僕がアートを好きになったコト。社会のレールを降りた人へ
時間がない方は最後だけ読んでください!
僕がアートに出会ったのは大学2年生の頃でした。
なんとなく自分の世界が広がるといいなあと思ってヨーロッパに一人旅をする準備をしていた頃のことです。
せっかくだから美術の基礎知識を身につけようと思って、『はじめての〇〇』や西洋美術史入門といった本を買いました。
元々歴史を学ぶのも好きだったことから、美術史も一つの川の流れのように古代から現在まで繋がっていることに面白さを感じました。
そのほかにも、ベラスケスは万能でカリスマ的な勇者タイプ・カラヴァッジョは実力でねじ伏せる天才タイプといったように、漫画のキャラクターみたいに多種多様な人物が登場するのも勉強していて楽しかったのです。
この時は、アートの外面的な部分に魅力を感じていました。
そして、いくらかの知識を身につけ、その数日後ヨーロッパに飛び立ち、到着してからというものほぼ毎日美術館に行きました。
僕は、今まで学んだことの事実確認、つまり学んだ絵や人の作品が目の前にあるということに喜びを感じていました。また、小学校の頃、キリスト教の教会に通っていたことから、宗教画の場面やアトリビュートについて考察することも楽しかったです。
しかし、その中でも僕の知識が通用しない美術館がありました。
それは、テート・モダンやポンピドゥーセンターといった現代アートを中心に展示している美術館でした。
知識が通用しないからといって魅力的でなかったわけではありません。
むしろ、こちらの方が刺激的でエキサイティングな時間を過ごすことができて、楽しかったのです。
その理由は明確にはわからないのですが、人生や頭を全身全霊で使い、僕達の感情を揺さぶる作品がいて、その作品を作った人が同時代に存在している(いた)ことに感銘を受けたのだと思います。
たしか、自分が哲学にのめり込んだ理由もそんな感じでした。
ヨーロッパに帰国後、アートに飽きるでもなく、東京の美術館に通い、地元の岡山の大原美術館・瀬戸内の島々に新たな気持ちで改めて訪れました。
そして、人とは違ったことが価値に直結するアートにある種の心地よさも感じるようになりました。
僕はある出来事があって、いい大学に行っていい会社に就職するというレールを降りざるを得なくなりました。
それまで、田舎のトップの県立高校にいて都内の有名大学にも行き、なんとなくこのまま幸せに生きていけそうな気がしてました。
そして、今まで他人と同じシステムにいたからこそ、他人との差異により一層悩まされました。
その時、僕が心の糧にしていたのは、この社会を衝撃的に映し出しているアートであり、揺るぎない自己を持った唯一無二の存在であるアーティストの存在でした。
また、アートを通して人類の長い歴史や自分の知らない世界の広さが垣間見え、この壮大な人類の一部に自分を組み込んで考えるようになると、なんとなく今生きていることが肯定できるような気がしました。
僕にとってアートは刺激的な趣味であり、救世主でもありました。
もちろんアートは、作品を楽しむものなのは真実ですが、他人との違いに悩んでいるひと、生きている理由が特にわからない人の処方箋にもなるような気がしています。
そして、そんなアートを勉強して何か恩返しのようなものが出来ればいいなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
こぺ
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