見出し画像

自分を構成する音楽の話。 第3回

自分の身体を構成する音楽。それがないと、もはや生きていけないとすら思う。

谷川俊太郎さんが、「幸せについて」という本の中でこう言っていた。

“コトバには意味がつきまとうから、不幸せになりやすい。音楽には意味がないから幸せになりやすい。”

この文章を読んだ時の衝撃たるや、それはそれはもう大変なものだった。ああ、この言葉を一生私は忘れることができないと思った。目を見開いた。うわあ、すごい、と思った。
たしかに、音楽はいつだって、そばにいてくれる。悔しさを代弁してほしいとき、悲しみに寄り添って欲しいとき、楽しさや喜びの色彩にさらなる彩りがほしいとき、そして小さな勇気の背中を押してほしいとき。いつもそこにいてくれてありがとう、音楽。

私はいまだ、真に純粋な意味をもたない音楽を好んでいないような気がする。

テンポは早めが好き。
バラードは聴かない。
少し悲しみが含まれている曲が好き。
パンクロックは聴かない。ただロックは好き。
ケルト音楽も好きだし、ファンクとかネオソウルとか言われるジャンルも好き。
あ、そうそう。せっかくイギリス行くんだもの、今年の夏からはもっとUKロックに浸っていきたい。

正直、特に精通しているジャンルがある訳でもないから、いわゆる音楽オタクではない。常に自分が「好きだ」と思った音楽が好きだから、深く語ることもできない。それでも私は常に音楽に飢えている。音楽を欲している。

聴きたいと思う音楽は、本当に、その時の自分の状況と心境を表すと思う。
5年間くらいはEDMを聴きあさっていた。
4年前に職場が変わってからは不思議と一切聴かなくなった。いわゆる流行の曲を聴くようになった。
今は違う。ロックが好き。90年代の曲が好きでたまらない。
(数週間前、衝動的にEDMが聴きたくなった。なぜだろう、ほんとその時の状態を表すなあ。)

意味をもっている音楽を好きになってしまったなあ。昔は、吹奏楽をやっていた時は、無我夢中で純粋な音楽を追い求めていたのに。
何も考えてない私。それでもホルンを吹いていたあの頃は、今よりももっと何も考えていなかった。沢山傷ついていたであろうあの頃は、何も考えていないあの時間が何よりも楽しかった。
(習志野市立習志野高校吹部のさくらのうた。これは定期的に聴かないと?観ないと?いけなくなる時がくる。心をチューニングするために。あまりにも全てが美しい。)

"推し”のバンドが勧めてくれた音楽、大好きな仲間と酔いながら踊った音楽。作ってくれたおすすめのプレイリスト。
意味を求めている。昔は歌詞なんて気にしてなかったのに。
でもそれでいいとも思う。音楽って誰かと「よくない?」「いいよね」って共有するためにあるとさえ思う。なんだったら、自分の好きな音楽を伝えることを通して、私はこういう人間なんだと表現している節もある。
誰かにわかってほしいから。見てほしいから。”好き”を通して表現するということが生きていくことだと思うから。

それでも、音楽は意味をもたないから幸せなんだ。意味をもってしまったら、最高にもなるし、しんどくて辛くもなる。
私は今、Arctic Monkeyが聴けない。



いやまてよ、やっぱりそれって幸せなのかな。今の私には、それは分からない。


”音楽に言葉が混ざっているという事。当たり前だけど素晴らしい必然”
サカナクションの山口一郎さんの言葉。ああ、なんて素敵なんだろう。

意味のない時間を、常に私は求めている。さあ今夜も、Linkin Parkを聴こう。部屋を暗くして、横になって、Sonyのヘッドホンで。