第3回THE NEW COOL NOTER賞~エッセイ部門鼎談
THE NEW COOL NOTERコンテストを応援いただいている皆様。
また後日、告知と募集要項を掲載いたしますが、8月度は「エッセイ部門」の開催となります。
それに先立って、コンテスト最高顧問である洋介さんと、エッセイ部門審査委員を務めていただくゼロの紙さんをまじえ、エッセイとはなんであるか、THE NEW COOL NOTERコンテストではどのようなエッセイを求めているかについて、6月27日日曜日に鼎談を行わせていただきました。
事前に、みこちゃんよりテーマを受け取り、一奥が司会役を務めさせていただいて、進行させていただいております。
エッセイとは何か、オリジナリティとは何か、誰かの心に届くエッセイとはどのようなものであるかや、その工夫について、有意義なやり取りができたと思っています。
どうぞ、ご参考にしていただき、ふるってご参加いただければ幸いです。
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参加者:
司会)一奥
コンテスト最高顧問)洋介さん
エッセイ部門審査委員)ゼロの紙さん
洋介さん、ゼロの紙さん。お世話になっています。
本日はお忙しい中、集まっていただき、まことにありがとうございます。
時間となりましたので、対談を始めさせていただければと思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
司会は一奥より務めさせていただきます。
この対談は、8月参加のエッセイ部門コンテストに向けた、記事としてもTHE NEW COOL NOTERで掲載予定となっています。
まずは、お二人の自己紹介などをいただければと思います。
自分は高校球児で理系出身、今は民事の行政書士という少し変わった経歴を持つ今は菩薩道の実践者です。
ゼロの紙と申します。note歴は1年ちょっとです。コピーライターなどを経て以前ダ・ヴィンチ誌でエッセイを書いていました。
今は短詩系の選考委員などをさせていただいてます。noteでは最近みなさんのキャッチフレーズなど作らせていただいてます。どうぞよろしくお願いいたします。
エッセイとは何か
洋介さん、ゼロさんありがとうございます。
それぞれの背景から、エッセイに対するお考えや、それを通した人との交流など、お考えを聞く機会をこうして設けさせていただくことができたことを喜ばしく思います。
それでは、最初のテーマです。
エッセイとは、どんなものであるとお二人はお考えでしょうか。
日記とも小説とも違う――ただ、いきなりエッセイとはなにかっていうのは難しい話になってしまうと思います。
ですので、ゼロさん(エッセイ部門審査委員)、洋介さん(審査委員長兼エッセイ部門審査委員)が好きなエッセイとはどんなものか、簡単にお聞かせ願えますでしょうか。
日常の景色の中で体験したことから生まれる想いや、気づきを只感情を綴るのではなく、比喩を用いたり美しい情景を交えて存在の真理に気づかせてくれるエッセイです。
エッセイって、ほんと解釈がむずかしいですよね。
エッセイって自分がその時何を思ったかを書かずにいられない形式だと思うので、例えば映画について何かしらの感想を言葉にしてゆくことは、最終的に自分にたどり着く。他人事ではなくて自分事になってゆくことかなって思います。
お二人に共通されているのは、エッセイとは自分自身の心象を通して気づいたこと、日常の中から感じ取ったことを自分の言葉で表すことであるように思います。
たとえば、どのような時にそうした、言葉を使って表現しようと思う瞬間が訪れると思いますか?
いつもいつもはないですが、何かを観たり聞いたりして心激しく揺さぶられる時と落ち込んでいる時ですね。
書くことでなにかニュートラルにしていきたい想いがいつもあります。洗い流す作業のような。
朝焼けや夕焼けや花を見て綺麗だなと感じる心と、日常の中で起きたことに対しての人の心の動きの違いの面白さでしょうか。
なるほど、それぞれ微妙に違いますね。
書く側にとっては等しく「自分」の感じたことを伝えるものである。しかし、その「自分」としての受け止め方が、書く人によってそれぞれ視点や捉え方、切り口が変わってくるようにも思います。
それでは、そうしたエッセイを書くには一体どうしたら良いのでしょうか。
エッセイの本をたくさん読むというのもとても勉強になりますが、それだけでもないと思いますが……。
日常での起きてきたことに対して自分の心を観ること、人との話の中で想いが異なるときに相手の心を想いながら、違いを見つけてゆくこと、そうすると核になる言葉が見つかります。
難しい問ですね!
この問とはちょっと離れるかもしれないですが、エッセイを書こうとしないことなのかなって思います。最初は真似から入ってもいいんじゃないかなって。
好きなエッセイをよむことで。エッセイって結局自分の言葉なので、その日一日心動いた言葉を書き留めたりしています。
新しい自分に気づくこと
なるほどなるほど。
頭の中だけで本を読んで、お手本にしちゃって似たようなエッセイを作っても、書いてる本人も本人も面白くないし、自分らしさっていうのがないと、読んでる方も「なんかどっかで聞いた話だな」ということになりかねませんよね。
自分の言葉をどのように紡ぐのか、そのために自分の中にどんなものがあるのか、自分を再発見するということも大切なのかもしれませんね。
お二人は、最近、まだ見ぬ自分や新しい自分に気づいたご経験は何かございますでしょうか?
