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フライドポテトのSサイズ

 ・・・「ウォルトは、“今日は雨よ”と聞いただけで泣き出すような子だった」
            “母の回想” サリンジャー


 “まったく地獄だ” と思った。

 ドアを開けるか開けないうちに、一目散にバーガーショップへと駈けだした息子の背中を、ゆっくりと車のドアからキーを抜いたときに見た。
彼のややくたびれたそのグレーのトレーナーの背には、ミッキーマウスの後ろ姿がプリントされている。それも駈けだしたばっかりという格好のが。
もちろんその前面は、駈けだしたばっかりの笑顔のミッキーというわけだ。
ミッキーそのものが走っていく→バーガーショップへと→すれ違った中年夫婦の微笑を背に受けて。
彼のその嬉々とした笑顔には申し訳ないけれど、キーを押し込んだジーンズのポケットには五百円玉一枚と、二〜三枚の十円玉しか入っていないのだ。
バーガーとコークはいいとして、お得意のフライドポテトとチキンナゲットのいずれかはご遠慮願わなければならない。
いったい何と言って、店員に気づかれずに、“ボクの好物はフライドポテトとナゲットなんだけど、今日は体調十分にもかかわらず、どちらかひとつで結構! いや、フライドポテトのSサイズでよいのだ”と、彼に思わせたらいいんだろうか。
それにしても、ポテト目掛けて突っ走るミッキーの後ろ姿を見ると気が重い。
敵はSサイズなのだ。
 店の前で、待ちきれずにミッキーが手を振っている。
喜色満面。
ほらほら、自動ドアーが開いたり閉まったりするから、レヂのお姉さんが嫌な顔してるだろうに。
“ア〜ア、あの笑顔には参るなぁ” 笑顔で応えて歩道に足を乗せた。
右手はポケットに突っ込んだまま。

・・・・・
 生まれた時は、さほど感じなかったが、病院の廊下でドアひとつ隔てて産声を聞いて、“ああ生まれた”と思いながら、鈍い奥歯の痛みに頬をさすっていると、いきなりそのドアから若く美しい看護師さんが出てきて私の前に立った。
自分のことのように嬉しそうに、そして、神に会ってきた人のような慈愛に満ちた目をして
「男のお子さんですよ」
「丈夫な男の子ですよ」
と、報告してくれた。
頬を赤らめ、両手を胸に、感激と感謝の父の言葉を待つ体勢だ。
 私は、続く痛みに頬を赤く上気させ、目まで潤ませて、
「ありがとうございます」と、
顎をあまり動かすことなく、やっと言えた。
それでも、かの神子(みこ)は許してくれそうになかったので、まあそれだけでもないけれど、その場にいる必要もなくなったと思えたので、丁重にお礼を言い、又、こんな場面でも仕事に戻らなければならない父親の身の上を嘆きながら、(実は予約していた歯医者へと)美しい人を後にした。
モゴモゴとしか言えなかったので、効果はあったことだろう。
息子が出来た感動に言葉もはっきりしない、何があろうと仕事一筋、ハードボイルドで寡黙な男。といったところだ。
 いつになく、その日の治療は困難を極めた。一カ所、未だに噛み合わない奥歯はその時のものだ。
無辜(むこ)の魂を欺いた私が悪かった。
それ以来、妻は出産の時に傍についていてくれなかったと責めるのだ。
 まあしかし、生まれたときにはさほど感じなかったが、憎めないヤツだ。
早くキャッチボールが出来る年頃になってほしいものだ。
 ベッドをのぞき込んだ見舞客(主に祖母の数多い妹たち)は、誰一人として、可愛いと口に出す人はいなかった。正直なところ、父自身にも、女性には縁の薄い人生だろうと思われたのだが、乳母車が埃に汚れた頃になると、誰からも「まあ、可愛い」と言われ、マシュマロの頬を突っつかれるようになった。
ただ、本人はそれを非常に嫌がっていた。
 最近では、初対面の人(女性、特に”おばさん”)に会うと、決まって顎を少しばかり突き出して、攻撃態勢に入る。
見上げた男気であり、“嫌なところだけ父親に似る”と、また、妻の嘆きの材料が増えた。

