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『雪原でウサギは鳴かない』vol.1


 輝実(てるみ)は、準備しておいた登山靴のヒモをきつく締め上げた。
祖父が若い頃使っていた黒光りのする革製の登山靴で、よく手入れされているとはいえ、至る所に付いた擦り傷が様々な艱苦に耐えて、終始寡黙だった主が歩んだ、その行程の厳しさを物語っているようだ。
それからフード付きのヤッケに、山菜採り用の麻の大きな袋を肩に掛けた。
これに見合うだけの獲物がはたして掛かっているだろうか。
まだ誰も起き出してこない玄関の姿見を覗く。
 隣家の同級生で幼なじみ健二の、そのふたつ上の兄である太一が、裏倉庫の階段下の薄暗がりで、
「一冬に三羽獲れたら」、「男だ」。
ともったいぶった調子で言うのだった。
この一週間、その太一の指導の下、健二と二人して罠作りを伝授された。実際は、その時間のほとんどが、太一自身の武勇伝に費やされたのだが、昨日の朝ようやくできたばかりの“くぐし”を20個ほど仕掛けてきたのだった。
よく晴れた雪の朝、息苦しくなるほどの太陽の反射を受け、辺り一面天地の境も分からなくなるような白一色の雪原にいて、それでもただジッと目をこらしていると、一端視界全体がフラッシュアウトして、続いて世界が明るいグレーに霞んだ後、そこここにTの字をしたウサギたちの足跡が、点々と続いているのが浮かび上がってくる。
初め輝実は、こんなにも多くのウサギがいるのかと驚き、これなら三羽なんて訳ないじゃないかと思ったが、太一の講釈では、それは単に食べるものがないから、行ったり来たりしているだけだと言うことだった。
そしてまた、ウサギは、大体同じルートを通るので、そのライン上に罠を仕掛けるのだという。
ちょうど、カウボーイが、牛の首めがけて投げ掛けるロープのように、針金の先端に小さな輪を作り、そこにもう一端を通して出来た大きな輪は、試しに自分の左腕を通して引っ張ってみるだけで、見る見る指先が紫に黒ずんでくるほど締め付けられ、ウサギたちのもがき苦しむ様が思い起こされ、気持ちが悪くなるのだったが、それは一人胸の内のことだ。
そんな単純で強力な罠を、一々太一の講釈付きで通り道に仕掛けた。
ある所は、脇に生えている灌木の枝に巻き付けたり、また支えのない所では、長くカットした枝を地面に届くまで突き刺して、それにくくり付けておいた。
いずれも、ピョンピョン跳ねてきたウサギの頭の高さに輪がくるようにしたし、その輪が目立たないように、笹の葉やなんかで丁寧に偽装しておくのだった。
そうして夕べは、興奮と期待で食も進まず、夜は中々寝付けなかった。
掛かっていたらどうしよう。いや、一羽ぐらいは掛かってもらわなくちゃ困る。
実は、輝実は生きているその獲物を見たことがない。
一度、太一が得意興奮の勢いで獲物を捌いているのを、物陰から怖々(こわごわ)覗いただけだ。
ツルンと、薄紅の筋肉の塊から、まるで手品か何かのように、白く丸まった毛皮が引き剥がされて、2つの、まるで異質な物体となる様を見てからというもの、しばらくの間、肉料理は受け付けなくなってしまった。もちろん、ウサギなど食べたことはなかった。
そしていま自分は、その必要としていない獲物を探しに行くわけだと思うと、少しばかり後ろめたい気持ちもしたが、何しろまだ小学6年生で、必要と行為の間に流れている川の深さは推し測れないのだった。
今日は一人で行くからと、みんなに宣言していたので、自分が踏み出せばいいだけなのだが、このように少ない装備を点検したり、あれこれ思いを馳せている内に、小一時間も玄関でグズグズしていた。
ようやく出掛ける決心をしたのは、催促するかのような、牛乳配達のカチャカチャとした音が耳に入ってきたからだった。
まだ薄暗がりの中、キュッキュッと、質の良い新雪を踏みしめて歩き出す。
直ぐ角を左に折れると、道代の家がある。彼女の窓に明かりはなく、まだふかふかと暖かい布団に包まれていることだろう。
 去年の夏休み、クラス全員で、学校の裏庭にある池の掃除をした時のことだ、休みにも慣れた頃で、久しぶりに会える喜びで、みんな沸き立っていた。
水を半分ほど抜いたところで、そろそろ鯉をすくい上げることになった。
その時、中央の深みを覗いていた道代の背を、悪友の一人がドンと突いたものだから、たまらず、道代は金だらいのような深みに、両手付きで落ち込んでしまった。
背中を残して、顔から下まで半身ずぶ濡れとなってしまった。
それまで、陽光にひらひらと舞っていた白い麻のワンピースが、無残に濡れて、道代の体にピッタリと張り付いた様を見て、僕は、自分でもビックリするほどの大声で叫んだのだった。
(つづく)

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