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現代の死から日本人の精神を見る



辺りを見渡せば高い建造物、早い乗り物、加工された食品や常に映像から娯楽を得られる電子機器もある。
一見、何不自由の無い世の中だ。

しかし、自然は気候の寒暖が激しくなり
地球の地軸がずれて、天候が荒れれば災害。
雨一つ降る事さえ、人々の脅威になっている。
地震により建造物は倒壊し、車やバイクと言った移動する為の乗り物は飛行機や電車も含め、離陸や停車を誤ったり、互いが接触したりもすれば当然、無事では済まない。
何げ無い会話から怒りを買い、制御しきれない感情は時には殺意を沸かせられる。僕らは常に死と隣り合わせである。
この世に生きている以上、生物として生きている事もあるが利便性を求めた人工物の急速な発展により本来の人間の本質から遠ざかっている。

古来昔の日出国、日本は縄文時代、人同士の殺傷は無かったに等しいらしい。
何万年と言う歳月を経て、争いが無かった我々日本人の租は神を崇拝し人を尊重し合い他国の文化を認め、共存してきた。
手を取り合って考えて助け合ってきたのだ。
しかし国という一つの組織が確立され金や鉄から産まれる武具や装飾品は利権に支配され、その都度脅威を増していき、価値を上げてきている。
強く屈強な殺戮兵器、美しく神々しい人工物は人間界だけではなく自然界、我々の住まう地球を汚染してきている。
便利の裏腹にはそれに多大な労力と時間を費やしてきていて、使う者と使われる者、働く者働かざる者、実権を握る者握らない者、賛否両論はあるが少なくとも格差が広がっている。

生きる事の意味すら見出せない人が日本人には特に多い。敗戦国として従わざるを得ない状況からもう約100年経つが未だ戦争の後遺症から脱却できずにAIなどの文明の進化の軌道に乗っている。
我々日本人の精神性は過去を掘り下げれば、強く美しい素晴らしい人種だったのに、その素晴らしさは影を潜めている。
危機感や不安が常に付き纏っている中、死は確実に隣にいる状況だ。自然災害は突然の出来事として仮定するが、それを除いても周りを見れば死に近い事は隣にある。すぐ隣だ。

イヤホンをしながらスマホを見て歩く人々。
しかもイヤホンは遮音性が高い。
緊急地震速報が鳴っても気にする素振りもないときた。
邪魔だと言わんばかりに突進紛いに歩く人々。
心無い言葉からの暴力や自殺もある。
全員では無いが僕の住む街は特に親切から程遠い。

皆んな関わりたく無いのだろ。
自分の世界こそ全てなのは理解するが自分の世界には人がいない事を想像してみてほしい。
誰が助けてくれる?
誰が認めてくれる?
そのスマホやテレビ、家は誰が作ったのか?
ほぼ全て他人だ。
周りを見渡せば誰かのアイディアで作られたものが沢山ある。それも一人で作ってない筈だ。
人間は誰かに支えられて生きている。
当たり前の様に便利になった世界は誰かに支えられて生きている事を忘れて、死に近くなってる気がしてならない。
勿論、全てを製作者に感謝をして使ってるからと言って死なないわけでは無い。
だが少しでも日々の生活の中に感謝を感じて生きていけば、少しは日本人の古来の精神性も復活してくるのではないかと思う。
災害か来ても、周りで助け合う。
誰かが孤独なら、周りが手を取り合う。
こう言った助け合いが増えていけば、常に隣合わせにある死は一部を除いても救える死は減らせるのではないだろうか。

日本人だけに限った話では無いが、これが現代の人に課された使命でもあるのだろうと、時代の進化と共に失われた精神性の復活による人間の共存と思っている。

その日が来る選択はもう近い。
僕らは今すぐ、手を取り合っていく事が大事なのではないだろうか。

2024年6月


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