菅田将暉はそんな感じも感じない。ましてや、米津玄師なんかは、存在自体を疑問視している。紅白に出たらしいが、観ていないしその動画すら見たことがない。だいたい、紅白に出た人が本人なんて保証がどこにあるのだろうか?

東京に住んで20年以上経つ。東京は色々な人に会える街だ。でも、なんの特徴もない私は特に芸能関係方面に知り合いはいなし、伝手もない。なので、有名人の知り合いはほとんどいない。

それでも色々な場所で有名人とすれ違ってきた。電通のロビーで、恵比寿のフレンチで、銀座のしゃぶしゃぶで、赤羽の商店街で、上海行きの飛行機の中で。

もちろんコンサートのチケットを買っていけば確実だ。でも、なんかどこかですれ違う気がしている。

それは彼女の歌をずっと聞いているからだろうか?でも、最近はNulbarich(ナルバリッチ)の方を圧倒的に聞いているから、単純接触効果はNulbarichの方が高いはずなのに、Nulbarichにはそんなことすら考えない。

noteはアウトプットするのにいい!ビジネスに役立つ!とか、毎日noteを更新するの目標にする!的なものをよく目にする。でも、それはこんな中身のない文章を書くことではないのだろうな、と思う。すべての行動に意味をもたせるというは素晴らしいことだと思うが、そんな息苦しいことはしたくないなぁと思う。目的のない行動も必要なことではないかなと、自堕落な私は思ってしまう。

おそらくだが、志の高い人は『あいみょんに会うために行う1000のチャレンジ』とかやって、毎日noteを更新しSNSでアピールして、Warner Music Japanの伝手を探して、六本木の日テレで出待ちして、西麻布の隠れ家的バーに潜入するのだろう。

私は会いたいのではないのだ。もちろん、会ったらうれしいしけど会っても「曲が大好きでいつも聞いています!応援しています。がんばってください」っていうくらいだ。

私はただ、どこかの街で、いつかすれ違う予感がしているってだけなのだ。

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