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恥部を見せられるのはパートナーだけじゃない。同性ならではの悩みは学生時代の友人に聞け。

学生時代の友人は貴重。
社会人になってから友達を作るのが難しいから、そういわれるのかな。

自分で食い扶持を稼ぐようになってからも、友達と呼べる人は数人で来たけど、今も続いている人はいません。数年おきに出てくるその人たちは十年ぶりに会っても何も変わらず話せるということはないのだと思う。

でも、学生の頃の友達は十年ぶりでも、なんだかんだ当時の自分たちに戻れる気がする。若かりし頃を昨日のことのように話す。母親世代のそういった姿を見て、不思議な気分になった学生のころがついこの間のようだ。

どうして、学生の頃の友人が貴重かと言うと、ホルモン全開の恥ずかしい十代をともにしてきた、恥部を見せ合った仲という面が強い気がする。自分の恥ずかしいところは見せ切っているし、相手のところもなおさら。だから、「お互い様」という深層心理が働いている。

家族も同様で、家族には裸はもちろん、自分の情けないところや恥ずかしいところなども大体の人が見られていると思う。

しかし、親元から離れて少しすると、親とも適切な距離感を保とうとする。

昔は奢られること、甘やかされることが当たり前だったのに、外食するときにお金を出した方がいいのかなとか、慶事のときにどれぐらいの金額を出せばいいのかななどと考えたりする。

学生時代の友人も同様で、昔だって少しは気を使いあっていたが、今はさらに気を付けることが増えてきた。三十代も過ぎれば結婚や出産など、女性にとってはタイムリミットのある問題に直面する。さらに、すでにその問題をクリアしてきた女性たちとの話題の格差に悩む。逆に、自分がいざ家庭を持つと、独身の友人との話題に気を遣う。難しい年ごろなのだ。

だからこそ、友達は大切にしたいと思う。

自分が間違っているかもしれないと足を止めたときに、自分の恥部をさらけ出して話せる友人がいるというのはかなり心強い。

結婚しても、出産しても、できれば学生時代の友人とは縁を持ち続けたいと思うのだ。

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