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夏の読書 誰かに言いたくなる話9

「文字の本はまったく読まないわ、漫画は読むけどさ。いやそれもスマホが多いね。そういや本を手に取ってないというか、触ってもないかも。」
「本は場所取るんだよね、だから最近は電子書籍専門。部屋が狭くならないからいいのよ。」
「暇つぶしはゲームと動画とSNS、スマホがあれば何時間でもいけるよ。だから充電切れるともう最悪。」
 
世の中の大半の皆さんがこうなっていることは承知しております。昭和の半ばの生まれの私でもそれくらいのことは見当がつきます。本は売れない、新聞も売れない、ついでにかつては本の敵のように言われたテレビでさえ景気が悪い。オールドメディアは衰退の一途をたどるだけだ。
 
OK、そんなことはどうでもいい。私がこれから書くのは、そういう時代に見過ごされそうな楽しみ、いや快楽と言い換えてもいい、そういうものがあるんだ、ということをお伝えしたい。もちろん小道具は本である。電子書籍ではない、あれはメディアが物理的に固すぎる。できれば文庫本がいい。サイズも重さも軟さもちょうどいい。
 
皆さん、夏はお好きだろうか?
田舎の家の大きな縁側に仰向けに寝転がり、広く青い空を視界に入れながら、遠くに蝉の声を聞き、かすかに全身を撫でてゆく弱い風を感じ、いつ午睡に入ってもいいという気持ちの余裕を持って読書をすること。こういう感じに憧れを持つだろうか?
 
確かに絵は浮かぶが実はこれを実行しようとすると、いろいろ問題がある。まず板の間になんか寝転がれるものじゃない。背中が痛くてどうしようもない。また枕がないと横臥して本を読めない。腕を上げっぱなしにしておくのは限界がある。虫が飛んでくる。田舎は昼でもいろんな昆虫が飛び交っている。また蝉の鳴き声以外にもいろいろな音が聞こえてくる。走り回る軽トラ、近所の老夫婦の口論、いつまでも吠えるどこかの犬、案外うるさいのが田舎なのだ。また風というものはなかなか丁度よくは吹いてくれない。たたきつけるように吹くか、まったく吹かないか。だいたいそういう風に決まっているようだ。
そして何より良くないのは、そう、暑さである。天気のいい日は絶対に暑い。汗をだらだら流しながらする読書、考えただけでも嫌だ。とにかく夏は暑い。どこに行っても暑い。人類最高の発明の一つであるエアー・コンディショナー、これの恩恵を受けられるところ以外へは行けない。これが偽らざるところだ。
 
では、そろそろ気持ちのいい夏の読書のシチュエーションとどの本を読むかという具体的な話に移りたいと思う。
 
まずは、エアコンの効いたひんやりとした部屋は必須でしょう。少しだけ陽が入ってくる、周囲が見渡せるくらいの高さのビルの一室、できれば角部屋をベストとする。きつい陽射しは分厚めのカーテンで遮る。ついでに言うならカーテンは無地の落ち着いた色が望ましい。紺とか濃い緑とか。日陰側の窓だけは、カーテンを閉めずに明かりをとる。
当然周囲に道路はあるので、時折車は走っているから、音はする。ここは一つ音楽でも流してみよう。夏を感じさせる曲、シティポップ、いい曲はすぐに思い浮かぶがこの際ヴォーカル曲はやめておこう。こちらが主となっては元も子もない。あくまで読書が主体なのだから。となると、インストゥルメンタルとなるが、往年のイージーリスニングといわれる音楽が相応しい。パーシーフェイス「夏の日の恋」A Summer Place、ビリーヴォーン「浪路はるかに」Sail Along Silver Moonなどである。しかし昔の邦題は趣があります。「避暑地」が「夏の日の恋」、「銀色の月と海を渡る」が「浪路はるかに」なんてね。付け加えるならベンチャーズのメロウチューンもお勧めです。「Perfidia」、「Blue Star」、「Sleep Walk」この辺りはなかなか気持ちいいです。さらに、、、
おっと、いつのまにか本が音楽に代わってしまってた。あくまで本、読書がこの小文の目的だった。しかしその前にどこに寝るかという問題がある。もちろんマットレスのあるベッドだが、ここにぜひ敷いておきたいものがある。それは、あれは何というものなのか、最近よくあるやつで、冷たいマットとでもいうのか、今調べると接触冷感敷きマットというらしい。これは効く。私などは、敷きマットのみならず、ペラペラの掛けるやつ、枕カバーにもこの素材のものを使用している。もう手放せませんね。置けば瞬時にヒヤッとするし、時間が経過し暖かくなってもすぐに回復する。いや、素晴らしい。しかし問題はこの手のものを売っている少し大きな店に行くと、サイズ用途は同じだが、なぜか4種類くらいあるということだ。つまり価格の安い方から順にあまり冷感を感じられないものから強烈に感じるものまで、これを格差社会と言わずして何というべきか!明らかに高いものほど冷たいのよ。こんなところにも高度資本主義社会の弊害が、、、
 
