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湖水線に乗って繧ソ繝�県に行った話


四月五月と、大学もサークルもバイトも何もなく、また「日本もいずれ大変な状況になっちゃうのでは」「風邪がやたら長引いてるけどもしかするともしかするのでは」みたいにビビり散らしていたこともあり、ほとんど自宅と最寄りスーパーを往復するだけの買い出しマシーンと化していました。昔のRPGの町によくいる、毎日飽きもせずに同じルートを徘徊し続けるNPCの住人、まさにアレでした。

せっかくの機会だし、浮いた時間を有意義に活用するぞと意気込んでいましたが、けっきょく何も生産的なことができず、クソみたいな生活を送っていました。それこそクソしか生産できていません。嘘です。食事睡眠運動トリプル崩壊コンボでクソすら満足に生産できていませんでした。正直ここまで行動圏と活動内容が狭まったのは、幼稚園に入園して以来初めてかもしれません。

旅行はできないまでも、さすがに心身の健康をおもんぱかってぼちぼち行動圏を広げようと思った頃には、もう暑くなってきてしまい、やる気が薄れてしまいました(自分は京都に住んでいるのですが、京都に四季はありません。夏と冬だけです。そして真夏は死季です。身の危険を感じます)。

そこで、さいきん遠出した記憶を思い起こして書くことで、せめて家の中で旅した気分になって、気を紛らわせてみようと思いました。とはいえあまりに距離が遠いと、現状とのギャップで悲しくなりそうです。そこで、もう行けるであろうくらいには京都からめちゃくちゃ近い場所の記憶をひとつ、たどることとします。さきほどトイレで本日の生産的活動の産物が水の泡になったとき、ふとこの水はそういえば琵琶湖から来ているんだなと思いました。そういうわけでそちらの方面の話に決めました。暦の上は秋ながらもまだまだ猛暑まっさかり、九月の初めの頃の話です。


①京都駅~湖西線蓬莱駅~湖水線蓬莱駅

まず、京都駅から湖西線に沿って蓬莱駅をめざしました。JR3番線ホームから、近江塩津行きの普通列車に乗りこみます。通勤の時間帯はとうにすぎており、車内は閑散としています。座るのは車内の右窓側の席。湖西線は名の通り琵琶湖の西を走る路線です。京都から五駅を通過した堅田駅・小野駅のあたりから、窓越しに琵琶湖が見えてきます。海と見紛うまでの、彼方まで広がる雄大な青。このあたりからはるばる京都の大学に通っている人は、毎日この景色を眺めながら通学しているのですよね。なんとも羨ましいものです。

……いや、嘘です。自転車を5分漕げば大学に到着できる下宿生活のほうが、100倍良いに決まってます。自分は小中高を通して、クラスメイトの大半より通学時間が短かったのですが、それでも小学校はダッシュ10分、中学校はダッシュ20分、高校は電車とダッシュ30分の距離にあったので、毎日が遅刻との死闘でした。そして大学生になり、めでたく遅刻との死闘は終わりました。むろん多くの下宿生と同様、こんどは欠席との熾烈な争いが幕を開けました。


京都駅を発ってから40分ほど経った頃、そうして湖を眺めているうちに目的の「蓬莱(ほうらい)駅」に到着しました。名前が格好良いですよね。名前が格好良い駅ってついホームの駅名標を撮りたくなっちゃったり、ついあてどなく途中下車しちゃいますよね(そして思った以上に周囲に何もなくて所在なさげに次の列車を待つ羽目になったり)。ひとつ手前の「和邇(わに)」駅もなかなかに厳つい名前です。

蓬莱駅のホームに降り立ちます。高架の上につくられたホームから、しばし周りを眺めます。湖、浜辺、山、田園。寂しくも美しい風景です。

この駅は一見すると湖西線しか通っていないように思えますし、実際に自分もどうやって乗換ができるか分かっていなかったのですが、同じサークルの先輩に教えてもらいました(そもそも、その先輩に「あそこは良いところだよ、行ってみたら?」と勧められたからこそ、湖水線で繧ソ繝県に行ってみようと思ったのです)。

