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落語のある暮らし

落語が好き。
作業の傍ら。寝落ちまでの時間etcに…割と毎日聴く。
StayHome期間中、寄席がお休みになり、独演会は中止になり、
落語家さんたちは 挙ってネット配信に切り替えてくださった。
ありがたく、配信時間をスマホに登録し、配信が始まる時間を心待ちにする日々。

配信を拝聴する日々で思ったのは ないよりは有難いのだけど…やはり寄席や独演会と全然違う…。好きな噺家さんでさえ なんとなくやりにくそう…💦と思ってしまう。噺家さんって場の空気を読んで話し、高座に上がってから演目を決めたりすると聞く。まくらの運びもその場の雰囲気…。
その場に合った話を投げかけ、聞き手はそれを受け取って自分でイメージして勝手に笑う。過分に笑わせようとしているわけではない。(そこが好き)
場の空気が感じられない配信の舞台は確実に勝手が違うのでしょう。それでも配信するのは新たなファン層の獲得?「ここで聴いた落語がおもしろかったら、再開したら ぜひ寄席に遊びに来てください!」新たなお客んを呼び込むのが彼らのメッセージなのだけど、今そこにある秩序を愛する者からすると…あの空間はそのままそっとしておいて、と思ったりww

寄席に行く時はひとりで。
落語会は友と行くが、何故か映画や舞台と違って、アフター落語は落語の話をしない気がする。それくらい落語ってひとりの時間なのかもしれない。
寄席は昼or夜の開始時間にお弁当とお茶を持って出かけ、3,4時間、入れ代わり立ち代わりの落語をひたすらのんびり聴き、のんびり笑ってスッキリして帰ってくる。安心して笑っていた頃がなつかしい。
今は…鯉昇さんのゆったりしたお噺が…いちばん聴きたい。
鯉昇さんが高座にあがられ、話し始められる前の短い沈黙の時間、
ふわっと会場が幸せオーラに包まれるの感じが好き。
座布団に座って会場を見渡すだけでみんなを幸せに出来るって…芸の極みだと思う。(ちなみに鯉昇さんは…別にイケメンでは…ない。)


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