またしても脱線しかけたがギリギリのところで何とか踏みとどまって、いよいよどんな本を読むかという話をしたい。
 
要点は四つある。
まず何よりも“肩のこらない”ものがいい。歴史の中の戦争、敵対的買収とアクティビスト、能力とは遺伝か努力か、人口増が世界にもたらす影響、どれも大事なことはわかります。ただ、私がやろうとしている昼寝の前の寝酒代わり、、、、いやいや本は読みます。とにかく、軽く読めるものに越したことはない。やはりここは、フィクションがよろしいでしょうな。それもあっさりしたもの、その世界の設定を語るのに100頁費やしたり、冒頭から麻薬組織が何十人も嬲り殺しにしたり、そういうのは願い下げにしたい。話の粗筋は単純な方がいい。メインプロットは一冊を通して直線的に進む方がいい。それに適当に枝葉がつくのはいいが、あくまで一本の筋を忘れてはならない。次々と新たな主筋がスタートしたり、いつのまにか違う話になったりするのは駄目だ。とにかく複雑なのはよくない。
 
二つ目。“簡単には終わらない”こと。薄い本では満足できない。文庫本なら600頁は欲しいところだ。本当は終わらないのがいいのだが、千夜一夜のシャフリヤールじゃあるまいし、そんな贅沢を言うつもりはない。この楽しさがいつまでも続くという錯覚が欲しいのだ。もちろんシリーズものでもいい。私が10代の頃から何度も読み返した「ホーンブロワー」などは、1冊の厚さは普通だが、本編10冊に別巻1冊というものである。また逆に、短編集もいい。同じ登場人物が活躍する分厚い1冊は噛めば噛むほど味のするスルメのようなものだ。
 
三つ目は、“浮世離れしている“ということだ。あくまでもこの読書は純粋な娯楽のために行うものである。ためになってはいけない。妙な教訓を引き出したり、明日を生きるための指針などは、この際、すべて妨げとなる。また、近頃の世相を反映したり、実在人物を容易に想像できる登場人物も良くない。とかくつまらない現実を忘れて想像の世界に遊ぶのが目的なのだから、そういうのはよくない。ただ、ここが難しいのだが、話は絶対に訳の分かるものでなくてはならない。浮世離れといっても、なんでもいいわけではない。一度死んだのに、いつのまにか生き返ってる、一度のキスで難病が快癒する、そういう意味での浮世離れではない。ま、簡単に言えば理屈が通っているということ、その世界の中で合理的であればそれでいい。
 
最後の条件は“その世界に連れて行ってくれる”ことだ。現実から逃避し、物語の世界に没入する。これを可能にするためには面白い物語である必要がある。面白さに我を忘れ、本の中に引きずり込まれるのが望ましい。面白くて魅力的な登場人物、笑いの要素、想像してない方へと展開するストーリー、ノスタルジー、常に結末への興味を発し続け、そして意外な大団円と至る。これが私の考える夏の読書向きの本といえる。
 
大変お待たせしました。それでは具体的に書名を上げていきましょう。
 
「ハックルベリー・フィンの冒険」マーク・トゥエイン
この本について知っている方は多いと思います。学校の図書館にはまずあるでしょうし、読んだことのある方も多いのではないでしょうか。子供の頃読んで、何となく面白かった記憶はあるけど、よく覚えてないとか、書名はよく知ってるけど読んだことないとか、トム・ソーヤーの方しか読んだことないなど頭の片隅にはあるくらいの人が大半なのかな。この際はっきり言いましょう。この本は面白いです。また、社会的意義にも溢れています。ヘミングウェイはこの小説をすべてのアメリカンノベルの始祖だと言っているくらいです。
19世紀、まだアメリカの一部の州が奴隷制度をとっていた頃、アル中の父親から逃れるためにミシシッピ川を下る少年の冒険譚。相棒は既に奴隷制度を撤廃した自由州に逃れようとしている逃亡奴隷の黒人ジム、昼間は中洲の茂みに隠れて時を過ごし、暗くなると筏を出して下流へと流れる。そんな繰り返しの中で詐欺師に出会い、銃撃戦に巻き込まれ、泥棒にあい、様々な危険に遭遇する。
南部アメリカという、雄大で素晴らしい自然の中、暴力、宗教、人種問題、友情、金、のどかで素朴なムードの中に突然恐ろしいものがやって来る。それを主人公はあくまで自身の良心に従って対処していく。自ら判断し行動に移す。大人であるジムに助けられながら。
決してこれは児童文学の枠に収まるようなものではありません。私など初読は小学6年だったと思うが、これまでに5回以上読み返している。そして読むたびに発見があり面白い。
終盤にかけ、前作の主人公トムが出てきますが、ここは飛ばしてもいいです。面白くないので。
さあ、ハックとジムと一緒にGo down the river!光文社古典新訳文庫他多数。
 