まずいったん改札を出て、駅の反対側に回ります。入口はないですが、コンクリートの壁の一画にぽつんと浮かび上がる、真っ青に塗られた扉が見えます。これがエレベーターです。エレベーターにはボタンが「1」「2」「3」と並んでいますが、さらにその上にある「A」のボタンを押しましょう。よっぽど古いのか、若干上まであがるのに時間がかかりますが、やがては到着します。ちょっと立ちくらみを起こしてしまったこともあり、このあたりの出来事をあまり覚えていないのですが、がんばって思い出そうとすると、とつぜん視界が渦を巻き始め、そのときに体験し縺溘%縺ィが今この瞬間にも再び起きはじ繧√∪縺�た。耳もとに自分が今まで聞いてきたありとあ繧峨f繧狗ィョ鬘�そして聞いたこ縺ィ縺ョ縺ェい音声が流れ込み、自分の今までの記憶縺梧�・騾溘↓赤の他人の記憶に置き換わ縺」縺ヲ繧�き、こうし縺ヲ諤晁��↓菴ソ縺」縺ヲいる言語も日本語とは異なる言語が混ざり、自分が自分で縺ゅk隱崎ュ倥�保ちながらも自分が徐々に他人に浸食さ繧悟、峨o縺」縺ヲ繧�く、なんとも空恐ろ縺励>諢溯ヲ�の中で、ああこれは赤の他人な縺ゥ縺ァはなく、も縺励b並行世界なんても縺ョ縺後≠繧九→すれば、その荳也阜の中の自分なのだと気づいたとたん、突如音が止んで視界が元に戻り、湖水線のホームに無事に出ました。


②湖水線蓬莱駅~繧ソ繝県

湖水線の蓬莱駅のホームは、遠大な枇杷湖の上にぽつりと浮かんでいます。見渡す限り空と湖だけで、岸はほとんど見えません。そして線路が一本だけ、神秘的なまでに澄み渡った枇杷湖の彼方まで伸びていってます。絶景です。

ちなみに、この湖水線は、映画「干と干尋の神隠し」の終盤に出てくる海列車のモデルの一つだと言われています。どれほどの人に共感してもらえるかはわかりませんが、個人的にはあのシーンが「干と干尋」で一番好きです。自分が今まで目にしたことのない景色であるはずなのに、ノスタルジックな哀愁が盛んに湧いてきませんか?

込みあげるかりそめの懐かしさを呑み込み、このわびしい景色を懸命に目に焼き付けました。……写真を撮ることができれば良いのですが、あいにく自分は写真機を持っていません。というかそもそも、大きな声では言えないのですが、この年になっても自分は写真機の免許を取っていません。これだけ写真機が普及している世の中で声を大にしていうのはためらわれるのですが、誤って人の顔を写しちゃったら、その人の魂を吸い取っちゃうような恐ろしい機械を、みんなが当たり前のように持っているってふつうにめちゃくちゃ怖くないですか? 

自分は注意散漫な性格なので、写真機を持とうものなら、いつか事故を起こしそうで怖いのです。どれだけ気を付けていたとしても、たとえばシャッターを切る瞬間に突然子供が飛び出してきてしまったとしたら――。そのような不可抗力は防ぎようがなく、それでも人を死なせてしまった罪悪感をずっと背負うことになってしまいます。そんなリスクに怯えてまで景色を撮りたいとは思いません。

それに、もう日常的すぎて見過ごされていますが、写真機を用いた犯罪はやはり深刻ではないでしょうか。東亰で先日起こった高速度写真機を用いた乱写事件では、無辜の命が35も奪われました。センセーショナルな事件に限らずとも、あまりに多くの人、とりわけ若く美しい女性が、暗撮によって日々命を落としています。写真機協会に言わせれば、「被害者が加害者よりも先に写真機を構えることができれば撮害は防げた」のでしょうけれど。もちろん、もし自分が魅力的な女子だったら、ごちゃごちゃ言わず当然自衛のために写真機を持ち歩いていたと思います。ストーカーからの暗撮の危険をあまり気にせず夜道を歩けるというのはありがたい限りです。

