【稽古日誌】-ひきょう-#3

『 - ひきょう - 』稽古日誌 

<参加者>
もこさん
けんとさん
ゆーみんさん
あやちゃん
寺原
あきな

<稽古箇所>
・6場冒頭から6場終盤まで 座り稽古→立ち稽古
台詞は「言い回し」じゃなくて、「状況を自分に言い聞かせて、まず身体を作って、ただ喋る」。
──例えば風邪をひいている人が「大丈夫?」と声をかけられたときに「大丈夫」という台詞で対応するとき。
「言い回し」を工夫する演技だとおよそ、声を低くして、ゆっくり話すなど工夫する。
 しかし人は日常、そうは喋らない。「体調が悪い身体」と「心配されている状況」がまずあって、その身体で出せる声で喋るだけだ。だから、「状況を自分に言い聞かせて、まず身体を作って、ただ喋る」。

 演技として難しいのはここからで、とはいえ演技はリアル(演者本人の全くの自然体)とナチュラル(作品・劇設定に必要な身体の緊張は保った状態)を使い分けていくので、あざとさが観客に届かない限りで、作品に有効な工夫ならしたほうが良い。もこさんは、この領域は「好みだ」と言っていた。
 その匙加減。非常に微妙なバランス感覚です……。

<雑感>
COoMOoNOがやりたいことは、「等身大の人間を描くこと」だと改めて思った。「等身大」の日常に、私たちが普段感じる感情のさまざまな機微・葛藤があり、それが作品となって観ることができたとき、多くリアリティーを感じるからだろう(?)。
そのための方法として、日常行なっている会話の構造を「指差しの訓練」で確認し、意識的に舞台上で行えるようにする。
また、もこさんが時折仰る、「演技の自己チェックは、他人の反応を見ることで行う」。
これは実際にやっている感覚で言えば、自意識が過剰にならずに済む効果がある。だから、過剰に説明的な、あざとい演技をせずに済むように感じる(客席からどう見えているかまでは分からないが)。
人は他人の話を聞いているとき、相手のさまざまなものを読み取る。細かい眼球の動きだったり、まばたき、首の傾き、指の荒れ、声のかすれ、化粧のりの良し悪しなど。全部総合して話す内容を聞いている。話している言葉も、上記などと同じような情報の一部だ。
だから他人を見ての自己チェックは、「この人は私の言うことをわかっているかな?」と日常、他人と会話するときの状態に近い。

日常への洞察の鋭さがCOoMOoNOの演技を支えている。というより、日常人が気づいていることを、そのまま舞台に載せることを許している。日常と作品は確かに一線画してはいるが、制作者も日常を生きる人間だ。その生きる重さを舞台に載せようとしたらこのようなかたちになる、という一つの好例のように感じる。

上演は再現性を求められる。さて、昨日の仕上がりをちゃんと今日も出来るか……!!


12月7日 寺原航平

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