勝手に月評 新建築2019年6月号
今月号では教育施設・保育施設特集として17題の作品群と仙田満氏による論壇,瀬戸信太郎氏による教育そのものの仕組みついての特集記事から構成されています.
建築論壇である環境と子どもの成育では,菊竹事務所でのこどもの国(1959年)の設計に関わった経験から,建築とランドスケープを一体的に考えること,建築だけでなく建築以外のすべてを含めた「環境」を考える必要性を感じ独立に至ったこと.その後は,こどもの国を担当した経験から「あそび」の領域を設計のターゲットにしようと考え,様々なプロジェクトや,研究に取り組んできたことが書かれています.
子どもの「あそび」の空間というものを今まで真剣に考えたことがありませんでしたが,今改めて思い出すと幼稚園,小学校など,幼いころに過ごした記憶と外部空間,もっというと自然空間はかなりリンクしています.そもそも,昔の記憶の中に,室内で過ごした記憶というものがかなり乏しいです.
幼稚園は都内でしたが,敷地が森の中で,更にお寺が隣接されていたこと,屋外広場は平たんでなく,山道に沿って遊具が置かれているような不思議な幼稚園でした.小学校低学年で一番覚えていることは,友達たちと近所の草むらの中に秘密基地を作ったことでした.20世紀少年(1999~2006,小学館)に出てくる秘密基地のようなものです.伝わるかは分かりませんが..
思い出してみると,いかに「あそび空間」が自身の記憶と結びついているのかを理解できました.仙田氏は,その「あそび」が人の根源にあるものだという考えを持っています.つまりは「環境」を作ることがなにより大切,という話です.
最後には,日本の大学や高等教育機関のキャンパス整備などにランドスケープ的観点が含まれていないこと,そして菊竹清訓氏による「か・かた・かたち」を取り上げ,日本人は「かたち」に対するクオリティは高いものの,「かた」をつくることが不得意であり,今日本に欠けているのは「か・かた」であり,先行き不透明な現代こそ,「仮説力」が必要であるという問題提起で締められています.仙田氏自身が遊環構造という「かた」を考え続けたことを象徴するような問題提起だったように思います.
近年の子どもに対する過剰な「あそび」の規制や,そもそも「あそび」の室内化だったり,あそび相手がインターネット上の友人になりつつある(このことが悪いことだとは思わないですが),ことが,「あそび」と空間,またはここでいう「環境」と建築の溝を深くしているように思います.外部ではがらんどうな広場だけが増えて,秘密基地的な,小さなスケールを持つ外部環境が乏しくなっているように感じています.
これらを踏まえ作品を見ていきます.まず,東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパスと,梅光学院大学 The Learning Station CROSSLIGHTの配置計画は,環境と建築の関係に対して別のアプローチを試みているように感じました.
一言で言えば,前者は「環境との順応」で,後者は「環境への刺激」を意識していると感じました.
東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパスは,配置計画のコンセプトも近接する代官山駅と中目黒駅の連続性を意識したもので,建物内のアクティビティが外へ表出するようなコンセプトを持ってデザインされています.
大学キャンパスというビルディングタイプは,面積の問題やセキュリティの問題から,都市部ではタワー型になり,郊外部では孤立型になるものですが,本プロジェクトで音楽大学という特殊なプログラムと,敷地周りの用途地域の関係もあり,地域の緑を敷地内に引き込むなど,非常にまちへ馴染みやすいスケールのキャンパス計画になったと考えられます.
一方で梅光学院大学 The Learning Station CROSSLIGHTの配置計画は,既存校舎の持っていた直交グリッドを45°回転させることで,周辺環境にアクセントを与えています.簡単に言ってしまえば,まちのシンボルとなるようなコンセプトを持ったプロジェクトだったのではないでしょうか.
しかしこのプロジェクトの特筆するべきは内部空間の豊かさであると考えています.エドワード・T・ホール著の「かくれた次元」(1970年,みすず書房)を参照した教室やオープンスペースの配置やスケール感を決定していること,そして多数の吹き抜けによって空間に動きがあることが特徴です.私はこういった空間が秘密基地的な「あそび」空間になっていると感じています.利用者が,利用者たちのグループがそれぞれ好きな場所を自分で発見していく能動性があるように感じます.
近年,場所を決めない学び方,働き方が注目されていますが,このプロジェクトはその答えになり得るのではないかと感じました.フリーアドレス型のワークプレイスの設計で多数の実績を持つ小堀哲夫氏ならではの空間構成だと思います.
ここまでで,「あそび」空間とは,動きのある余白空間と読み解くことができると考えました.
元来標準的な教育施設は「施設」と名付けているところからも建築とその周辺環境を分けて考えてきたように思います.そういった余白を持たない教育施設としての「かた」を破り,余白を持つ教育施設の「かた」の発明が,今月号には多く見られます.
広島県立広島叡智学園中学校・高等学校 一期工事では敷地の広さを生かし,クラスターとそれを繋ぐ開かれた空間としてのコネクターによって全体を構成しているプロジェクトになります.
ここでは半外部空間である回廊に動きを持たせ,回廊に囲われた大きな外部空間が溜まりの空間となっています.
桜川市立桃山学園でも,廊下を倍にすることで教室を回廊で取り囲む空間構成を取っています.廊下も一様な幅ではないジグザグしたものとなっており,移動の為だけではなく,角には溜まりの場としての廊下が計画されています.
学ぶ空間ではなく,学ぶ以外の空間にこそ着目することは,今年4月号のワークプレイス特集でも語られていた,働くという行為に関わらない空間にこそ,生産性を上げる鍵があるという議論に通ずるものがあると感じました.
羽鷹池ひだまり保育園は,国家戦略特区制度を利用し,公園に建つ保育園として設計された建物です.積み木を重ねたタワーのような外観と,それに接続する公園の緑,羽鷹池によって,子どもの城のようなシンボリックな印象を与えるものになっています.
近年の保育園不足の問題から,まちを挙げた整備があるなど,保育園は未だ大きなニーズを持ったビルディングタイプとなっています.それも,以前より小さなスケールで,複合的機能を持った保育所のニーズが高まっています.その中でこのプロジェクトは,園外に公園利用者のための授乳室を設置していたり,公園と複合的な使われ方がされており,非常に可能性を感じるプロジェクトです.
子どものための空間,そして教育のための空間というものは,周りを駆け回れるような,好きな居場所を選択できて,能動的になれるおおらかな空間が求められています.そのための余白空間であったり,動きのある空間が求められているように思います.
人口減少や,大きな教育施設が簡単に建てられない今の時代だからこそ,余白のような,からまりしろを持つ空間が求められていると思います.
過渡期であるからこそ,今月号のような多様な作品たちが顔を出すのだと思います.今月号は,特に建築の「かた」が強く表れたプロジェクトが多かったように感じました.
久木元 大貴
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