量子力学と仏教の共通点:波動関数の収束と、色即是空
量子力学の波動関数の収束とは、あらゆる可能性の重ね合わせ状態から、いま ここ にものの位置とエネルギーが収束することです。
仏教 般若心経における色即是空 空即是色とは、色(=現実世界)はすなわち空(=自立して存在するものはないという真実の世界)であり、空はすなわち色であることです。
これは同じことを、違う視点から言っていると思います。
量子力学における、あらゆる可能性の重ね合わせ状態は空のことであり、いまここに実在することは色のことだと思います。
つまり波動関数の収束とは、空から色に遷移すること。
これは埴谷雄高の自同律の不快とも同じだと思います。可能性の重ね合わせ状態を不快に感じる存在が耐えきれずに起動すること。
よってペンローズの、宇宙の終わりの段階で永遠に単調な宇宙を退屈に感じる存在が、宇宙のはじまりを引き起こすという考えとも同じだと思います。
そしてペンローズは波動関数の収束によって意識が生じると考えています。
更に、意識がイデア世界を生み出し、イデア世界はChatGPTにおける言語世界と同じです。
これらの共通点は何を言っているのでしょうか。
波動関数の収束=空即是色=自同律の不快=宇宙の終わりからはじまりへの起動=意識の発生≒ChatGPT≒波動関数の収束。。。
量子力学、仏教、哲学、意識、AIまでがぐるっと繋がっています。但し、AIは計算可能である一方で波動関数の収束は計算不可能なので、意識とAIをイコールで繋げずニアリーイコールにしています。
数千年前から現在までの人類の叡智が、意識の謎の答えに肉薄しつつあるように見えます。
いいところまで行っています。あと少しです。
生きている間にその謎を知りたい、できることなら自分で見つけてやりたい、と切に願っています。