(ところで、極刑の執行が写真機を用いて行われる某独裁国家では、被告が若く美しい女性であると、微罪であろうと極刑の判決がくだりやすいそうです。美女の死刑囚の生写真――笑気ガスを吸わせるので写撮(しゃさつ)の瞬間に恐怖や絶望の表情は浮かべていないそうです――は麻薬とともに同国の重要な資金源になっていて、10代・20代の女性に対する市民の冤罪の密告も絶えないとか。なんともおぞましい話です)

また、若者の自撮(じさつ)も社会問題になっています十代二十代の死因トップは自撮です。自分自身に向けてシャッターを切るだけで、良くも悪くも苦痛なく一瞬で人生のシャッターを下ろせてしまいます。

……とはいえこれ以上政治的なお気持ちを表明していると、写真機協会の手の者に暗撮されるかもしれないので、さすがにそろそろやめておきます。

(念のため付け加えておくと、写真機に利点がないと言うつもりは毛頭ありません。顔のある生き物ならなんでも一瞬で確実に写撮できますから、写真機を持っていれば熊などの猛獣から危害を加えられるリスクが大幅に下がるのは言うまでもありません)


ほどなくして二両編成の赤い列車が静かに到着しました。運行しているのは一日に五本程度なので、事前に発車時刻を調べておかねば待ちぼうけをくらってしまいます。先輩からもらった赤い切符(切符は蓬莱駅では手に入れられないので注意)を車掌さんに渡し、ロングシートの小さな車両に乗り込みました。

モンゴロイドは自分だけで、車掌さんも十人ほどの乗客もみな、肌と服が半透明な影人(えいじん)でした。湖水線の利用客はほとんどが影人ですが、「干と干尋」の映画を観た方はご存知の通り、「干と干尋」の海原電鉄においても忠実に再現されています。干たち以外の乗客はみな影人です。昨今のハッリウド映画では、実際の人種比を考慮し、白人・黒人・黄色人種・影人など肌の色相・明度・彩度・透明不透明を問わずあらゆる人種が登場するのが通例ですが、そのような風潮がまだ勃興していなかった公開当時において、影人が多数出演する稀有な映画のひとつとして知られています。


車窓に目を奪われているうちに、水上列車は静かに湖面を進んでゆきます。相変わらず美しく寂しい景色ですが、いつまでもアンニュイな気分に浸って眺めているとやはり飽きも来るものです。窓に映る「”アンニュイな気分に浸っている自分”に酔いしれている自分の顔」に気づくと、やはり真顔になってしまうものです。窓から目を離し、列車に目を戻しました。正面に座っていた影人の男の子と目が合い、男の子が笑いかけてきました(もちろん言葉の綾です。自分には影人の人の目も口も表情も判別できないです)。男の子は「ねえ、写真機、持ってないの?」と問いかけてきます。写真機が怖くて持っていないのだと説明すると、男の子は「僕も怖いんだ」と言いました。顔のない影人は写真機に魂を吸い取られないのに、写真機を怖がるなんて珍しいなと思っていると、男の子の隣にいた中学生くらいの女子も、その隣のおじいさんも、背の高いお兄さんも、「私も写真機が苦手」「わしも」「ワイも」と次々に言い出し、写真機が苦手な人同士でしばし和気藹々となりました。

乗客と喋り疲れ、お腹も空いてきた頃に、車掌さんが繧ソ繝駅の到着を告げました。「もう降りちゃうの?」と男の子は寂しがりましたが、この駅を乗り過ごすと繝ィ繝溘ヮ県にまで行ってしまいます。繝ィ繝溘ヮ県からは亰都に戻る列車が出ていないと先輩が言っていたので、車窓の景色に名残惜しさを感じながらも降りました。