最近、まだ弱い自分を見つけました。
以前の飼い猫が死んでしまった病と同じ病を、今の飼い猫が発症してしまい、オロオロと悲しみ動揺する自分がいました。
まだ自分も感情が動くのだなと思いました。
ゼロさん
悲しみも再体験することで自分をはっけんしているのかもしれないですね!
私は、noteを始めた頃によくあったのですが、記事を読ませていただいて涙した時に、こういうところにわたしは感動するんだなって心揺さぶられた時に自分を俯瞰して発見しているような気がします。
オリジナリティについて
人は他者を鏡として、己の姿を知るとも言います。誰かの文章に触れて、そこで新しい自分が出てくるのもまた、批評というものですね。
そういうところから、オリジナリティが生まれるのだろうなとも思います。
でも、体験や経験があっても、それをさらにどんな風に自分の言葉として、読む人からオリジナリティと思ってもらえるものとしていくことができるか。そこが、エッセイを書きたい人にとっては一番関心のあるところだと思うんです。
皆さん人真似はしたくない。
しかし、自分自身でも、どこかで読んだような文章だなぁ……と、書き終わってから、noteで公開せずに下書きのままにしてしまう人もいると思います。
どうすれば、自分も、読者も満足いく文章ができあがるのか、お二人のお考えをお聞かせください。
オリジナリティを書こうと思うってわたしもいつもそうですが呪縛されていると思うんですね。きっと今まで読んだ本や映画のセリフやテレビ歌詞などあらゆる言葉にまみれながら、蓄積された言葉の中かチョイスされてゆくと思うので。どこかしらに影響を受けていると思います。なのでじぶんの今の旬の想いに正直になって書くことなのかなと。
思ったこと感じたことを只表現するのではなく、感情をつらつらと書くのでもなく、読む人が想像力を膨らますような言葉を使うようにしています。ゼロさんのおっしゃることもその通りだなと思います。
人は変わりつつ、変わらなかったとも思いつつ、しかし一周回ってどこかで何かが違っている。
そこに、同じように感じつつ、また異なるように感じる自分もある……そこを描き分けることもまた、オリジナリティのヒントなのかもしれませんね。
エッセイを書く時のいろいろな工夫
>ゼロの紙さん
>じぶんの今の旬の想いに正直になって書くことなのかなと
>洋介さん
>感情をつらつらと書くのでもなく、読む人が想像力を膨らますような言葉を使う
お二人のお考え、わかります。
でもそれだと、それなりにハードルもあると思うんです。
エッセイを書くことの面白さは、生きていて、というか生活していて……といいますか、自分がこれは文章に書き留めておきたいと思うようなことを記していく。そんな楽しみも大事だと思っています。
そういう書き留めていくこと、自分を記録していくことの楽しみについては、いかがでしょうか。
日記には自分の想いを書かなくなりました。その代わりになるべく1日1ワードみたいな感じで心に残った言葉を書き留めています。(noteはじめてからちょっとおろそかになってますが)
それを時間が経ってから読んだ時にそこには他人の言葉しかないのだけれど、この言葉がいいと思った自分を発見できるので、その言葉をいいと思ったことってなんだったんだろうをエッセイにすることがあります。
いいなと思う言葉は見たり聞いたりしたら書き留めます。
それを数日寝かせると自分の考えに変わっていて、そこからはまさに随筆、随想といった感じで文章が流れます。もちろん一番は自分で体験した心の気づきから閃いた言葉を書き留めることです。
数日寝かせるってよくわかります。生の感情のままでは言葉に昇華できないことありますね。
やはり、エッセイもそうですが、言葉で表現して言葉を扱う者として、ひらめきのように浮かんできたものをとらえておく、それが消えないようにすることを皆さん意識されていますね。一奥もスマホのメモ帳や、職場では付箋をそういう場面でとりあえずメモとして私的流用していたりします笑
それでおふたりとも、さあ、note書くぞ!っていうだけでなくて、日常生活で思いついたことのメモを取ったりっていうような工夫はしていますか。
これはオススメだというメモ法や道具、工夫などはありますでしょうか?
