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過去との果し合い

私は現役時代に、競技人生前半にピークが来て、その後は苦しい戦いをしたので、そこにトラウマがあります。
「なぜ伸びなかったのか?」は私の中で繰り返し考察するテーマです。

実のところ、30年ぶりにランニングを再開してからも実質、すぐに走れるようになったわりには、そこから伸びていません。
そういうタイプなんですかね。

だから後半に花開くような競技人生がめっちゃうらやましい。
駒澤大学→NTT西日本の小林歩選手はある種の理想。
駒澤大学→住友電工の加藤淳選手はほんまに頑張ってほしい。
100mH福部真子さんの復活はめっちゃうれしい。
そんな感じです。

なぜあんなに走れていたのに、ダメになるのか。
そういう複雑な問題は、追求しすぎるとかえってこんがらがると思っています。理由を求めるのは、弱さゆえですよね。いろんな要因が複雑に絡んでいますから全体を丸ごと受け止めた上で分析したほうがいい。


以前、日本陸連の河野匡さんが「走れなくなる選手」についてのコメントがとても心に残っています。言葉は忘れましたが、要するに「現時点での自分に向き合えなくなる」ということ。
「こんなはずじゃない」「これは自分じゃない」「もっと走れるはずだ」と過去の自分にすがってしまうんですかね。私も調子が悪い時にレースに出たくない、というのはよくあります。
走れないのがわかっているのに、出たくない。明らかに調子がいい時の感覚と違うのに、わざわざレースを走る意味がわからない。そう思いがちです。

このままジョグができるようになるまでレースは控えたほうがいいんじゃないの? マスターズの選手で、別に結果を求められているわけでもなし。
と思っていました。

昨年9月にマスターズ日本記録を出したわけですが、7月、8月よく走れてたんです。練習日誌を見ているとめっちゃ調子がよかった模様。
ジョグも快調で、距離が踏めててペースも速い。
あれを見ると、今年は記録を出せそうにないな・・・と思ってしまいます。

私の頭の中では、ジョグがすべての基本、みたいなイメージがあるので、今年はその先に進むことがすごく億劫だったんですね。
ジョグができるようになってから次の段階にいくべきでは?と。
だって、ペース走やっても4’30がきつい。
そんな状態で、駒を前に進めていっても意味なくないか? 
もう少しジョグを丁寧にやって、それができるようになってからじゃないの?

でも、調子が悪いなりにレースを走ることもまた経験になるし、レースを続ける中で調子が上がってくることだってあるかもしれない。結果、ジョグもできるようになるってことがないとも言えない。
道筋は一つじゃないですからね。

そう思ってMKにエントリーしたわけですが、なんとか調子が上向きそうな手応えを感じて、よろこんでいます。
そうは問屋がおろさない、かもしれません。
安心してしまうとすぐに足を引っ張られるのもまた面白いところ。

こうやってひとつひとつ自分で検証しながら進めていくのが楽しいですね。
自分なりに結果を出すことも求めていますが、私がやりたかったのはこのプロセスかもしれないと思っています。

タイトルの「過去との果し合い」はTWO LAPS の横田真人コーチの言葉。
誰もが乗り越えるべき過去をもっています。

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