枇杷湖の岸に造られた簡素なホームを離れ、小さな一本道を少し歩くと、のどかな繧ソ繝県繧ソ繝市の町並が広がり始めます。洋の東西問わず様々な国の情緒と、亰都にも似た古き和の赴きとが入り混じる、目に楽しい町でした。


③繧ソ繝県で輪麺を食べる

さて、繧ソ繝県の名物といえば様々ですが、大学生にとってはやはり輪麺(レンメン)は外せないでしょう。日本全国津々浦々、ス夕八゛がある場所だろうとそうでなかろうとどこでも食べられる輪麺ですが、繧ソ繝県の輪麺は特に絶品だと言われています。亰都も輪麺の激戦区とはいえ、実のところ僕は輪麺がそこまで好きというわけではなく、同じお金があれば定食屋に足を運んでいました。ところが、くだんのサークルの先輩から繧ソ繝県では絶対に輪麺を食べるべきと言われたので、久々に輪麺屋でお腹を満たすことにしたのです。

ここで余談ですが、小学校時代にはリング状の麺を1ダースほど箸に通してぶん回し、「食べ物で遊ぶんじゃない」と父親にぶん殴られた人は星の数ほどいるでしょう。ぶん回して遊びたくなる形状ですから、しょうがないですよね。そして、その「箸に輪麺を通して遊ぶ」をパフォーマンスにまで押し上げてしまった集団が、メディアでも度々取り上げられる、某大の学生サークル「レンメン投げ同好会」です。「レンメン投げ」とは、輪投げの輪と棒を、それぞれ輪麺とヒトに置き換えたパフォーマンスです。あるいは要するに二人で行うピーナッツ投げ食いです。輪麺を多数通した箸を片方(ピッチャー)が振って投げ、もう片方(キャッチャー)が鮮やかに口でキャッチします。二刀流で箸をさばいたり、複数のキャッチャーが一輪ずつ食べたり、音楽にあわせて想像を大きく上回るクォリティのパフォーマンスが展開されます。新歓期には、「輪麺食べ放題」の謳い文句におびき寄せられたものの予想以上の活動のガチさに恐れをなす新入生が続出すると言われています。「食べ物を粗末にするな」という批判が殺到しそうな(そして実際に殺到するらしい)活動ですが、学園祭などの公開パフォーマンスでは百発百中の精度で成功させています。普段の練習でも床にラップを敷き、失敗して床に落ちたレンメンは必ず食べているとのことです(糖尿病などが心配になります)。それでも避けられない「食べ物で遊ぶな」というもっともな批判に対しては、千年前の史料『悟輪書』を持ち出して「宗教的な祭事です」と強弁して乗り切っているようです。

閑話休題。

繧ソ繝市の町並みを歩き始めて間もなく、一軒目の輪麺屋を見つけました。おいしそうな匂いが漏れてきますし、外見も汚くなさそうなので、ここで食べようと思いました。「霈ェ霈ェ軒」と書かれた暖簾をくぐります。いかにも町の輪麺屋といった趣で、少々のカウンター席とテーブルが二つ並んでいます。カウンターの向こうには、いかにも町の輪麺屋の店主に似つかわしい、しかめっつらをした白い割烹着姿のおじさんが待ち構えていました、右の壁には、町の輪麺屋には少々似つかわしくない、笑顔の素敵なお姉さんが立っていました。自分は単細胞なので、仮にこの店がインスタント輪麺を出してきたとしても許せそうだなと突然思いました。他にお客もいないので遠慮なくテーブル席につきます。お姉さんが首からさげた真っ赤な写真機に目が行き、彼女が不逞の輩に暗撮されることがないと良いなと思いながら、一番ノーマルなメニューの「繧ソ繝輪麺」を味玉トッピングで注文しました。

