【稽古日誌】-ひきょう-#6

『 - ひきょう - 』稽古日誌

「セリフを言う」こと。芝居をする上で最も当たり前なその行為がいかに難しいことか、稽古を観るに付け痛感します。昨日は「言えた」セリフが今日は「言えない」なんてことが起こってしまう。言い淀んだり間違えたりしたのではなく、役者は台本通りに喋っているにもかかわらず「言えてない。セリフを唱えないで」とモコさんからダメ出しが飛びます。

私たちは日常、相手がいるから喋ります。誰かに向かって声を発することが、何かを「言う」ということです。
セリフも当然相手役に「掛けて」発せられるはずです。それはどんなに短い、「ふーん。」「はは」のようなセリフでも、あるいは一見独り言のようなセリフでも例外はありません。どんな言葉も口に出したならば誰かに「言う」ことです。

セリフを相手に「掛ける」ために、まず「語尾を飲む癖を無くそう」ともこさんからアドバイスがありました。「言葉の後の『……』が相手に届くようなイメージで喋ってごらん」と言われてから、セリフの雰囲気、シーン全体のトーンがガラッと変わりました。
それでもセリフが「言えて」いないとき、大きくは二つの要因があるように思います。一つは、言葉を指すのが上手く行っていないこと。もう一つは「感じ」を出そうとしてしまっていることです。
例えば「不安だなあ……」というセリフがあったとき、つい寂しげな雰囲気を醸し出して喋ってしまいがちです。が、モコさんは「そんな『感じ』を出して喋る大人はいない」と言います。「感情は持ってるだけで良い。表現しないで」と。聞いていると「感じ」を出して発話されたセリフは時空が分離しているようで、会話から浮いて聞こえてきます。「感じ」ではなく、言葉が指し示されて、この日の稽古では「不安だなあ……」というセリフが見事に会話になっていました。

セリフを「言う」とは相手と「共有」すること。シンプルなことですが、この「共有」が成り立っている会話は聞いているだけでホッとするのです。

関場理生

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