「新・地底旅行」奥泉光
また、冒険小説かと思われているでしょうが、これはそんな衣装をまとった面白小説です。どうもユーモア小説と言われるものに面白さが感じられなかったり、お笑い小説というのもどうなのかと思い、あえて面白小説と呼ばせていただきます。2003年の朝日新聞連載小説だが、作中の時代は明治であり、書名からわかる通り、ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」の続編という体裁である。
作者はパスティーシュの名手として知られ、今作は夏目漱石風味が濃厚である。四名のチームで冒険は始まるのだが、その内訳は一応の主人公であり語り手である挿絵画家野々村鷺舟、17歳の女中サト、気鋭の若手科学者水島鶏月、そして一行のリーダーたる美学者富永丙三郎、この男は嘘つきですぐにビビるくせに、態度は大きく、プライドは高く、多弁を弄し知識がありそうだが何も知らず、エゴイストにして浅知恵で他人を騙そうとし、実は武田信玄の隠し財宝が目当てだったことが途中露見する。そう、彼らは「吾輩は猫である」の登場人物をモチーフにしている。まず科学者鶏月は「猫」の水島寒月の弟となっており、野々村はその優柔不断さ、基本的に文句は言うが具体策には欠ける点が珍野苦紗味で、丙三郎は明らかに美学者迷亭である。もちろんサトは連中唯一の現場処理能力のある、できる人間で、もし名前のないあいつが人間ならこうもあろうという活躍を見せる。
物語は暑い盛りに丙三郎が野々村を訪ねてくるところから始まり、富士の樹海から洞窟を下っていく。さてその先には何が待っているのやら、ここはご自分でお確かめください。面白いことは保証します。朝日文庫。
 
「中村雅楽探偵全集」戸板康二
さて最後は、短編集です。作者は昭和に活躍した、主に歌舞伎を主とした著名な劇評家でした。そして老歌舞伎役者、中村雅楽を探偵役とした推理短編を百編近く書いた。純粋に推理小説としては凡庸かもしれませんが、粋、品の良さ、暢気さ、ゆったりしたテンポ、どうしようもないローテク感によるノスタルジア、野球贔屓、つまり簡単に言うと漂う昭和の濃厚な香りに浸ることができる。そして何といっても歌舞伎という何となくの知識しかない世界で幕の裏側に特等席が用意されているのが、うれしい。
物語は、引退間近である老優、高松屋中村雅楽、もうあまり芝居には出ることない半隠居だが、かつての名優であり教えを乞う若手は引きも切らず、また知識、趣味では芸界に並ぶものない頭脳を持ち、誰もが信頼を置く人格者で、かつ洒落を解する男として主人公の探偵役を担う。いわゆるワトスン役は、東都新聞の演劇担当記者、竹野がつとめており、この役はほぼ作者自身かと思われる。
だからホームズ物になってはいるのだが、直木賞受賞作「團十郎切腹事件」では江戸時代に実際に起きた八代目市川團十郎の自刃の顛末を、人間ドックに一週間入院中の雅楽が推理して解き明かすという、明らかにジョセフィン・テイの「時の娘」に範を取った一編をものしていて、この手のものが好きな人達に目配せを送っている。
つまりこのシリーズは歌舞伎という一見古臭くなじみのない世界を描いているわけではなく、ちゃんとした今の物語として成立している。短編集でも本は厚いし、ゆったりした空気が癖になる。21世紀になってから、創元推理文庫から全五巻で出ています。
 
 
さて、以上三作いかがでしょうか。どの本も比較的手に取りやすいものかと思います。「新・地底旅行」以外は電子書籍もあるようですが、できればリアル書籍を選んでいただければ幸いです。

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