「いい人」/「悪い人」

「差別と区別は違う」という言葉がある。だがその線引きはどこにあるのだろうかと、私は思う。金と銀とを区別したら、銀を金より劣ったものとみなしてしまうのが人間なのではないだろうか。しかも、区別と差別をわけることは、区別なのか差別なのかという問題もある。

人間がものごとを認識するには、その対象をほかのものからわけることが必要だ。これは動物、これは植物という風に。ものごとをわけるという行為は人間の認識に必要で、そこには善も悪もない。だが、そこに二分法が入ってくると話はどうなるだろうか。

二分法とは改めて説明するまでもないが、ものごとをふたつに分類する認識の仕方である。二分法の歴史がどれほど古いか私は詳しく知らないが、少なくとも紀元前のピタゴラスにまでは遡れるだろう。ピタゴラスは万物を「正方形/長方形」や「男/女」というように分類したといわれている。そして前者が「善」、後者が「悪」により近いと考えていたという。

ここまで来ると、すこし引っ掛かりを感じる人がいるはずだ。世界の森羅万象を単純な二項対立でくくって、善悪という価値判断を加えるというのは、危険ではないだろうか。ものごとはそう単純にはできていない。あいまいな存在、事象というのは、そんなに珍しくもないだろう。これは古代ギリシャの話で、現在には当てはまらないと反論する人がいるかもしれない。では「男は理論的/女は感情的」のような決めつけはどうだろうか。これも二分法であり、二項対立の一種だといえる。そしてそこに善悪の判断まで入ってしまえば、もう目も当てられない。

多様性を考えるうえで大切なことは、「あの人はこの属性を持っているからいい/悪い」のように、特定の属性や性質を単純に善悪に結び付けないことなのではないかと私は思っている。

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