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W55 800mマスターズ日本記録 その1 はじまりは3kmダッシュ

9月23日のGENJO打破記録会で、2'32"59のマスターズ日本記録で走ることができました。私は現在56歳で、W55(55歳から59歳のカテゴリー)の日本記録です。

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中学、高校、大学と走っていた私が30年ぶりにランニングを再開したのは、2016年末です。ランニング再開からそろそろ5年。日本記録までの道のりは意外と長かったです。心のどこかで、楽勝、と思っていました。なめていましたよね。

現役時代は陸上競技にそれなりに真面目に取り組みました。
中学1年で陸上部に入部して、6月には兵庫選手権で6位に。近畿選手権に出場した記憶があります。10月には県の中学総体で2'15"7で優勝。これは当時の中学1年生記録になりました。
中学2年の全中は、ランキングトップだったのが転倒して予選落ち。ですが、秋の日本選手権(当時日本選手権は秋でした)では中学生ながら2'11"5で3位入賞。
中学3年時はもちろん全中は優勝。日本選手権は6位くらいだったと思います。

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中学2年時の記録は最近まで歴代10傑に残っていました(石原愛子 魚住・兵庫)

かなり順調だった中学時代ですが、学校には指導者がおらず、練習メニューも存在せず、トラックも使えず、ひたすら80mの直走路をダッシュするだけの練習。家の周りを走ったりもしていましたが、30分も走っていたかどうか。日によっては走り幅跳びをしたり、砲丸投げをしたり。「ブロックごとに分かれて練習」という洗練された制度もなかったです。市の大会で決勝に進出できる子がいるかどうか、くらいの中学でした。

私自身、県や全国の合宿に呼ばれたときしか「インターバル」をやったことがなく、そもそも世の中に毎日トラックで練習している中学生がいるということも知りませんでした。
トラックは試合で走るところ。そういうイメージでした。

高校、大学と本格的に練習を積めば、速くなる、と自他ともに信じていましたが、そうは問屋がおろしませんでした。
わたしの800mの生涯ベストは、中学2年の時の2'11"5です。そんなアホな。

大学卒業後は、普通に就職して、結婚して、子育てをして、働いて。陸上競技とはまるで無縁の生活をしていました。ランニングを再開した頃、ウサイン・ボルト氏や野口みずきさんの名前をよく耳にしたのですが、「誰それ」状態。ある時「野口みずき」でググってマラソンの日本記録保持者でオリンピック金メダリストだと知り、椅子から転げ落ちそうになりました。なんぼなんでもそれくらい知っとけよ!って話です。

ランニングブームにもそれとなく気づいてはいましたが、自分が走る気はゼロ。ところがちょうどSNSが盛り上がってきて、古い知り合いから多数連絡がくるようになりました。ほぼ陸上競技関係者で、兵庫県のランナーや同世代のランナーが「あいちゃん、どうしてる?」的に連絡をくれたのです。覚えていてくれたことがとてもうれしくて「競技人生はそれほど悪くなかったのかも」と思えました。

そんな流れでちょっと走ってみるか、とジョギング再開。しかし10分も走れず。近所のママ友に「ジョグってどういうふうにやればいいの?」と相談したりとか。だけどやっぱりゆっくり走るのは苦手。

ある日いきなり3km走を開始したら楽しくて。
1日2日おきに、3kmダッシュをしていると、タイムはどんどん縮まっていき、やっぱりわたしはこういうのが好き、と世のジョギングブームには背を向けて、トラック復帰を決めます。
早速「マスターズ陸上」に登録。東京在住ですが、もちろん兵庫で登録しました。そこはやっぱり「28」でしょ。

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地元明石市の一日警察署長をやつたことも😄

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