紙のキャンパスノートにシャーペンで書いてます。
この鼎談にも5枚ほど書いてあります。新聞の切り抜きもしていますよ。
わたしはいまだに新聞の切り抜きをしてます。
わたしは日記帳に書いてます。結局手書きが落ち着きますね。
スクラップブックですね。それについて、みこちゃんも過去に記事を書いていたように思います。
人間の記憶って、いろいろ覚えているようで、そうではないですからね
過去の自分が出会ったものが、今の自分と触れ合って再構築されるというか
そこで、思わぬ言葉もまた生まれてくるものなのかもしれませんね
そうなんですね。書き留めることで記憶が蘇りますね。
ちなみに、この鼎談もわたしは白い紙に汚い字で書きなぐったのを横目に見ながら書いてます。
私の字もめちゃくちゃにはみ出てます。
みこちゃんが事前にテーマを示してくれていたのもそうですが、あらかじめ考えをまとめておいて、でもそれに縛られるのではなくて、実際の本番の流れの中でそれがまた新しい顔を見せるそういう効果もありそうですね
流動感っていいですね。
自分にだけわかるメモ帳と言いますか笑
一奥も、学生の頃のノートは、罫線など無視して自由自在に矢印や図を伸ばしまくっていましたね笑
8月のエッセイ部門コンテストに向けて
心を打つエッセイや言葉は、そういうものの中から生まれてくるのかなとも思います。
それでは、コンテストですので、参加された方の作品に対して様々な視点で言葉を返していくこととなるわけですが、お二人は特にどんなことに注目されるかを、改めて教えていただいてもよろしいでしょうか。
エッセイってさっき申し上げたように結局は自分事なのですが、自分事といっても自分がなにかに反応したからなにかが書けるのだと思うので、じぶんとその対象にどんな反応をみせたのかっていう、関係性みたいなものに興味があります。
見つけた言葉や心の動きを日常の風景に溶かし込んで、気づいた想いの違いや感情を昇華させているかどうか。
苦しみや悲しさの向こうに誠実な心と言葉があるのか、自分を表現するのではなく言葉で自分を表現しているかどうかでしょうか。
誠実な心と言葉ってほんとうにそうですね。
自分の感じたものからはじまりつつも、そこから自分を越えたものとなるかどうか、ですね。
ある種の「自分がない」状態、そんな境地なのかもしれませんね。
じぶんの心がどう推移したのかもみてみたいです。
「自分がない」というのは一番に大切かなと思います。
自分は因果を見て縁をみます。まさに自分を超えたもの、自分がない状態ですね。
好きなエッセイについて
好きなエッセイのどういう部分が好きであるかを語る。
実はそれ自体が新しいエッセイになっていて、批評もまたそういうものであろうと考えます。
そしてさらにそれを読んだ読者が、その中から自分なりのヒントを受け取り、また新しいものが生まれる。
そこに言葉の不可思議さがあろうかと思います。
ゼロの紙さんは、事前に、大好きなエッセイの紹介についてご用意されてきたと聞いています。
最後に、それを皆さんにご紹介いただけますでしょうか。
それではこの場をお借りしまして。
はじめ好きになったのは森茉莉さんやナンシー関さんのテレビ評でした。
あれはコラムというジャンルになるのでその後、随筆家として好きになった
のが須賀敦子さんでした。イタリアで暮していた日々を綴られた「ミラノ霧の風景」が好きで。ワンセンテンスが長いのですが、読点がいくつもあって、あのスタイルをちょっと真似してる時もあります。
あと藤田嗣治や堀文子さん。
彼らは画家と言う視線なので眼差しが動いた順に文章で描写されるんです。そういった感覚的なところとても魅了されました。
こんなエッセイ書いてみたいと思ったのは江國香織さんと内田也哉子さんです。
江國さんはオノマトペ(しゅわしゅわとかぽつりぽつりなど)が独自である種言葉を作っている所とても好きでした。
身体から言葉は発するものなんだなって発見してかなり影響を受けました。
こんな感じです以上です。お時間頂戴してすみません🙇
ゼロさん、教えていただきありがとうございます。
モンテスキューと池田晶子さんの哲学エッセイくらいしか読んでなくて御免なさい。
池田晶子さんわたしも大好きです。
全冊持ってます。
なので影響力は絶大です。
わ、そうなんですね! 『無敵のソクラテス』読みました。
面白いですよね。
哲学って遠くにあるものじゃないって知りました。
そうなんですよ。日常道場なんです。
日常道場。なるほど、それ今すごくぴんときました!
エッセイ部門は日常道場で参りましょう。主催者のみこちゃんも、空手家ですものね。
道場と言う名がぴったりになりましたね!
自分にとってのエッセイとは
それでは、最後の最後にもう一言だけ。
「あなたにとってのエッセイ」とは、どんなものであるか、教えて下さい。
あなたにとってエッセイとは『隠せない自分』です。
言葉を紡ぐ人というのは数種類いるのかもしれませんね。
言葉に本当の自分をさらけだす人、言葉に欲望の妄想をさらす人、望み得ない妄想をさらす人、人を喜ばせようと言葉を紡ぐ人……。
ん?みんな隠せない自分ですね(笑)
自分は経験から学んだことを伝えたいです。
それでは、予定していた時間となりましたので、鼎談自体は一旦このあたりで締めさせていただきたいと思います。
本日はおふたりとも、お忙しい中、まことにありがとうございました。
……1時間、気づけばあっという間でしたね。このまま2時間でも3時間でもお話できそうな、そんな熱量でした!笑
洋介さんとお話できてとても勉強になりました。わくわくしましたありがとうございます。
一奥さん洋介さん今日はありがとうございました!
それでは、お二人とも有り難うございました。
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以上で鼎談を終えさせていただきたいと思います。
8月参加の募集が、そろそろ開始いたします。7月1日に予定しております、告知を、どうぞ皆様お待ち下さい。
ふるってのご参加をお待ちしております。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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