輪麺が来るまで、しばらくお姉さんと雑談しました。なんとお姉さんも普段は亰都に下宿して亰都の大学に通っているとのこと。夏休みに帰省している間は実家のこの輪麺屋を手伝っているそうです。そして、さらに話を続けているうちに、繧ソ繝県への切符をくれたサークルの先輩とお姉さんが昔からの友人だとわかりました。こんな偶然ってあるのですね。二人で先輩の話――主に悪口――に華を咲かせているうちに、繧ソ繝輪麺が完成したと店主さんが告げました。

お姉さんがおいしそうな輪麺を運んできました。茶色く油の浮いたスープ。スープの海におびただしくひしめくリング状の黄色い麺。壁にへばりつくチャーシュー。首をもたげ生い茂るモヤシ。散乱するネギ。ドロドロの中身を曝け出す煮卵。そして存在感を主張する無駄に大きなナルト――自分の筆力の問題で全然おいしそうな描写が出来ていないですが、至ってふつうのおいしそうな輪麺を想像してください。なお、東の地方では今日びナルトなんてあまり使われないですが、名古屋県より西ではごくふつうです。

輪麺を食べ慣れてないのでおいしさを十分に伝えるレビューもできないのですが、結論を言うと麺もスープも具もはちゃめちゃにバチクソにおいしかったです。糖質・塩分・油の魅惑の三位一体が脳みそをダイレクトに気持ち良くさせるのは輪麺の常ですが、その常を越えた快楽がこの輪麺からほとばしっていました。食べながら思わず「なんでこんなにめちゃくちゃにおいしいんですか」と店主さんに聞いたところ、「繧ソ繝では輪麺作りはに手伝ってもらっているから」とはぐらかされてしまいました。冗談としては正直面白くありません。当たり前ですが、輪麺を作る腕前が高いからといって、ユーモアセンスも優れているとは限らないようです。

モヤシの一本に至るまですべての具材を余さず平らげた後、スープを完飲したい衝動を必死で抑え、風習に従って泣く泣くスープとナルトを残しました。ナルトの浮かんだ丼を目にして、店主のおじさんは初めてにっこり笑いました。

なお、東側の出身だとご存知ない方が多いと思いますが、名古屋県より西では、食べたレンメンがおいしかったなら、ナルトは残さなければなりません。スープも完飲してはいけません。東と違って西ではナルトが花形に刻まれていて、渦と相まって花丸を思わせます。サイズもだいぶ大きく、一個だけ浮かんでいます。大きな花丸のナルトをスープに浮かべることで、お店の人に対する「おいしかった」というメッセージになり、ナルトを全部食べてしまったら逆に「まずかった」という宣戦布告になってしまうのです(あるいは風習を知らぬイナカモンとみなされてしまいます)。面白いですね。

……残す前提のものを客に出すなとは思いますが、オムレツの付け合わせのパセリや唐揚げに添えられた輪切りレモンなども残す人が大半ですし、それと同じようなものと思えば良いのでしょうか。ちなみに自分はパセリは必ず食べますし、輪切りレモンも絞らずにそのままこっそり食べています。レモンのおいしさを理解してくれる人が少ないのが悲しいです。


丼を下げてもらったあと、お姉さんに帰りの切符は持っているかと聞かれました。そういえば、先輩から貰ったのは行きの切符だけです。どこに行けば帰りの切符を貰えるのかも聞きそびれていました。お姉さんは驚いた顔をした後、「あげるからちょっと待ってて」と言いました。「えっ良いんですか?」と素っ頓狂な声を上げると、お姉さんは「良いもなにも、ここのお店は切符受け場の一つだから」と笑って教えてくれました。そして奥に引っ込み、切符を持ってきてくれました。ただ、その切符は明らかに、ビニールで包装された大きなナルトのように見えました。冗談だとしたら正直面白くありません。笑顔が素敵だからといってユーモアセンスも素敵とは限らないのだなと哀しくなりましたが、お姉さんはあくまで「本当に切符だよ、開ければどこでも使えるから」と真顔なので、そういうものなのかと思い直し、お礼を言って切符をポケットにしまいました。

