【稽古日誌】カスケードとカテーテル #3

2022.4.7(木)

今日は主に台詞の練習でした。
前作『 - ひきょう - 』の稽古日誌も参考になるので、ぜひご覧ください。https://note.com/coomoono/n/ndcb03f6f4cb2

COoMOoNOの舞台を観たことのない方のために説明すると、COoMOoNOは「繊細で嘘のない芝居の出来る俳優を武器」(HPより)にしています。
それが普段ドラマや映画で観る芝居=演技とどう違うのか。ごく簡単に言うと、COoMOoNOの舞台を観ていると観客は観客席に身を置いていても、舞台上でなされる会話の当事者になった気分になります。
例えて言えば、本当に仲の良い友人と酒を飲んでいるときに感じられる、自分が発する言葉の一つひとつを受け取ってもらえているという相手への信頼感、会話の一体感。あれが舞台を観ている間起こります。

しかし言うは易し、行うは"非常に"難し。ゆえに練習を必要とし、COoMOoNOの稽古は時間のほとんどがそこに費やされます。
今日の会話の稽古は大きく分けて2種類やりました。1つは全員で輪番に台詞を読んでいくもの、2つ目は2人ずつペアになり交互に読んでいくものです。

全員で輪番に読んでいく稽古では、演出のもこさんから「聞いてる体のまま喋れるといい」とアドバイスがありました。
日常、会話している時、相手の話を聞くことと喋ることに区別はつけません。しかし舞台となり脚本が与えられると、自分が喋ることにばっかり意識が行って聞くことが疎かになりがちです。
そのため、「聞いている体のまま喋る」日常の会話のかたちを演技として捉え直すアドバイスがあったのだろうと思います。

2つ目、2人ずつペアになり交互に読んでいく練習の時、「語尾と一緒に、実際に物を相手に手渡す」ことが課されました。これは「会話は、形ある(物としての)言葉を受け渡すことである」ことを再認識するための練習です。
前作の稽古の時、もこさんが「喋る時、言葉は物として扱う」と言っていました。言葉は、心の思いより何よりもまず「形(≒意味)を持った音」です。その音・意味のやりとりすることで「会話」が成立します。

ですが「演技」となるとそのことが忘れられ、心の中の思いが先行して過剰に熱っぽく喋っているものが多いです。
そうならないために、「言葉が物であること・明確な形を持っていること」を「実際に物を持つこと」で、「物を受け渡すのが会話である」ことを「語尾で物を受け渡す」ことで再認識します。

改めて、演技って特殊技能だなと感じます……


演出助手 寺原航平

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