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「青い鳥」の真実 誰かに言いたくなる話 8

「青い鳥」の物語と言えば、誰もが知っていると答えるだろう。老若男女、たいていの人は、すらすらとあらすじを言うことができる。青い鳥を探して、旅に出たチルチルとミチル。だけどいろいろあって、手に入れられないまま、家に帰ってみると、青い鳥はかごの中にいた。幸せは家の中にもともとあったのです。見えなかっただけなのね。よかった、よかった。
と、思っている人が大半でしょう。ところが、そうではないのです。これはそんな現実肯定の保守的な話ではない。今日はそこのところを説明いたしましょう、


「青い鳥」は6幕12場の戯曲です。作者はベルギー生まれのモーリス・メーテルリンク。主にフランスで詩人、劇作家として活躍し、ノーベル受賞者でもあります。「青い鳥」は1908年の作で(日本でいえば明治41年)、童話劇として書かれています。つまり演劇用の台本です。したがって本来は、ステージで演じられるものを、鑑賞すべきでしょうが、ここは岩波少年文庫版をテキストにして、進めてまいります。


クリスマスイヴに木こりの家の子どもである、チルチルとミチルの兄妹は、向かいの金持ちの家のパーティを覗き見ている。明るい光の中で、子どもたちはクリームパイをいくつも食べている。うらやましくて仕方がないが、どうしようもない。そこへ、兄妹には隣の家のおばあさんに見える、妖婆がやってくる。青い鳥を持ってないかい、と尋ねる妖婆に、鳥はいるけど青くはないし、あげないと断ると、妖婆は病気の娘のために、青い鳥を探してくれと依頼する。そしてどこへでも行ける、魔法の帽子を渡される。すると、様々な妖精が現れ、その内の一人、光の精に導かれた二人は旅に出るが、旅は苦難の連続で、青い鳥は見つけてもすぐに死んだり、色が変わったりで手にいれることはできない。そしてラスト。兄妹は自宅のベッドで目を覚ます(そうです、夢オチ)。クリスマスの朝、なぜか兄妹は小屋が幸福感で満たされているように感じる。そこへ隣に住むおばあさんがやってくる。そして、病気の娘がチルチルの飼っている鳥を欲しがっているから、もらえないかと懇願する。その時、兄妹が飼っている鳥を見ると、鳥は青くなっていた!青い鳥はここにいたんだ。チルチルが老婆に鳥をあげたことで、隣の娘は健康を取り戻し、鳥を連れてチルチルの小屋へやってくる。しかし餌をやろうとしたとき、鳥は逃げて行ってしまう。泣き叫ぶ娘にチルチルはこう言う。
「また、つかまえてあげるからね。(舞台の前の方へすすんで出て、お客さんに言う)どなたか、あの鳥を見つけた方は、どうぞ、僕たちに返してください。僕たち、幸福に暮らすために、いつかあの鳥がいるがいるようになるのだから」幕。


ここから読み取れることは、まず、幸せの青い鳥は、困難な旅を経験し、他者を思いやる気持ちを持つ者だけが、手にすることができるということ。そして第二に、もし手放すことがあっても、また探せばいいんだということ。この意味はストレートに、「若いときの苦労は買ってでもせよ」、「青年よ、荒野を目指せ」、「Take a walk on the wild side」 というものであり、単なる現状肯定である「幸せは既にここにある、見えてないだけだ」とは真逆のメッセージです。これこそがメーテルリンクの言いたいことであり、今から100年以上前に作られたこの物語が、いまだに誰もが知るものとなっている所以でしょう。


「青い鳥症候群」なる言葉をご存じでしょうか。この言葉の意味するところは、ここは自分のいるべき場所ではない、もっといい人が自分には相応しい、今よりいい仕事が絶対あるはず、などと、現実を顧みることなく、どこまでも理想を追い求めることを指しているようです。自己愛が強かったり、完璧を求める傾向があったりするとこの症候群に陥るなどと、言われています。そして対処法はまず、自分を受け入れよ、そして他者も受容せよ、感謝の気持ちを忘れずに、小さな喜びを味わおう、さすれば道は開かれる、ということになっているようです。

うるせーわ!

いいですか、若者の皆さん。あなたたちにはとりあえず時間がある。死ぬまでには。だったら、やりましょうよ。小さな喜びを日常に見つけたりするのはやめて、大きな喜びに向かって、苦労を覚悟で、やりたいことをやろう。これが、微々たる年金をもらっている爺さんの意見です。

もちろん、私はただやみくもにやりたいことだけに邁進せよなどと言うつもりはありません。常に自分には何ができて、何ができないかを冷静に見極めることが必要です。普通、自分があこがれている世界に入ると、周囲のプロたちのレベルに驚くことになります。その時に、これはもういくら頑張っても、自分には無理だと思うなら、やめればいいんです。そして小さな喜びを見出す生活をすればいいんです。私の体感では、9割以上がそうなります。いやでもそうならざるを得ないんです。だからこそ私は言いたい。もしやりたいことがあるなら、やってみてください。1割弱の人たちになるためには、才能、体力、粘り強さ、負けず嫌い、頭の良さ、運、コンプレックス、貧乏、容姿、その他にもいろんなものが必要でしょう。決して甘いものではない。それに耐えられる力があるなら、Hit the fuckin’ road!普通の生活なんていつでもできるよ。

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