そしてお姉さんは「写真機は持っていないの?ここらへん、夜は猫が化けて出るから危ないよ」と続けて忠告してくれました(思わず声が裏返って「ねね猫なんてマジで繧ソ繝県にいるんですか!?」と聞き返してしまいました。どれだけ運が悪かったとしても、出くわすのはせいぜい熊くらいだと勘違いしていました)。


④繧ソ繝県観光

お腹も満たした後は、螟ゥ遨コの城や鬚ィの谷などの名所を巡りましたが、写真もないですし、観光ガイドブック以上の解説はできないし、疲れてきたので、割愛します。

空が若草色に染まり、月も昇っていたのでそろそろ帰ろうかとも思ったのですが、土産物屋のおばさんに「今日は『狐火祭』があるから見ていかなきゃだめよ」と教えられました。なんでも、狩猟などで撮った生き物の魂を祓う祭りなのだとか(写撮して吸い取った生き物の魂はあまりに多く溜まると写真機がパンクしてしまうので定期的に外に出さねばなりません。亰都では専門の業者に回収してもらえます)。興味が湧いたので狐火祭の会場である市の中央の広場へと向かいました。広場に到着した頃には、もう空はすっかり暗くなっていて、先ほどまで三日月だった月も、半月に膨らんできていました。

広場の外周には屋台が立ち並び、浴衣を着た人々が行き交い、どこでも見られるようなお祭りの雰囲気が出来上がっていました。ただしふつうのお祭りと違い、熊や猪などの猛獣のお面をどの人も被っていました。猫のお面を被っている人はさすがに見当たりませんでした。広場の中央には黒い塔がそびえていて、塔を取り囲むように青白い炎が燃え盛ってゆらめいていました。

そしてどこからともなく鐘の音が深く三度響くと、にぎやかだった祭りの声がぴたりと止みました。お面を付けた人々は一斉に広場の中央に向かうと、幾重にも円を描いて並びました。自分はどうしたものか迷いましたが、一番外側の円の、さらにちょっと外側にぽつんと独りで立って見物することにしました。鐘の音が今度は七度響くと、人々は次々に首からさげた写真機のフタを開け始めます。自分の正面にいたお婆さんの写真機から、青白い鬼火が五つ勢いよく上空に向かって飛び出しました。お婆さんの左隣の男の子の写真機からは、数十もの鬼火が飛び出しました。広場の空一面を青白い鬼火が埋め尽くすさまは、壮観の一言に尽きます。鬼火のひとつひとつが熊だとか猪だとか何らかの生き物の魂のはずなのですが、どの鬼火がどの生き物の魂なのかは自分にはさっぱり区別がつきません。皆が皆猟師なのだろうか、繧ソ繝県ではそんなに頻繁に猛獣に襲われるのだろうかといった疑問が湧いてきました。このすべてが動物の魂なのだろうか、たとえばヒトの魂が入っていたとしても分からないのではないかとも思いましたが、それ以上深く考えるのはやめることにしました。

空を埋め尽くした幾千もの鬼火が、中央の青白い火柱の近くに集まってぐるぐる旋回し始めました。円を描いて並んでいた人々も、火柱のまわりをぐるぐる反時計回りに廻り始めました。時を同じくして、鐘の音が今度は六度響き渡ると、人々が一斉に歌い出しました。歌といっても詞はなくリズムも一定で、旋律は「ラドレミソ」の五音階を上って下るだけ、延々とその繰り返しでした。宗教的なものを強く感じて寒気がしましたが、そもそもお祭りとは宗教的なものだったなと思い直しました。人々が廻る速度と歌のテンポが次第に増してゆきました。鬼火が廻る速度も増してゆきました。