 そういえば、私が幼かった頃、よく祖母や母達に山の畑に連れて行かれた。
専業ではなかったので、母達の趣味みたいなもので、楽しいピクニック気分だったけれど、それでも、春先の種まきの時分や夏場の草取り、秋の収穫と2〜3時間は集中して農作業をしなければならない。
 そんな時、母が畑の真ん中にボクを下ろして作業に取りかかる。
よく晴れた静かな山の畑、少しばかりの畑の周りには、祖父の植えた林檎や柿や梨の木が、よく手入れされて元気いっぱいに枝を広げている。
少し離れた小屋の周りには何種類かのブドウが、それぞれ整備された棚に絡まり、気持ちのよい日陰を作っている。
 その先ずっと先、眼下には私の村のある開かれた扇状地が見える。
思い思いの色に塗られたトタン屋根、その下一軒一軒の家族の顔をすべて知っている小さな村だ。
 額の汗を拭いながら、母が一仕事終えて私のところに戻ってくる。
「驚いたわねぇ。案山子(かかし)さんかと思ったわ、一歩も動いてないのね」
といって、私の足元の赤茶けた地面に目を落とすのだった。
そう。私は、本当に一歩も動かないで待っていた。
というよりも、動けなかったのだ。
蟻たちは、当然のようになにやら一生懸命ウロチョロ。予測のつかない動きでいつ踏みつぶすかわからないし、柔らかい畝の乾いた土の斜面からは、オケラだって顔を出した。
初対面にびっくりしたのはお互い様だし、キャベツの葉の上では、青虫が昼食中だった。
誰にも内緒(特に、妻には)なのだが、家中で“畑の案山子さん”と呼ばれていたのは私のことだ。
 いまでは、行くべき道を見いだせずに、ただボーッと街角に佇むシティー・スケアクロー。
しあわせな少年時代の、時が止まったかのように思えた故郷(ふるさと)の景色。
目に映るものが永遠のように思えたあの頃、意味もなく私の心を締め付けた昼下がりの斜光。
肉体の成長を拒んだ、既に老成していた精神(こころ)。
きっと、未だに何も変わってはいない。
山道を下ってきて村に入る少し前、大きな川に架かった橋を渡るとき、私は決まって母たちを止め、欄干にもたれかかって眼下の水流を眺めるのだった。
次から次と水面のうねりは尽きることなく、遠く次の街のそのまた先の海へと流れていく。
ジッとそれを眺めていると、まるで自分たちが船に乗っていて、私は船尾から流れ去る水のうねりを追っているのだと思えた。
後方へと、どんどん私たちの船は進んでいく。
船酔いした気分にさえなる。
不合理とさえ思えるほどの力強いトルクでもって私たちは運ばれていく。決して早くはないのだが、一瞬の躊躇もない。
その加速は一定でいて、否応がない。どんどん進む。
いったい何処へ・・・
港はあるのだろうか。
 考えてみると、今までその船に乗って私はここまで来た。
未(いま)だ着くべき港を知らない。陸地はおろか、灯台の灯りさえ見ない。
そして、船酔いに似た気分は今も続いている。
私がもう少しハードなら、船尾ではなく舳先で船を誘導していたのかもしれないが、なにしろ“畑の案山子さん”だったのだ。
青虫を見て、泣き出したり逃げ出したりすることはなかったが、指先にじりじりする感触を覚えながら、ただジッとそれが視界から消えるのを待っていた。
ソフト・ボイルド……。

 最期には、一生が走馬燈のように駆けめぐる、というけれど、そんなこと一体誰が言ったんだろう。
最期の経験は、本当の最後にするものだから、言えるわけないじゃないか、生き返っただとか、臨死体験だとか、それこそ最後に種明かしするマジックみたいで大嫌いだ。
「結局この不思議な物語は夢でした」で終わる、くだらない寓話みたいなものだ。
 懐かしいあの畑のあぜ道で、嫌な毛虫をやり過ごそうと、指先にジリジリする感触を覚えながらジッとしていたあの感触が甦ってきたところで、ポケットの中の五百円玉と車のキーが、冷たくその存在を主張して、希望なんか持てそうにないこの現実の時間体系に引き戻された。

・・・・・
 片足を歩道に載せ掛けたところで、立ち止まっている私。

 誰か、女性の叫喚と、まっすぐに私に向かってくる黒のダットサン(「黒は珍しいなぁ」と呑気な私)、時代遅れのクロームのバンパーが冷たい光を放っている。
30代半ば位だろうか、そのドライバーの顔は、おかしな程に引きつっている。(「どうした?」)
どうにもならない人生に抗して、ブレーキペダルを目一杯踏みつけているのだろうが、遅すぎたようだ。時速40キロで、その黒い鉄の塊は私のもう目の前だ。
 彼の瞳孔は極限まで見開かれ、その井戸の底のような黒い水面に映った私の姿が見えるような気がした。
ポケットに手を突っ込んだまま不思議なものを見るような、あるいは、興味のあるものから目を離せないで立ち止まっているかのような、どちらにしても、どこか間の抜けた私の顔が映っている。
 やっぱり、私は案山子さんなのだ。
よく、デパートの催事場で古レコードの箱から離れられないでいると、
「さぁ、もう早く行きましょう」と、袖を引っ張られたものだが、その妻も今はいない。
 ただ一つ残念なことは、息子の方に顔を戻せなかったことだ。
ひとこと言おうと思っていたんだ。
「ナゲットは今度の楽しみにして、今日はフライドポテトにしよう」
「それもSサイズでね、OK?」

 そして、柔らかな白いほっぺをキュッとつねってやったのに。




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