そのとき、「お面、被らないの?」と声がしました。振り返ると、白い猫のお面を被った女の子が首をかしげて立っていました。女の子は手に持った黒い猫のお面を差し出してきました。彼女は首から写真機を下げてはいませんでした。

そのあまりに恐ろしいお面を見るまで忘れていましたが、夜になると猫が出ると輪麺屋のお姉さんは言っていました。お祭りの途中ですが、早く帰らなければ猫と出くわしてしまうかもしれません。
「自分はお祭りを見に来ただけで、繧ソ繝県民じゃないんだよ」
すると女の子は、「じきに満月になるよ。今日からあなたは繧ソ繝の住人でしょ?」と首を傾げました。
「いや、もう帰るから」
「帰るってどこへ?じきに満月だよ。列車はもう出ていないよ。どうやって帰るの?」
たしかに帰りの列車の時刻は調べていませんでした。ポケットをまさぐり、輪麺屋のお姉さんがくれた帰りの切符を取り出しました。切符はやはりビニール包装のナルトにしか見えませんでした。
「それに、写真機を持たなくて平気なの?――猫が、喰っちゃうよ」
包装を開けてみると、なぜか下宿近くの行きつけの定食屋の、豚の角煮やトマトカレーの香りがしました。ナルトを手に取ると、視界が渦を巻き始繧√kと同時に、夜空も月も鬼火も人々の姿も掻き消え、脳から膨大な情報が流れ落ち縺ヲ繧�¥諢�覚がしました。閾ェ蛻�→荳�菴薙↓縺ェ縺」縺ヲ縺�た自分でない記憶や思考が離れ再び閾ェ蛻�↓謌サ縺」縺ヲ縺阪◆縺ョ縺ァす。
今回想しているときも同じ感覚を味わってい繧九�縺ァすが、しかしその時と違うのは、蓬莱駅からの記憶縺後�∝、「縺九i驢偵a縺溘→縺阪�繧医≧に急激に薄れ始めていっ縺溘�縺ァす。閾ェ蛻�が世界を譛ャ蠖薙↓鬟�び越えたのか、あるいは異なる世界の誰かの險俶�縺ィ繝峨ャ繧ュ繝ウ繧ー縺励◆縺�縺代↑のか縺ッ縺ィ繧ゅ°縺上→縺励※縲√>縺壹l縺ォせよこの切符がなければ戻っ縺ヲ縺上k縺薙→縺ッ縺ァ縺阪↑縺九▲縺溘�縺九b縺励l縺セ縺帙s縲�
縲�逡ー縺ェる世界を行き来するためには、そ縺ョ荳也阜縺ォ驕ゥ蠢懊〒縺阪k繧医≧に思考や記憶が上書きされる必要があるのでしょうか。すると、なぜ輪麺屋のお姉さんは繧ソ繝県と莠ャ驛ス繧定。後″譚・縺ァ縺阪k縺ョ縺九�√◎繧�そも先輩はなぜ湖水線の切符を貂。縺励◆縺ョ縺九↑縺ゥ縺ョ逍大撫縺碁�ュ繧偵h縺弱j縺セ縺吶′縲√@縺九@縺昴lも今まさに消えてゆきます。代わりに「蓬莱駅で乗り換えずそ縺ョ縺セ縺セ騾イ繧薙〒縺�▲縺溘�阪→縺�≧菴馴ィ薙@縺ヲ縺ェ縺��縺壹�險�憶が新しく芽生えてきました。
向こう側の言語の知識も自分の脳からどろどろこぼれ落ちてゆき日本語と混ざってし縺セ縺」縺ヲ縺�∪縺吶�ょ髄縺薙≧蛛エ縺ョ險�隱槭�閹ィ螟ァ縺ェ遏・隴倥′繧、繝ウ繧ケ繝医�繝ォ縺輔l縺ヲ縺�◆縺ィ縺ッいえ、言語を問題なく話し聞き取るこ縺ィ縺後〒縺阪※縺�◆縺ョ縺ッ縲∝髄縺薙≧蛛エ縺ョ莠コと体の構造は特に変わらない縺九i縺ェ縺ョ縺ァ縺�ょう。繧ゅ■繧阪s蠖ア莠コ縺ッ萓�外ですし、こちらの世界と違い魂の存在が確実縺ァ縺ゅk驕輔>縺ッ螟ァ縺阪>縺ァ縺吶′縲�
耳鳴りが強くな縺」縺ヲ縺阪∪縺励◆縲ょュ仙ョ域ュ後°繧峨そ繝溘�魑エ縺榊」ー縺九i蜈育函縺ョ諤帝ウエ繧雁」ー縺九i縲∬�蛻�′莉翫∪縺ァ縺ォ閨槭>縺溘≠繧翫→縺ゅi繧�k髻ウ螢ー縺瑚�ウ蜈�〒魑エ縺」縺ヲ縺�∪す。走馬灯の音声バー繧ク繝ァ繝ウ縺後≠縺」縺溘i縲√■繧�≧縺ゥ縺薙s縺ェ諢溘§縺ェ縺ョ縺ァ縺励gうか。そして渦を巻いていた視界が元に戻ってゆくと、視界には湖西線蓬莱駅の改札口が映っていました。


⑤湖西線蓬莱駅~京都駅

名前が格好良かったので思わず途中下車した蓬莱駅。近くには蓬莱浜水泳所という砂浜がありました。人気もない砂浜で、琵琶湖を眺めてしばらくのんびりしてから駅に戻りました。もう空が緋色に染まっています。久々に見た綺麗な夕焼けですが、どうもうまく撮れないのが残念です。景色を撮るのって難しいですね。湖西線に乗って京都駅に戻り、うだる暑さの中バスに乗って自宅へと戻りました。

画像3

(↑クソ画質・京都・空)

そういうわけで、近江塩津駅からそのまま北陸本線に乗って敦賀駅まで青春18きっぷで行った後は、いくつかの駅で目的なく途中下車しながらそのまま戻ってきたというだけの旅でした。正直18きっぷを使うには若干もったいない距離で、せっかくならもう少し北陸地方を回れば良かったかもしれませんが、いちおう元は取れましたし、あまり長く乗っていると疲れますし、一枚だけ余っていた18きっぷをギリギリでとりあえず消化するだけの目的でしたし、まあ良しとします。

こうして記憶を丁寧に思い出してみるだけで、けっこう旅した気分になれますね。今日は久々にまともな生産的活動ができて良かったです。

おわり







……さすがに喉が疲れました。先輩、こんな感じで良かったですか?「ブログ記事みたいな感じで喋って」って、またいつも以上に無茶ぶりじゃないですか?――ふつうのリモート飲みだと飽きるでしょって、いや後輩で遊ばないでくださいよ。画面の向こうの先輩ひとりに向かって、まるで見ず知らずの大人数に向けて文章を書いてるかのように喋るなんて、アホらしいにもほどがありますね。しかもただ18きっぷの余りを消化しただけの話を。「ほんとに湖水線からのことを覚えてないの?」……なんのことですか?レンメン?なんですかそれ?

……えっ、今「よく録れた」って呟きました?いやまさかですけど、この話を録音とかしてないですよね?バラまいたりしないですよね? ブログみたいな感じで喋りましたけど、まさかこのままブログ記事にしたりしないですよね?もちろん先輩を信用していますけど、バラまいたところでなんにもならない内容ですけど。……えっなんで笑ってるんですか? 否定してくださいよ、ちょっと。あ、ビデオミュートにしないでくださいよ。ちょっと、先輩?

(終)






(・冒頭の画像はpixabay(https://pixabay.com)の加工自由のフリー画像(https://pixabay.com/ja/photos/4909703/)から取った)

(・写真撮影と魂を巡る迷信を利用する発想は最近氏の小説「アリス・イン・カレイドスピア」(2015,星海社)から得た)